わたしが本格的に任務に復帰するまでには、それからたっぷり1ヶ月はかかった。全集中の呼吸が使える状態になってからは、回復速度が著しく上がったものの、体はかつてないほどになまってしまった。それだけわたしが重傷を負っていた証拠でもある。そのため、まともに動けるようになってからは朝から晩まで機能回復訓練に勤しんだ。
霞柱はというと、わたしと正式に”恋仲”になって以降は、任務の合間を見て頻繁に見舞いに来てくれるようになる。恋仲になったからといって特別大きな変化が訪れることはなく、これまで通りの関係が続いていたが、わたしたちの間にはいつも穏やかな時間が流れていた。
また、わたしが療養中の身ということもあったと思うが、霞柱は優しくわたしの手を握ることはあっても、それ以上の触れ合いを求めるような素振りは見せなかった。その代わり、霞柱は以前見せてくれたようなあどけない笑顔を浮かべることが多くなり、その笑顔を見るたびにわたしは幸せな気持ちになった。
なお我々2人の噂は瞬く間に隊内に広がったし、それによって霞柱がわたしの部屋に出入りすることを咎める者もいなくなった。だが、わたし自身は「あの霞柱が惚れた女」として、周りから好奇の目で見られるようなる。その好奇の目を助長させたのは、絶対にこの人のせいだと思うのだけど…。
「よぉ、ナマエ!調子よさそうだな、お前が元気になって安心したぜ」
訓練が終わり蝶屋敷の廊下を歩いているところで、宇髄さんと出会った。彼は大きな手をわたしの頭に乗せようとしたが、直前でピタリと手を止める。
「おっといけねぇ、お前は”霞柱さんの女”だったなあ。気安く触れちゃあ怒られちまう!」
ニヤニヤと笑う宇髄さんに向かって、わたしは思いきり嫌な顔をして見せる。
「からかわないでくれます?」
「いやいや、嬉しいんだって俺は。…ってその目、全然信じてねぇな」
「当たり前でしょ、散々わたしをオモチャにして…」
結局宇髄さんはぐりぐりとわたしの頭を撫でまわし、大きな声で笑った。
「悪い悪い、お前たちを見てるとこう、俺まで楽しくなっちまってな。つい可愛がりたくなっちゃうのよ」
「…ほどほどにしてください」
「おう、そうするぜ。……それよりな、結局お前ら、どこまでいったんだよ」
「………はい?なんの話ですか」
「だから、お前はあいつからされたのか?……”接吻”、をよ」
なにを言うんだこの人は!と宇髄さんを睨み上げると、驚くことに彼は大真面目な顔をしていた。混乱したわたしは、「えぇと、いや、その……」と、しどろもどろになってしまう。
「………プッ」
気づけば宇髄さんが肩を震わせていた。呆気にとられて彼の顔を見つめていると、堰を切ったように笑いはじめた。
「はぁ、お前ってば本当に可愛いやつだな。遊びがいがある、そりゃあいつが惚れるわけだわ」
「全然褒めてませんし、宇髄さんが柱じゃなければわたし殴ってます」
宇髄さんは再びわたしの頭をぐしゃりと撫でると、艶やかな笑みを浮かべる。
「いやぁ、とにかくな、なにか困ったことがあれば俺に相談しろよ!男女の色事なら、俺の右に出るやつぁいないからな」
「わかりました、絶対に相談しません。失礼します」
そんな宇髄さんに軽く頭を下げると、わたしはさっさと部屋に戻った。しかし頭の中では、「接吻」という未知の言葉がこだましていた。
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「ナマエ、起きてる?」
そろそろ床につこうかと思っていたところ、戸の外から霞柱の声がした。
「あ、はい。起きてますよ」
そう声をかけると、静かに霞柱が入室してきた。寝台の上にいるわたしの顔を見ると「顔色がいいね」と優しく微笑む。
「今日、用事があってお館様のところに行ってきたんだけど、そろそろナマエに指令を与えたいって言ってたよ」
「いよいよわたしも現場復帰ですね。嬉しいけど、緊張するなぁ」
「みんな君の復帰を待ち望んでるよ。どの任務に行っても、ナマエの名前を聞く、みんな君の話をしている」
