わたしの目の前には産屋敷邸があった。その大きな門構えを見ているだけで足が震え、喉が渇き、掌がじっとりと汗ばんでくる。今からこの門をくぐり、お館様にお会いしなければならない。
「ミョウジナマエ!3日後ニ、産屋敷邸ヘイケ!オ館様ガ、オ呼ビダ!」
わたしの鎹鴉がそう告げたのは、任務から帰ってきた夕刻のことだった。また鬼の頸を切れず落ち込んでいたわたしは、その伝令を聞いて震え上がった。わたしのような新米隊士にお館様から直接お声がかかるなんて、きっとただ事じゃないだろう。どうしよう。本当にどうしよう。目の前が真っ暗になった。
「ミョウジナマエ!ワカッタカ?!3日後ニ、産屋敷邸ダ!ワカッタラ、返事ヲシロッ!」
鎹鴉が肩にとまり、冷や汗をかき続けるわたしの頭を一突きした。
「………はい」
わたしの口から出たのは、喉から絞り出したような掠れた声だった。
そして3日後を迎えた本日、わたしは産屋敷邸にやってきた。あれからずっと、わたしがお館様に呼び出されるべき理由について考えていたが、たどりつく答えは一つだった。
「(わたしが弱いからだ)」
わたしが弱すぎて、使い物にならないからだ。だから今日は”クビ”を宣告されるに違いない。それ以外の理由は考えられなかった。
わたしがこれまでに頸を切った鬼の数は2匹。しかも、うち1匹は、最終戦別が行なわれた藤襲山で切った鬼だ。つまり、正式な鬼殺隊士となってからのわたしは、”たったの1匹”しか鬼の頸を切れていないのである。一隊士となって半年が経つというのに、だ。
そんな自分が本当に不甲斐なくて、仲間の足を引っ張ていることが申し訳なくて。しかしどんなに鍛錬を積んでも、わたしの刃が鬼の頸を切ることはなかった。歯がみする毎日だった。わたしが鬼殺隊を名乗る資格などないと、何度思ったことか。
それが今日、しかるべき人物によって、わたしの鬼殺隊としての資格を正式に剥奪されるのだ。そうに違いない。わたしは汗ばんだ掌をぎゅっと握る。ひとつ大きな深呼吸をしてから、美しく敷き詰められた砂利を踏みしめ、お館様の待つ屋敷内へと足を踏み入れた。
+ + + + + + + + + + + + + + + + + +
「よく来たね、ナマエ。顔をおあげ」
初めてお会いするお館様は、心地良い涼やかな声で話される、不思議な方だった。この方が、お館様。口元に優しい笑みをたたえ、わたしを見つめていた。わたしは緊張で手が震え、それが全身の震えへと変わり、上手く声が出せなくなる。
「あっ、あ、あの…お、お館様…」
「そんなに緊張しなくていいんだよ」
お館様は相変わらず優しく微笑む。今日わたしはこの方から、”クビ”宣告を受けるんだ。そう思うと、なんだか涙が出てしまいそうだった。
「今日ナマエを呼び出したのには、特別な理由があるんだ。きっと、ナマエにとって悪いことではないはずだよ」
わたしは体がピタリと固まった。
「と、特別な、理由?」
お館様は静かにうなずく。
「ナマエ、君は“影の呼吸”を使う剣士だね。鬼の動きを完璧に理解し、模倣する――つまり鬼と一体化することで、奴らの攻撃を封じることができる。それは誰にでもできることじゃない。並外れた集中力と動体視力、そして血のにじむような努力があって初めて、この呼吸を使いこなせるんだ」
お館様はわたしの心を見透かしているようだった。だんだんと目頭が熱くなり、視界がぼやけていく。
「鬼との戦い方は一つではない。ただ頸を切ればいいということではないんだ。ナマエは戦いの場で、鬼の攻撃を最小限に抑えている。鬼の勢いを殺すことで、仲間たちが安心して鬼の頸を切れる。それがナマエの戦い方なんだよ。それをまず、わかってくれるかな」
わたしは手の甲でぐいと自分の目元をぬぐった。
「はい、お館様」
「だけど、君は悩んでいるね。ずっと苦しんでいる。だから、君にしばらく勉強の機会を与えたいと思う」
入りなさい、とお館様は襖の方へ声をかけた。すると「しっ、失礼しますっ!!」という裏返った声のあと、一人の男が緊張した面持ちで入ってきた。そしてわたしの隣に座る。見たことがない隊士だった。その男に向かって、お館様はやわらかく微笑んだ。
「ナマエ、彼は我妻善逸といって、君より1つ年上の先輩隊士なんだ。雷の呼吸を使っていて、瞬発力に長けた剣士なんだよ」
我妻、善逸?わたしは胸になにかもやもやとしたものが湧き上がるのを感じだ。どこかで聞いた名前だ。
「ナマエ、君はしばらく善逸のもとで学びなさい。共に戦いなさい。私は影の呼吸と雷の呼吸は相性がいいと思う。君たちが力を合わせれば、これまで以上に大きな成果を出せると思うんだ」
あっ…とわたしは思わず声をもらした。わたしの隣に座っている男、我妻善逸がちらりとこちらを見たが、黙ってお館様の話を聞いている。
「そして、剣技を磨きなさい。ナマエが望む戦い方を見つけるんだ。善逸と共に戦うことで、そのヒントを得られるはずだよ」
そう言って、お館様はまた菩薩のような笑みを浮かべた。わたしたちは同時に体を折り、お館様に頭を下げた。
+ + + + + + + + + + + + + + + + + +
わたしが鬼殺隊をクビになることはなかった。その代わり、非常に厄介な事態に巻き込まれてしまったのかもしれない。そう、先ほどわたしは思い出した、この”我妻善逸”という人物について。
『女性に手を出しまくってる、はしたない隊士がいるそうよ。我妻善逸っていう、金髪の人なの。しかもすっごく騒がしくて、しつこくて、一緒にいるとろくなことがないそうよ。泣きながら結婚をせがまれた人もいるんだって』
いつかの任務で、同期の隊士から聞いた言葉だった。まさか、その厄介人物がわたしの相方に任命されてしまうとは。正直、わたしはそういう不埒な男が大嫌いだ。そんな男から学べることなんてあるのだろうか?
「えっ?ちょっと…なんか、すごい怒ってない?お、俺、なんかした?」
産屋敷邸を出たわたしたちは、絶妙な距離を保ち、対峙していた。
「いえ、これからよろしくお願いします」
「あっ、うん、そうだね…よろしくね。えっ、でも待って、これからもずっとこの距離感で話すの?!」
騒ぎ出したわたしの相方となる男に背を向け、わたしは歩き出した。早速我々2人に任務が命じられたのだ。こんな荒療治で、本当にわたしは成長できるのだろうか…そんな一抹の不安を感じながら。
☞拍手☜