2.日暮れのささめきごと(前編)

翌日、わたしが竈門くんと付き合うことになった、という噂はクラス中、いや学年中に広がっていた。
「恋が実ってよかったな!」と竈門くんをお祝いする声、「炭治郎くんのことを好きな素振りなんてなかったのに、どうして付き合うことになったの?」とわたしに疑問を呈する声など、友人たちの反応はさまざまだった。それもそのはず。別にわたしたちは好き同士で付き合ったわけではない。というか、そもそも竈門くんのアレが告白だったのかさえも疑問だが。

だって彼はわたしの秘密の場所で待ち伏せした挙句、弱みにつけこんで正々堂々を脅してきたのだ。わたしもわたしで、その執念深さに半ば折れる形となり、また互いに利害が一致したことから、彼の申し出……つまり”交際”を渋々受け入れることになったのだ。

しかし、そんな経緯を包み隠さず伝えてしまえば、周りはいよいよわたしたちを奇異の目で見るだろう。そのため、わたしたちはあくまで「好き同士で付き合うことになった」…そういうことにしておこうと、事前に竈門くんと約束した。


「あのさ…ミョウジって、本当に炭治郎と付き合うことになったの?」
授業の合間の休み時間、隣の席の我妻くんが声を潜めて聞いてきた。彼は竈門くんの親友の一人だ。やかましく感情的な性格のせいで女子人気は最低(それでいてモテたい願望は強いらしい)という残念な男子だが、竈門くんと比べれば彼の方が理知的な人物のように思える。
「まあ…うん、そうだね」
「なぁんか歯切れが悪いなぁ。だってミョウジ、炭治郎なんか全然タイプじゃないって言ってたじゃん」
「それは…まあ、そうなんだけど…」
「どうしたんだよ急に。いきなり炭治郎が好きになった、なんてことないだろ?」
訝しげな表情で尋ねてくる我妻くんに、一瞬だけ、洗いざらい本当のことを喋ってしまおうかと思った。だがそうするよりも前に、わたしの恋人となったあの男がやってきたので、口をつぐんだ。

「善逸、ミョウジとなんの話をしてたんだ?」
ニコニコしながら現れた竈門君は、無邪気に問いかける。
「ん、お前とミョウジのことについてだよ。お前らが付き合うなんて意外すぎるからさ」
「ああ、そのことか。たしかに、正直に言うとこれは俺の一方的な……」
「竈門くん」
そのままいらないことをペラペラ話してしまいそうな彼の言葉を慌てて遮る。竈門くんはキョトンとしたあと、笑いながら頭をかいた。
「うん、一方的に俺がミョウジを好きだったんだけど、根負けしてくれたというかさ…」
「そ、そうね。そういうこと」
「ほんとにぃ?なんか、ミョウジらしくないんだけど」
我妻くんはなおも首を傾げてわたしたちを見る。
「ちょっと、難癖はやめてよ我妻くん。竈門くんに先に彼女ができたからって、抜け駆けされた〜とか思って、ひがんでるんじゃないの?」
「なっ……!なんてひどいこと言うのミョウジ!まあ、たしかにその気持ちはゼロじゃないけどさぁ!!」
このときばかりは、しょうもない煽りに乗ってくれる我妻くんの性格に感謝した。それから話はなんとなくうやむやになり、間もなく次の授業を告げるチャイムが鳴った。竈門くんはわたしの横顔を数秒見てから自分の席に戻った。

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この日は、竈門くんが例の猫を家に連れて帰る日だった。付き合うことになった次の日に、約束通りこの野良猫を飼ってくれることになるなんて、なかなか行動力のある人だなと思ってしまう。

下校時間になると、竈門くんと一緒に体育倉庫裏に行く。わたしたちの足音を聞いて、あのキジトラ柄の猫がすぐに草むらから出てきた。わたしのスカートに伸び上がるように両手でしがみつき、甘えた声を出す。その猫の脇に手を入れ抱き上げると、抵抗することなくわたしの腕の中に納まった。
「じゃあ、行こうか」
と言う竈門くんの言葉に頷き、わたしたちはそのまま猫を連れて学校を出た。

「なあ、ミョウジ。ひとつ聞いてもいいか?」
「なに?」
「ミョウジにとって俺は、全然タイプじゃない男だったのか?」
竈門くんは前を向いたまま、責めるでもなく穏やかに尋ねてくる。どうやら、我妻くんとの会話がしっかりと耳に届いていたようだ。
「ああ…うん。そうだね、正直タイプではない、かな」
「そうか」
そして竈門くんはピタリと足を止めると、わたしの方に顔を向ける。
「じゃあ、俺はどうすればミョウジのタイプの男になれるだろうか?」
「は、」
「俺は、ミョウジが好む男になりたいんだ。それも一日でも早く。だから、俺に直してほしいところや、やってほしいことがあれば、なんでも言ってほしい!ミョウジのためだったら、どんな努力でもして見せる!」
竈門くんはわたしと付き合うことに対して、並々ならぬ闘志を燃やしているらしい。
「いや、別にこうしてほしいとか、そんなのないよ…だって、まだ竈門くんのこともよく知らないし」
戸惑いながらわたしが答えると、竈門くんはなにかに納得したように深く頷いた。
「たしかに、俺たちはまだお互いのことをなにも知らないな。うん、その通りだ…」
そして、一人ブツブツと言いながらまた歩き出す。変な人だなぁと思いながら彼に続くと、腕の中の猫が、にゃん、と可愛い声を上げてわたしの首に頭をすりつけた。

「ミョウジ、このあと時間あるか?その猫をうちに届けたあと、という意味なんだが」
「え、まあ…今日はバイトがないから、時間があると言えばあるよ」
「よし!じゃあ、この猫の住まいを見せるという意味でも、うちに上がってくれないか?」
「か、竈門くんの家に……?!」
「ああ!うちは兄弟が多くて賑やかだが、みんないい子たちばかりだ。ミョウジに迷惑をかけることはないだろう」
いや、問題なのは迷惑がかかるかとか、そういうことではない。まだ好きになっていない男子(一応、恋人だけど…)の家に上がるというのは、どうなんだろうか。というか、竈門くんは自分の兄弟たちにわたしを紹介するつもりなのか。それはやめてくれ!と思うも、竈門くんはそんなわたしの気持ちに気づいていない。そして結局、よい断り文句はないものかと頭を悩ませているうちに、竈門くんの家に着いてしまった。

”竈門ベーカリー”と看板のついた、可愛らしいパン屋さんが目の前にある。店内はたくさんのお客さんで賑わっており、また店の外にまで美味しそうなパンの香りが漂っていた。
「ここがうちなんだ、遠慮なく入ってくれ!」
竈門くんは店内のお客さんに挨拶をしながら、わたしを先導して店内奥へと進む。家の中へと続くドアを開けると、いったんわたしから猫を抱き上げ、靴を脱いで中に入るよう促してくれた。





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