5.心臓は2度おどろく(後編)

剣道の試合は1試合4分の3本勝負。相手から有効打突を2本先取した方が勝ち、というルールらしい。このほかにも細かい決まりごとがあるらしいのだが、そんなことを宇髄さんに聞く暇もなく、善逸くんはまず1本目の有効打突を取得した。試合がはじまって、まだ1分と経っていないのに。
「えっ?」
声を上げたのはわたしだけではない。会場全体がザワついている。あまりに速すぎて、善逸くんが打突する瞬間が見えなかったのだ。相手選手―――わたしに気持ち悪く迫ったあの男子も、なにが起こったのかわからないといった様子で、竹刀を構えたまま固まっていた。しかし、間違いなく審判の旗は上がっており、それは善逸くんが有効打突を先取した、紛れもない証拠だった。

隣に座る宇髄さんの口から、くくく…と笑い声が漏れている。
「あいつ、また一段とスピード上げたな。こりゃあ、いい線行くぞ」
宇髄さんは善逸くんの動きを目で追えたのだろうか。2人の選手が開始線のある場所に戻るのを見つめながら、上機嫌な宇髄さんの笑い声を聞いていた。
「おい、あいつキメツ学園の我妻か?今年は個人戦なのかよ」
「ああ、団体戦に出るんだと思って完全に油断してた…」
後ろでこんな会話が繰り広げられている中、ゆったりと宇髄さんがわたしに顔を寄せてくる。
「聞いただろ?善逸はな、他校の奴らがビビるくらい、打突が速ぇんだ」
「たしかに、さっきは竹刀の動きがまったく見えませんでした…」
「だろ。あいつはこれまでずっと、スピードを極めて極めて極め続けて来たんだ。まるで馬鹿の一つ覚えみたいにな。でも、それが今じゃあ間違いなくあいつの武器になってるよ」

審判が声を上げ、2本目がはじまる。今度こそこの目で打突を見てやる、と善逸くんのことを穴が開くほど見つめた。しかし、今度は2人ともまったく動かない。それから1分、2分と時間が経過する。だんだんと相手選手の竹刀が揺れてきた。そろそろ我慢の限界なのだろう。

相手が足を踏み出した、と認識した瞬間、”パァンッ”と乾いた音が会場に鳴り響いた。誰もが息を呑んだ。宇髄さんだけが笑っている。一瞬だけだったが、善逸くんの竹刀が相手の面に叩き込まれる動きを見ることができた。でも、速すぎてそれが見間違えなんじゃないかと思えてくる。数秒の静寂の後、審判が慌てたよう旗を上げた。その旗は善逸くんが勝者であることを示している。
「実はあいつ、めちゃくちゃ耳がいいんだ。相手の動く音に即座に反応して、打突できる。だから強い」
互いに礼をし、下がっていく2人の選手を見ながら、宇髄さんが言った。でも、わたしはそれに対して「そう、なんですか…」と馬鹿みたいに気の抜けた調子で返すことしかできなかった。

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善逸くんはそのまま順調に勝ち上がっていった。彼が1本を取るたびに、会場からは感嘆するような溜息と、割れるような拍手が起きる。このまま優勝してしまうのではないかと、気づけばわたしの胸もドキドキとしていた。つい最近知り合ったばかりとはいえ、わたしの友達に違いない人物が、ものすごい勢いで試合に勝ち続けているのだから、興奮しないわけがない。

途中、宇髄さんは団体戦を観に行くと言って席を立ったが、わたしはそのまま個人戦を観戦するとにした。そんなわたしに「意外といいだろ、善逸」と宇髄さんがニヤニヤして見せたので、「意外といいですね、剣道」と返した。

決勝戦を迎えるころ、宇髄さんは戻ってきた。
「負けちった、あいつら」
あいつらとは炭治郎くんたちのことだろう。この大会はそれだけレベルの高いものなのかもしれないが、そんな中でも独り勝ちし続ける善逸くんは、なんだか異様な存在のように思えた。

善逸くんは当然のように決勝戦に残った。そして個人戦を締めくくる最後の対戦相手と対峙したとき、竹刀を構える善逸くんの雰囲気が変わった。面をつけていて表情がわからなくても、恐ろしいほど気迫に満ちていることがわかる。
「やっぱり残ったか、獪岳…」
うぅんと唸る宇髄さんを横目で見る。かいがく、とは相手選手の名前だろうか。
「あの男はな、善逸の兄弟子なんだよ」
「……えっ?」
自分が声を発した瞬間、勝敗を分けるあの乾いた音が鳴り響いた。しかし旗が挙げられたのは、善逸くんではなく相手選手。善逸くんが1本取られたのだ。
「…これは拮抗するぞ」
宇髄さんの言葉通り、2本目からの試合はこれまでとはまったく異なっていた。とにかくすごいスピードでの打ち合いだ。両者一歩も譲らず、むしろ善逸くんが押されているようにも見える。わたしは知らず知らずのうちに汗ばんだ手を握っていた。

