9.非日常体験

「ナマエ、昨日コンビニで他校の男子といなかった?」
翌日、学校に登校すると、開口一番友人がそう言った。
「コンビニなんて行ってないから、人違いじゃない?」
「そうかなぁ、金髪の男の子と一緒にいたと思うんだけど…」
友人が疑り深い目でわたしを見つめるけれど、「人違いだ」とシラを切る。女子と言うのは、自分以外の誰かが異性と接することに敏感だ。だから、わたしは自分が宇髄さんのお店で働いていることも言いたくない。イケメンの店長がいる店で働いているなんて!と、きっと騒ぐだろうから。

やはり、善逸くんたちとは慎重に接していかないと、あとあと面倒くさいことになりそうだな。…そんな風に考えていた矢先、善逸くん本人から電話がかかってきたのだから、飛び上がるほど驚いた。しかも、着信があったのは友人らとお昼ごはんを食べるちょうどそのときという、バッドタイミング。
昼休みに入ってすぐ、わたしは机の上に携帯を置いたまま、手を洗いに行った。教室に戻ってくると、「ナマエ、電話来てるみたいだよ」と友人が言う。その通り、わたしの携帯はぶるぶるとバイブレーションしており、しかも液晶画面には『我妻善逸』と噂の名前がでかでかと表示されているではないか。わたしは慌てて携帯を手に取ると、「ちょっとごめん」と言って教室を出て行った。友人らの刺すような視線が痛かった。

「あっ!!ナマエちゃん?ごめん、急に電話なんかしてっ…」
「う、ううん、どうしたの?」
電話に出ると、携帯越しの善逸くんはなぜか息を切らしていた。強風が吹いているかのような、ざわざわとした音も聞こえる。
「あのね、ちょっと確認してほしいことがあるんだけど…っ。昨日、ナマエちゃん、俺の化学のプリントをコピーしたでしょ?あれのねっ…俺のプリント、そのまま持って帰ってない?」
善逸くんの声の後ろで、車の通るような音がする。彼は外にいるらしい。
「実は今日、午後の授業でそのプリントを、提出しなきゃいけないんだけど、見つからなくて…っはあ…もしかしたら、ナマエちゃんが持ってるのかな、って……ふう」
「ま、待って!今見てみるから」
「う、ん!ごめんね、突然変なお願いしてっ」

わたしは携帯を握りしめたまま教室に舞い戻る。友人らの視線を感じながらも鞄を探ると、同じプリントが二枚出てきた。しかし、よく見るとその一枚はプリントの原本…善逸くんのものだ。思わず血の気か引く。
「ごめん!あったよ、わたし返し忘れてた…」
「あっ、本当?よかった!じゃあさ、それ、今から取りに行っていい?」
「えっ?と、取りに……?」
「っていうか、もうナマエちゃんの学校に向かってるんだけど、さっ…!はあっ、あと3分くらいで着くよ!」
あー!頑張れ俺!!という声と共に、携帯越しに聞こえる風の音が強くなった。どうやら善逸くんは、今、”走って”わたしの学校に向かっているらしいのだ。


わたしはプリントを持って慌てて校舎を出る。学校の近くで善逸くんと会うという状況に、なぜだかひどく緊張してしまい、下駄箱で革靴を履くのに手間取ってしまった。でも、彼はどこから来るのだろう。裏門の存在は知らないだろうから、正門だろうか。そう思って正門に向かうと、すでにそこには膝に手をつき、息を切らしている金髪少年がいた。
「あっ、ぜ、善逸くん…?」
「ナマエちゃんっ!突然ごめんね、本当っ……はあ、マジで、久々にこんなに走ったわ…っ」
善逸くんは弾けるような笑顔を見せて、汗を拭う。クリーム色のセーターとワイシャツの袖を捲っており、そこから見える腕が意外とがっしりしていて、さすが剣道部だなぁと思ってしまう。
「こちらこそごめんね、プリント持って帰っちゃって…しかも、こんなに走らせて」
「いいの、いいのっ!俺、脚力にはそこそこ自信があってさ!日頃の走り込みが、こんなところで役に立つなんてね」
すでに息を整えつつある善逸くんが、わたしからプリントを受け取る。ついでに校内の自販機で買ったスポーツ飲料を渡すと、彼は嬉しそうに笑った。

「ありがとね、ナマエちゃん。お互い学校が近くてよかったよ」
「そうだね……ん?」
そういえば、なぜ善逸くんはわたしの学校を知っているのだろう。自分から教えたつもりはないのだが。そう微かな疑問を覚えると、善逸くんが大慌てで声を上げる。
「あっ!違う、違うんだ!ナマエちゃんがどこの学校に通ってるのか、実は宇髄さんから聞いてて…ほら、俺はさ、駅の向こうのキメツ学園に通ってるんだけど!
まあ、あの駅が最寄りの高校ってうちの学校とナマエちゃんの学校しかないからさ、存在は知ってたというか……いや、でもやっぱこれってストーカーっぽいよね?!ご、ごめんね!」
相変わらず、わたしに行き過ぎた真似をしていないかと不安がる善逸くんにおかしくなってしまう。わたしのことはもっと雑に扱ってくれてもいいのに、善逸くんはいつも丁寧すぎるくらい丁寧な対応をしてくれるのだ。

「全然気にしてないよ、それよりわざわざ来てくれて本当にありがとね」
「い、いや、俺も2日連続でナマエちゃんの顔を見れてよかったっていうか…あっ!ち、違っ……ああーっ!!お、俺もう行くね!!」
善逸くんはごしごしと額の汗を腕で拭い、やや紅潮した顔を隠した。
「気をつけてね、慌てすぎて転ばないように」
「うん、そ、それじゃまた……」
くるりと背を向けた善逸くんは、数歩進んだ後こちらを振り返った。
「あの…」
「うん?」
「よかったら、また…一緒に勉強しない?」
わたしに断られるのを恐れているかのように、恐る恐ると言った様子で尋ねてくる善逸くん。それがちょっとだけ可愛かった。
「もちろん、日程はまた相談しよう」
「へっ……あ、うん!ありがとう!!」
それから善逸くんは大きくわたしに手を振って、あっという間に走って行ってしまった。たしかに、わたしの目から見ても善逸くんは足が速い。小さくなっていく背中を見ながら、ああ見えて体育で活躍するタイプの人なんだろうなと思った。

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教室に戻ると、案の定友人らから質問攻めにあう。けれど「もう昼休みが終わるから、お弁当を食べることに集中させてくれ」と言ってなんとかそれを交わす。卵焼きやプチトマトを口に運んでいる間もずっと心がふわふわしていたのは、他校の生徒である善逸くんが突然自分の学校に来る、という非日常体験をしたからだろうか。

お弁当を食べ終わった後、携帯をチェックすると、善逸くんからメッセージが来ていた。無事に自分の学校に着いた、という報告だった。また例の、独特な雀のスタンプが使われている。そんな彼のメッセージに、わたしも『お疲れ様』というメッセージ付きのスタンプを当たり前のように送った。




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