10.はじまる夏休み

その後、善逸くんたちとは2回ほど勉強会を行なった。初めて勉強会を開いた翌週と、翌々週に1回ずつだ。他の3人がどう感じたかはわからないけど、わたしは善逸くんから数学や化学の問題の解き方を教えてもらったり、炭治郎くん独自の暗記方法を伝授してもらったりして、かなり有意義な時間を過ごせた。(伊之助くんは問題は理解していなかったけど、英単語などを暗記する努力をしていたように見える)おかげで、今回の期末テストはいつもより余裕を持って臨むことができたし、もちろん赤点を取った教科はひとつもなかった。

期末テストが終わってからは、善逸くんたち3人は8月に行なわれる「インターハイ」に向けて部活の猛練習がはじまったらしい。毎日遅くまで練習しているらしく、彼らがお店に来る頻度も減った。

わたしは相変わらずバイトをするだけの日々で、この夏も特別な予定はなかったものの、夏休みは進学塾の夏期講習に参加することになっていた。高2の夏から受験の準備がはじまるのは覚悟していたこと。けれど、夏のあいだだけとはいえ、知らない塾で知らない生徒たちと一緒に授業を受けることは、憂鬱以外のなにものでもなかった。

そんなお互いの愚痴を、わたしと善逸くんは携帯のアプリを通して言い合う。善逸くんとメッセージをやり取りする回数は、少しずつだけど増えていた。平日だけでなく土日もやり取りをする。わたしが寝落ちして既読スルーしてしまうことは、相変わらずだったけれど。

―――そうして、わたしたちはあっという間に『夏休み』を迎えた。

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わたしが夏期講習に参加する塾は学校の近くにある。同じクラスの友人たちもその塾に通っているらしいけど、クラスが別々になってしまったので、結局知り合いのいないクラスで授業を受けることになった。

夏期講習初日、指定された教室に入ると、クーラーでキンキンに冷えた空気がわたしの肌を撫でた。あらかじめ席が決まっているようで、わたしは後ろから2番目の席に座る。隣にはすでに男の子がいて、教材を眺めたり携帯をいじったりしていた。
「君もここの塾生?」
わたしが席に着くと、すぐに話しかけてくるので驚く。夏期講習にだけ参加するのだと答えると、今度は「どこ校?キメツ学園?」とさらに質問を重ねてくる。この男子が苦手だと思った。しぶしぶ自分の高校の名前を口にすると、彼の知らない校名だったのか、曖昧な反応を示したので少しイラッとする。

それから彼は自分の名前と高校名を明かした。彼が通っているのは隣駅にある、少し偏差値の高い高校だった。彼も自分の頭がいいという自負があるのか、「わからない問題があれば、俺が教えてあげるよ」と馴れ馴れしい口調で話す。わたしは、ああ、うん、とか適当な返事をして携帯を開いた。こんな男の相手などせず、善逸くんのメッセージに返信しようと思ったのだ。

「そいつ彼氏?」
いつの前にかわたしの携帯画面を覗き込んでいた彼が言う。びっくりして携帯を自分の胸に引き寄せ、画面を見れないようにした。なんだこいつ?という沸々とした怒りが込み上げる。こういう距離感で接してくる人間がわたしは嫌いだ。
「勝手に見ないでくれる?」
「ごめん、ごめん。で、そいつ彼氏なの?」
「違うけど……」
「ふーん」
そして彼は自分の携帯を操作し、それをわたしに差し出した。『IDで友達を検索』という文言の下に、文字を入力するスペースが設けられたアプリ画面だ。
「君のID教えてよ」
「……は?」
「俺たち友達になろうよ、ここで会ったのもなにかの縁だし」
縁もくそもあったもんじゃない。ただ夏期講習を受けに来ただけの仲だ。わたしは黙ってその携帯を押し返す。彼と連絡先を交換する気などさらさらなかった。

「もしかして、さっきの男のことが好きなの?だから俺と繋がりたくないの?」
彼はなぜか善逸くんに固執している。馬鹿馬鹿しくて笑いたくなる。わたしが冷たい目で彼を見つめると、彼は諦めたようにアプリの画面を閉じた。
「まあいいや。この夏期講習が終わるまでには、俺の友達になってもらうから」
そしてなぜか、彼は満足そうな笑みを浮かべる。こんな奴と何週間も授業を受けなくてはならないのかと、わたしの気持ちはかなり落ち込んだ。

