2.逆鱗

「ねえぇ…ちょっとさあ、君、なんとかしてよぉ…」
うしろから情けない声をかけられたので、くるりと振り返る。わたしの先輩隊士であり、お館様からの命を受け、実質わたしの”相方”となった我妻善逸が声を上げたのだ。
「どうかしましたか?」
「君、さっきからずうーっと怒ってるけどさ…この先もそんな調子でいくわけ?これじゃあ一緒になんて戦えないよぉ!」
そう言って情けなく眉を下げる彼を見て、ハッとした。たしかにこの人は不埒ではしたない、どうしようもない男…だと聞いている。しかし、だからと言ってわたしが彼を怒り、無下にしてよい理由にはならない。なぜなら彼は、わたしの相方にとお館様が直々に指名なさった剣士であり、そしてわたしよりも遥かに高い剣技を身につけた人物に違いないからだ。たとえ嫌悪感を抱いていたとしても、これからこの人にさまざまな教えを乞わないといけないのだから、後輩のわたしが不遜な態度を取ってはならない。
「…失礼しました、我妻さん」
「へっ?!いや、別に俺は君を責めているわけじゃ…」
わたしが頭を下げると、彼は慌てたような声を出した。そしてわたしの隣に並んで歩きだす。我々は任務先である、町はずれの山を目指しているところだった。

「あっ、そ、そうだ。腹減ってない?任務の前に腹ごしらえしてから行こう。ご馳走するよ」
どうやら、彼はわたしにとても気を遣っているようだった。無理もない。ろくに鬼の頸も切れない後輩隊士を急にあてがわれ、手本になれ、などと言われたら、誰でも戸惑うだろう。むしろ、迷惑に思っていてもおかしくない。そんな相手に失礼な態度を取ってしまった自分が情けなく思えた。
「…そうですね。なにか食べましょう」
「うん、行こう行こう」
目的地の山は町を抜けた先にあるということもあり、わたしたちは町に立ち寄ることにした。

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蕎麦屋の暖簾をくぐり、わたしたちは向かい合って座る。彼は天ぷら蕎麦を、わたしはたぬき蕎麦を頼んだ。重苦しい沈黙がわたしたちを包む。
「あ、のぉ…」
「はい」
視線を上げると、彼が苦笑いをしながらこちらを見つめていた。
「その、君のことさ、いろいろ教えてもらえないかな〜と思って…」
「わたしのこと…」
「あっ、そ、その!変な意味じゃなくてね?!というか、こういうときは俺の方から自己紹介するのが筋だよね!」
彼はそう言って湯飲みの茶を一息に飲み干すと、やや緊張した面持ちで自身について話しはじめた。我妻善逸という名であること。雷の呼吸を使うこと。これまでに対峙した鬼のこと。自分は強くないので、わたしの手本になれるのか正直不安であること…などなど。
「待って、俺、君のこと不安にさせた?させたよね?でも俺も不安なんだよね!どうしよう、俺、人になにかを教えたことなんてないし、ましてや相手が女の子だなんて…」
女の子と、という言葉に、少しの不快感を抱いてしまう。すると彼は青ざめた顔でわたしを見つめた。
「ああっ、俺なんかまずいこと言った?!ごめんね?!」
「あの…それよりも、我妻さんは、わたしの気持ちがわかるんですか?」
不快な気持ちを顔に出したつもりはないのに、それが彼に伝わってしまっていることが不思議だった。そういえば、わたしが怒っているときも、それがそのまま彼に伝わっていたっけ。
「…実はさ、俺、すごい耳がいいの。昔からなんだけど、相手の思っていることや状態が、音になって聞こえるんだ。だから、悲しいとか、楽しいとか、嫌だとか、痛いとか、そういうのがわかっちゃうんだよね………って、あああぁごめん!!引いた?引いたよね?でもっ、別にいやらしい意味で君の音聞いてるわけじゃなくてね?!俺だって極力聞きたくないよ、だって君、女の子なんだからさぁ!」
また、女の子、と言われた。その苛立ったわたしの音は、また彼に聞こえてしまったようだ。今や彼は涙目になっている。
「やっぱ怒ってる?俺の耳がいいの、気持ち悪い?違う?一体なにに怒ってるの?!頼むから教えてくれよぉお!」
ほぼ泣いている彼とわたしの前に、注文した蕎麦が運ばれてきた。ふわりと鼻をくすぐる甘い出汁の香りに、食欲が刺激される。
「いただきます」とわたしが言うと、彼は少しだけ鼻をすすって「…いただきマス」と続いた。

