3.取ってつけた応援

それからというもの、宇髄さんの後輩たち3人は、時折お店に来てくれるようになった。部活帰りなのか、大体いつも剣道着が入っているような大きな袋や、竹刀袋を背負って現れる。炭治郎くんと伊之助くんは大体晴れ晴れとした顔なのだが、善逸くんだけはいつもへとへとな顔をしていた。
そうそう。彼らは口々に「苗字で呼ばれ慣れてない」「苗字だと距離感がある」と言うものだから、仕方なくわたしは3人を名前で呼んでいる。クラスの男子でさえ名前で呼んだことがないのに、と少しだけおかしくなるのだけど。


5月の下旬に差しかかっている今日も、3人はやってきた。思い思いにメニューを注文したあと、彼らは賑やかにお喋りをはじめる。ときどきそのお喋りの輪にわたしを交えてくれるのだが、そのたびに少しだけ困ってしまう。通う高校が異なり、部活動にも入っていないわたしは、彼らと共通の話題がほとんどない。そんなわたしに気を遣って話を回してもらうのが申し訳なかった。
だから、わたしは彼らの時間を邪魔しないよう、3人が来るときはいつにも増して自分の仕事に集中するようにした。どこ高校の誰が強いとか、体育のなんとか先生の体罰がひどいとか、なんとか先生の授業が怖いとか、購買のあのパンが美味いとか…そんな話の切れ端を耳にしながら、わたしは彼らに飲み物や食事を運んだ。

一通りの業務を終え、時間ができると、わたしは空いているテーブルを拭いたり、ナプキンを補充したりと雑務をこなす。その間も3人は談笑しながら食事をしているのだが、ふと視線を感じるときがある。そして、その視線がする方をたどると、いつもそこには善逸くんがいた。わたしと目が合うと、彼は”しまった!”と言うように大げさに肩をビクつかせるのだが、慌てて取り繕うようにへらっと笑顔を見せる。そのたびにわたしは首を傾げそうになるのだけど、結局いつも軽く会釈をして自分の仕事に戻るのだった。

今日は3人が最後のお客さんだったため、会計を終え、見送ったあとは、ドアに「CLOSED」の看板をかける。レジ締めはほぼ終わっていたし、ほかにやる業務はないだろうか、と宇髄さんに尋ねようとしたが姿が見当たらない。キッチンをのぞいてみると、彼は壁に貼ってあるカレンダーを眺めていた。つられてわたしもカレンダーを見ると、来週の土曜…6月に入って最初の土曜に赤丸がついており、日付の下には「店休み」と書いてある。
「あれ?来週の土曜、お店閉めるんですね」
そういえば、シフト入ってなかったなあと思いながら、宇髄さんに声をかけた。彼は、ん、あぁ…と曖昧な返事をしたあと、じいっと食い入るようにわたしのことを見る。
「お前、来週の土曜、暇なのか?」
「えっ?…まあ、特に予定はありませんけど」
「そうか……なるほど、こりゃあいい考えかもしれねぇな」
宇髄さんはうんうん、としきりに頷いたあと、最高に男前な笑顔を見せてこう言った。
「おい、ナマエ。来週の土曜、俺に付き合え」

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約束の土曜日が来た―――のだが、あろうことかわたしは『大寝坊』してしまった。
ベッドから起き上がり時計を見ると、それは家を出る10分前の時刻……。わたしは大慌てで近くにあった洋服に袖を通し、顔を洗い、髪を整えると、家を飛び出した。

「え、お前男と会うとき、そういう格好で来るの?シンプルすぎねぇ?」
待ち合わせ場所に着くと、宇髄さんが怪訝そうな顔でわたしを見下ろした。たしかに今日のわたしはラフすぎるかもしれない。黒のスキニージーンズに、ややオーバーサイズの白いTシャツ。足元は動きやすいスニーカーだ。…もう、この格好でバイトができるのではないかというくらい、シンプルだった。それに対して、宇髄さんはもう派手派手だった。奇抜な柄シャツに、赤いパンツ。ピアスもしっかりついている。それでも、この人にしっかり似合ってしまうのだから不思議だ。
「ったく、せっかくなんだから、もうちょっと着飾って来いよ」
「すみません、寝坊してしまって……」
というか、”せっかく”ってどういうことなんだ。まさか、このまま宇髄さんとデートをするわけではあるまい。そう腑に落ちないでいると、
「なんだよお前。天元様とのデートが楽しみすぎて、夜も眠れなくて寝坊した…って、そういうことじゃなかったのか?」
と逆に驚いたような顔をしてくる。
「常識的に考えてあり得ないでしょう、宇髄さんとわたしじゃあ…」
「たしかに派手さのバランスは釣り合ってねぇが、年の差カップルってのは世の中にごまんと存在してるんだぜ」
ふざけてわたしの肩を抱こうとしてくるので、その手をするりと避け、「で、今日は一体なんなんですか?」と改めて尋ねる。
「おう、それは着いてからのお楽しみ…だ。行くぞ」
宇髄さんはニヤリと笑うと、先に立って歩きはじめた。