霞柱は少し拗ねたような口調で言った。こんな風に感情が現れる霞柱を見るのが、わたしは好きだった。
「君の復帰任務に僕も立ち会いたいところだけど、実は明日から長期任務が入ってるんだ。だから、しばらく会えなくなるね」
いつの間にかわたしの手に、霞柱の手が重なっていた。驚いて顔を上げると、すぐ目の前に霞柱の顔があった。なぜこの人はいつも音もなくわたしに近づけるのだろう。
「ねぇ、君の気持ちが知りたい」
「えっ……?」
わたしが上げた戸惑いの言葉は、霞柱の唇によって塞がれた。柔らかくしっとりとした唇の感触が、頭を真っ白にさせる。唇同士が触れ合った時間は、せいぜい2〜3秒のことなんだろう。しかし、わたしにはそれがひどく長い時間に感じられた。
「ごめんね、びっくりしたかな」
「……は、い。きゅ、急だったので…」
「急じゃないよ。僕はずっと我慢してた」
ギシ、と霞柱がわたしの寝台に上がった。慌ててそれを止めようとするも、霞柱に優しく肩を押され、わたしの体は寝台に沈む。
「宇髄さんは僕らのことガキの恋愛だって言うけど、君もそう思う?」
霞柱は両手をわたしの顔の横につき、覆いかぶさるようにわたしを見下ろす。窓から差す月光が、霞柱の顔を照らしていた。たしかにわたしは、どこか心の隅では彼のことを”少年”として見ていたのかもしれない。しかし今この瞬間の霞柱は、目を逸らしたくなるほどの色気をまとっていた。
「でも僕は君が思うほど、子どもじゃないと思う。だって本当は、今すぐナマエを……」
そう言って彼は口をつぐむ。そして、ゆっくりとわたしに顔を近づけた。わたしは恥ずかしくて、息が詰まりそうで、ギュッと強く目をつむる。
おでこに温かくて優しい感触がした。ちゅ、と可愛らしい音を立てて、霞柱の唇は離れていった。
「今度の任務から帰ってきたら、君の体に触れてもいい?」
霞柱はわたしの頬を撫でながら問うてくる。
「…どうして、そんなこと聞くんですか」
「だってナマエが嫌なことはしたくないから」
それから霞柱は、「ねぇ、いい?」と甘えたような声で尋ねる。言っていることと、やっていることが矛盾している。そんな風に頼まれたら、嫌だとは言えまい。
わたしが黙って頷くと、霞柱はにこりと微笑んだ。わたしの大好きな顔だ。そうして、静かにわたしの寝台から降りる。
「絶対に生きて帰ってきたい理由ができた」
「大げさですね」
わたしは恥ずかしさを隠すように、笑いながら体を起こした。
「最後に一つだけ教えて」
「なんでしょうか?」
「僕は…君の生きる理由になってる?」
霞柱の目は真剣で、どこか儚げな光を放っていた。わたしは迷うことなく、彼に頷いて見せる。
「もちろんですよ。わたしは、どこまでもあなたと共に生き抜いていくつもりですから」
「……そう、よかった。本当に、よかった」
そして最後にもう一度だけわたしの手を握ると、霞柱は部屋を去っていった。静かな長い夜だった。そして床についたわたしはというと、霞柱が任務から帰ってきたあとのことを考えてしまい、なかなか眠りにつけなかった。
霞柱の言う通り、きっとわたしたちは、お互いにお互いが”生きたい理由”になっているのだ。愛しい人がいるからこそ、死にたくない、絶対に生きて帰りたい。その想いがわたしたちを、これまで以上に強くする。それを見てもなお、周りはわたしたちを「子どもの恋愛」だと言うだろうか―――?
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ちなみに霞柱はあれから1週間も経たずして、任務から帰ってきた。同行した隊士から話を聞くと、超人的な集中力で鬼を仕留めたとのこと。そんな彼の原動力がなにであったのかは、このわたししか知らないだろう。
だが、そんなこともまた、”幸福”に感じるのだった。
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