つるりとのど越しのいい蕎麦が、滑るようにわたしの胃に吸い込まれていく。そうして蕎麦を食べ進めながら、困ったな、と考える。耳がいいという彼の特性を気持ち悪いとは思わない。しかし、そのせいでわたしの気持ちがいちいち伝わってしまうのは困りものだ。現に、わたしが不快感を覚えるたびに、彼は過敏に反応してしまう。そんな風に考えていると、いつの間にか蕎麦を食べる手が止まっていて、「どうしたの?」と彼が上目遣いでこちらを見ていた。
「あの…我妻さん」
「ん、なに?それから俺のことは、善逸でいいよ」
「正直に、言いますね」
「…えっっ?」
彼は驚きのあまり、手に持っていた箸を落としてしまう。そしてなにを期待しているのか、みるみるうちに顔を紅潮させた。
「なになになに?!うそ、俺まだ心の準備がっ……」
「わたし、我妻さんみたいな人、苦手なんです」
「………………へ、」
彼が石像のように固まった。自分が失礼で、残酷なことを言っているのはわかってる。でも、自分の気持ちが間接的に、”音”という形で伝わってしまうよりは、きちんと言葉にして伝えたほうがマシだと思ったのだ。そうしてほどよい距離感でいられるほうが、のちのちお互いのためになる。
「我妻さん、実は有名なんです。その…女性にだらしない、不埒な隊士だ、って。女性であれば、誰彼かまわず手を………」
「―――待って」
我妻さんが右手を突き出した。止まれ、の意なんだろう。わたしはぐっと言葉を飲み込む。
「あ…はい」
「君、名前は」
「は…ミョウジ…、ナマエです」
「そう、ナマエね。うん、ナマエ。よく聞いて、俺の話をよく聞いて」
「…はい」
「その噂、どこが発端かわからないけど、これだけは言わせて。俺はね、ナマエが思うような色魔なんかじゃないの」
彼は、いまだに右手を突き出したままだ。うつむいている顔からは表情が読み取れない。しかし、確実に不穏な空気が流れており、わたしは居心地が悪くなってきた。
「たしかにね、女の子は好きだよ、俺は。だって男だもん。女の子が嫌いな男なんている?いないよね?あの堅物の炭治郎だって絶対好きだよ、女の子。だって女の子は可愛いじゃん。やわらかいし、いい匂いするし。だから可愛いなって思うの、仕方ないでしょ?だってそうなんだもん!そう思っちゃうんだもん!!近くに女の子がいるだけで、俺はもう幸せになれるんだよ!!!!」
バンッと彼の右手が蕎麦の乗った盆を叩いた。蕎麦のつゆが彼の隊服の襟を濡らすがお構いなしだ。わたしはだんだん怖くなってきた。
「なのにさ、なんなの?!俺が、女の子に、手を…?!はああぁぁ?!どこ情報ですか?手ェ出したことなんて、ありませんけど?!むしろ女の子の手すら握ったことないんですけど?!この17年間、い・ち・ど・も!!!
あ、夢の中で女の子の手を握ったことはありますけどね!でも!しょせん!!夢の中の話なのでっっ!!!!」
アーーーッ!!こんなこと言わせんなーっ!!!と頭をかかえて叫ぶ目の前の男に、わたしは恐怖すら覚えた。店の中で、こんなに人の目がある場所で、これほどにも感情を爆発させられる人間がいるなんて。わたしが確実にまずいことを言ったのだ。言ってしまったのだ。
「あ、我妻さんっ」
「”善逸”だろぉが!!!」
「ぜ、ぜ、善逸さんっ、ご、ごめんなさい!勘違いして、ごめんなさい!」
もうどうしていいかわからず、床にひざまずき、手をついて謝ろうとすると、「えっ、ちょ、なにやってんの?!」と腕を引かれ、無理やり立たされてしまう。
「ごめんなさい…」
「い、いや、ごめん!俺のほうこそ、ごめんね…取り乱した」
そうして、改めて向かい合って座るわたしたち。お互いに、ひとつ大きなため息をつく。任務の前だというのにすでに疲れ果てていた。そしてどちらからともなく、また残りの蕎麦をすすりはじめる。
「と、とにかくね、俺のことをその…信用して欲しいわけ!たしかに、たしかに俺は女の子が好きだよ!でも無条件で手を出したことなんてないよ!もちろん、君が女の子だから襲おうだなんて思ってないしさ……うん」
「はい…」
「ちゃんと、君の力になりたいしさ………」
「はい……」
「だから…その…」
歯切れの悪そうな顔で、彼はこちらを見た。そして照れたような、困ったような笑みを浮かべる。
「だから…これから、よろしくね」

軟派だし、騒ぎ出したら止められないし、正直ちょっと普通ではない。…けれど、たぶん悪い人ではないのだろう――そんな善逸さんが、わたしの相方になったのだった。





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