到着したのは都内でも有名な”武道館”だった。しかし足を運ぶのは初めだ。そして、この武道館の前には『関東高等学校剣道大会』という大きな看板が掲げられている。
「女子高生が応援に来れば、あいつらもちっとはやる気が出るだろうと思ってな。OBの粋な計らいだ」
宇髄さんがわたしの背中を軽く叩きながら言った。
「むしろ、わたしなんかが来て迷惑なんじゃないですか…剣道のルールだって知らないのに」
「ちゃんと俺が教えますよ、お嬢さん」
「でも……」
ほら、行くぞ!と言って宇髄さんが歩き出すので、戸惑いながらも後に続いた。

この途方もなく大きな建物に入り、ロビーのようなところを抜けると、そこは人でいっぱいだった。選手と思しき袴姿の者や、制服姿の生徒、保護者のような大人たちなど、さまざまな人が入り乱れている。そんな中、「おっ」と声を上げた宇髄さんは、その人並みをかき分けズンズン進んでいく。
「本当最悪だよ…俺は嫌だって言ってるのに、体調が悪いって言ってるのに、なんで棄権させてくれないの…っていうか、どんだけ俺のこと叩くんだよ、もう耳から脳みそ出るかと思ったよ、爺ちゃん厳しすぎでしょマジで……」
このようにブツブツ恨み言を連ねながら歩いている男の子の前で、宇髄さんは止まった。そのトレードマークとも言える金髪を見て、それが誰だかわたしでもわかった。
「おい、なーにぶつくさ言ってんだ」
宇髄さんが腰に手を当てて、彼をのぞきこむ。チラリと視線を上げたその人は、死んだ魚のような目をして「なんだ、あんたか…」と言ったあと、宇髄さんの後ろにいるわたしを見て数秒固まった。

「うっ、うわぁああぁあっ!!ナマエちゃんっ?!な、なんでここに…?!」
「俺様が連れてきてやったんだ、感謝しろよな」
「いっ、いやいやいや!そういう大事なことは先に言ってくれないと、俺のモチベーションに深く関わるから!!」
善逸くんは先ほどまでの表情とは打って変わって、大きな声で喚きはじめる。しかし、その目の下には濃い隈があり、両頬は赤く腫れあがっていた。
「善逸くん、それ…大丈夫?誰かにはたかれたの?」
「えっ?!うそ…ナマエちゃん、俺のこと心配してくれてるの……?」
善逸くんは乙女のように両手を頬に添えると、とろけるような笑みを浮かべた。
「うん!これね、全然大丈夫!師範の爺ちゃんがめちゃくちゃ厳しい人でさ、俺が試合を拒否したら思いっきりビンタしてきたの!でも、いつものことだから!!」
なんとも過激な師範を持ったものだな、と思いながらも、とりあえず善逸くんが元気そうなので安心する。

「ま、こいつこう見えて、結構期待されてる男だからな。部活でも、家でもしごかれてんのよ」
宇髄さんがフォローするように話すので、ちょっとだけ納得してしまう。炭治郎くんや伊之助くんがどれほどの強さなのかはわからないが、部活帰りにお店に寄ってくれるとき、誰よりもへとへとな顔をしているのはいつも善逸くんだったからだ。
「ところで、炭治郎たちは?」
「ああ、今は控室にいるはず。案内しましょうか?」
「おう、頼むわ」
そうして宇髄さんが善逸くんと一緒に歩き出そうとしたので、慌てて声をかける。
「あの、宇髄さん。わたし先に観覧席に行ってていいですか?その…他校の生徒さんたちが集まる場所に行くの、少し気まずくて…」
試合前で士気が高まっている選手らが集まる場に、どこの誰かもわからない存在のわたしがのこのこ顔を出す勇気はなかった。正直、わたしは宇髄さんのお店で働いているただのアルバイトだし。善逸くんは思いっきり残念そうに眉を下げていたけれど、宇髄さんはすぐにわたしの気持ちを察し、
「んじゃ、あとで落ち合おう。このまま真っすぐ行って左手にある階段をのぼればいい」
と言ってくれたので安心した。そうしてわたしは彼らに背を向けようとしたけれど、なんにも言わないんじゃあ失礼かなと思い、「あ、善逸くん、頑張ってね」と取ってつけたような応援をしてしまう。
しかし、善逸くんはそんな言葉にも大変喜んでくれて、
「うん!俺めちゃくちゃ頑張るから!!絶対観ててね、俺だけを観ててよねっ!!!」
と目をキラキラさせながら拳を強く握るのだった。そんな彼に曖昧に微笑んでから、わたしは今度こそ彼らに背を向けた。




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