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夏期講習に通いはじめて1週間が経ったころ、善逸くんに一緒にご飯を食べないかと誘われた。その日は部活が早く終わる日らしく、夕方で終わる夏期講習と時間がかぶっていた。わたしはOKの返事を出し、当日いつものように塾に行った。

席に着くと、いつものように隣の男子がわたしに話しかけてくる。塾に通いはじめてからほぼ毎日、彼はわたしに連絡先を交換するよう頼んできた。彼は切れ長の目をした割とハンサムな顔立ちなのだけど、どこか人を馬鹿にしているようなふてぶてしさもあった。自分が落とせない女はいないとでも思っているようだ。だからわたしは頑なに彼の頼みを拒み続けた。

その日ラストの授業がはじまる直前の休み時間、携帯をチェックすると善逸くんからメッセージが入っていた。今日どこでご飯を食べるのか、何個かお店の候補を出してくれている。その返事を考えていると、また横やりが入った。
「なに?やっぱそいつと仲いいんじゃん、今日会うの?」
今度は画面を隠さなかった。隠したところで、この男は覗き見してくるのだ。
「あなたに関係ないと思うけど」
「俺じゃなくてそいつの相手ばっかしてんの、面白くないんだけど」
「なんでわたしが、他人であるあなたの相手をしなきゃいけないの?」
「うわあ、きっつ」
彼があざといハンサムな笑みを浮かべた。しかし、そんな顔をされたところでわたしの心は一ミリも揺れ動かない。そんな彼を無視して善逸くんに返事を打った。

それから何事もなく授業を受け終え、善逸くんと待ち合わせしている場所に向かったのだけど、ここで予想だにしないことが起こった。ファストフード店の前でこちらに手を振っている善逸くんに、わたしも手を振り返すと、彼は突然動きを止めた。視線がわたしの後ろを捉えている。不思議に思って振り返ると、そこには塾でさんざん絡んでくるあの男子がいた。

「あ、えっと…その人、ナマエちゃんの知り合い…?」
「知り合いっていうか、その……」
「どうもはじめまして」
彼はきざったらしく善逸くんに自己紹介をする。そして、「で、君が我妻くん?」といつもの馴れ馴れしい口調で質問した。
「そう、だけど」
「彼女と親しくしている男って、一体どんな奴かと思えば…ふーん、そういうことか」
彼は上から下まで、ジロジロと善逸くんを見る。そんな不躾な態度を善逸くんも快く思っていなかった。
「そういう君は誰なの」
「俺?俺はこの子と一緒の夏期講習に通っている、ただの塾生。ま、隣の席で仲良くさせてもらってるよ」
ね?というように彼がわたしを見たが、無視した。こんなストーカーみたいなことをする奴を知り合い認定するつもりはない。そんなわたしの気持ちを察してくれたのか、善逸くんが一歩わたしに近づいた。

「行こう、ナマエちゃん」
「あ、うん…」
善逸くんについて行こうとすると、突然左手にぬくもりを感じる。「ひっ」と声を出して振り返ると、あの男子がわたしの手を握ってニヤニヤしていた。
「なんでそんなにつれない態度とるの?友達になろうよ、ミョウジさん。それに我妻くんも」
手にじっとりとした熱を感じ、振り払おうとしても力が強すぎてびくともしない。あまりの気持ち悪さに半ばパニックになっていると、すぐさま善逸くんがわたしと男子の間に割って入り、彼の手首をギリギリと捩じり上げた。

「い、いってぇ……!お前、なにすん……!!」
「お前こそ、女の子になにしてんだよ」
男子はわたしの手を離したけれど、善逸くんはなおも彼の手を捩じり上げている。
「んだよ、ヘタレのくせに…女に媚びへつらいやがって……イテテテッ、折れる!やめろっ!!」
「ナマエちゃんに嫌がることをする奴は、俺が許さない」
「善逸くん!!」
たまらなくなって声をかけると、善逸くんはハッとしたようにこちらを見た。そして慌てて手を離す。男子は肩で息をしており、わたしたちをひと睨みすると、そのまま速足で雑踏に消えて行った。




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