ようやく善逸くんが有効打突を取得した。それも延長の末の1本だ。かなり難航していることがわかる。1本取ったあとの善逸くんは心配になるほど激しく肩で息をしていた。それでも、一瞬後には通常の呼吸を取り戻したようにすぐに背筋を伸ばし、竹刀を構える。反対に対戦相手はゆったりとした余裕のある構えだ。ときどき面の奥にキラリと白く歯が光る。笑っているのだ。

3本目がはじまった。これで勝者が決まる。
審判の声が上がった瞬間、善逸くんの体が動いた。しかし、相手の手首あたり(小手と呼ぶらしい)に向かって振り下ろされた竹刀は、いとも簡単に防がれる。
「おいおい、攻めるねぇ…」
宇髄さんの声にも心なしか緊張が含まれていた。
その後も善逸くんは攻め続けた。けれど、有効打突が入ることはない。試合は延長戦を迎えた。もう相手も笑っていない。

突然、相手選手が雄叫びのような声を上げて、1本を叩き込んできた。善逸くんはなんとかそれを防いだものの、パワーで押されている。それでも攻めなければと思ったのだろう。善逸くんが鋭い声を上げて足を踏み込んだ。その直後、あの”音”がした。その音は勝者が決まり、試合が終わる合図でもある。

審判が旗を上げた。その旗が上がったのは、相手選手の方だった。

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個人戦・団体戦共に優勝者が決まり、慎ましやかに閉会式が行なわれた。学校ごとに選手らが並んでいる中で、炭治郎くん、善逸くん、伊之助くんの顔を見つける。善逸くんはずっと伏し目がちで、浮かない表情をしていた。


「あっ、宇髄さん!」
観覧席を後にし、宇髄さんと館内のロビーまでやってくると、後ろから可愛らしい女の子の声がした。振り返ると、ウェーブした長い髪をなびかせて可憐な女の子が走ってくる。
「おう、禰豆子。お前も来てたか」
宇髄さんは彼女の頭にポンッと手を乗せると、「こいつは炭治郎の妹、禰豆子だ」とわたしに紹介する。たしかに、くりくりとした目が炭治郎くんにそっくりだ。にっこりと微笑む彼女にわたしは小さく会釈した。
「こちらの方は宇髄さんの彼女さんですか?」
無邪気に問うてくる彼女にわたしはギョッとする。否定しようとすると、宇髄さんが大きな手でわたしの肩を引き寄せた。
「派手さはちと足りねえが……まあ、いい女だよ」
「わたしは宇髄さんのお店でバイトをしているスタッフです」
彼の手を外しながら名を名乗ると、彼女…禰豆子ちゃんは「ナマエちゃんかあ、素敵な名前!」と初めて会ったときの炭治郎くんと同じようなことを言った。

そんな風に話しているうちに、わたしたちの周りには徐々に人が集まりはじめた。剣道着から制服に着替えを済ませた炭治郎くんに伊之助くん、それと彼らの友人と思しきポニーテールの女の子や、モヒカンヘアーの男の子もいる。
「宇髄さん、それにナマエ!今日は試合を観に来てくれて、本当にありがとう」
炭治郎くんが親し気に笑顔を見せてくれるので、わたしも「お疲れ様」と言葉を返す。
そんな彼は、ああそうだ、と急に声を弾ませた。
「俺たち、これから駅前のファミレスで打ち上げしようって話してたんですけど、2人もどうですか?」
そう言ってわたしと宇髄さんを交互に見る。
「そんなこと言って、俺に奢らせようって魂胆だろ、お前ら」
「えっ!!い、いや、そんなことは……」
「ったく、しょーがねえなぁ…今日だけだぞ!」
わたしが口を挟む間もなく、宇髄さんは彼らを先導するように歩きはじめる。そして他のメンバーは嬉しそうに声を上げながら、彼を囲むようにそれに続いた。

……困ったな。
わたしは、他校の知らない子たちに交じって楽しく食事をできるほどのコミュニケーション能力を持ち合わせていない。適当な言い訳をしてこの輪から抜けよう、と頭の中で言い訳を考えていると「あれ、善逸くんは?」と禰豆子ちゃんが言った。
「ああ、師範のお爺さんのところへ行っているらしい。打ち上げ場所は教えてあるから、あとで合流するだろう」
…炭治郎くんの言葉を聞いて、わたしはピンと来た。


―――わたしは「観覧席に忘れ物をした」と言って彼らの輪から抜け出すことに成功した。わたしが戻ってくるまで待つと彼らは言ったが、”あとで合流するから”と告げて彼らを先に行かせた。打ち上げが開催されるお店の名前を聞き出したけれど、残念ながらわたしはこのままおいとまする予定だ。少し汚いやり方ではあるけれど、自分の性格上、こういう選択をするのはやむを得なかった。
忘れ物を取りに行くフリをするため、わたしはもと来た道を戻っていく。館内のロビーを抜け、右に曲がろうとしたところで、左折してきた人とぶつかりそうになり慌てて足を止める。「わっ、すみません!」と降ってきた声に聞き覚えがあり、不思議に思って顔を上げると、そこには目を丸くした善逸くんがいた。




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