7.ザラメ糖を噛み潰したような

わたしの心の内を竈門くんに知られた日から、不器用に進んでいたこの交際関係は完全に竈門くんのペースとなった。
具体的にどういう風になったのかというと、まず、わたしたちは週1回必ずデートをした。天気のいい日は海浜公園やレジャー施設に足を伸ばしたし、雨が降る日は映画館や美術館に行った。デートではいつも竈門くんがリードしてくれて、わたしはそんな彼についていくだけだった。

わたしたちは手も繋がないし、肩を寄せ合い歩くわけでもない。けれど、竈門くんはデートの終わりに必ず「キスがしたい」と言った。わたしは溶け落ちてしまいそうなほど顔が熱くなるけれど、どうしても「いいよ」と言うことができなかった。そうすると、竈門くんは少しだけ寂しそうな顔をしてから「帰ろう」と言ってくれるのだった。

それから、わたしたちは毎日連絡を取り合っていた。ときどき電話もした。大体、竈門くんから連絡が来て、気づいたときにわたしが返信する。話題は他愛もない話ばかりだけど、竈門くんはよく兄弟たちの様子や猫の様子を写真に撮って送ってくれる。どれも顔がほころぶような写真だ。

そういう”お兄ちゃん”な竈門くんは嫌いじゃなかったし、思わずメッセージを送る手も軽やかになるのだけど、竈門くんはそういったメッセージのさ中、突然「ミョウジのことが好きだ」と愛を伝えてくる癖があった。すると、たちまちわたしの体は沸騰してしまうので、落ち着くまでは枕に顔を埋め、メッセージを送るのを断念する。


そんな風に竈門くんと過ごしていたら、夏休みもあっという間に終盤に差し掛かっていた。そして8月の最後の週、わたしたちは初めて”夜のデート”をした。『夏祭り』に行ったのだ。竈門くんが「浴衣姿のミョウジが見たい」と言い、それがしつこくてたまらなかったので、わたしは渋々友達に浴衣を借りることにする。

「いらない浴衣でいいから借りれない?」
電話でそう聞くと、察しのいい友達は「竈門くんとデートなの?」と探りを入れてくる。
「いや…まぁ、別に……」
「そう、デートなのね。じゃあ、華やかな方を貸してあげる」
「普通でいいよ、むしろ地味な方がいい」
けれど友達はまったく話を聞いてくれず、結局白地に赤い金魚が涼やかに泳ぐ、大変可愛らしい浴衣を貸してくれたのだった。

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日が暮れかかっている夕方、待ち合わせ場所に行くと、紺縦縞しじらの涼し気な浴衣を着た竈門くんがいた。大雑把に甚平でも着てくるのかと思っていたので、意外な浴衣姿に少しだけ驚く。
「やぁ、ミョウジ………」
わたしを見つけた竈門くんは片手を上げてから言葉を失った。眉が垂れ、頬がほんのり赤く染まり、呆けたような顔でわたしを見つめている。

「ごめん、俺なんて言ったらいいか…」
「い、いや別にいいよ、感想とかいらない…」
「ダメだ!俺はこの気持ちをちゃんと言葉に表したい!」
それから竈門くんは俯き、小さく唾を飲んでから改めてわたしの姿を見る。
「はぁ……やっぱり、何度見ても、すごく綺麗だよ…ミョウジ。こんなに可愛らしい浴衣姿の女の子を、俺は人生で一度も見たことがない…」
「わかったわかった!ありがとう竈門くん!」

お祭りの会場はどっち?!と聞くと、「あぁ、こっちだ…」と彼はふやけた調子で指をさす。浴衣姿のわたしを見てベタ褒めするだろうとは思っていたけど、面と向かって綺麗だの、可愛いだのと言われると、やはり調子が狂う。わたしはそんな恥ずかしさを隠すように、歩きにくい下駄をつっかけた足を一生懸命動かした。


今日のデートのメインは”花火”を見ることだった。20時頃から1時間ほど、約1万発の花火が打ち上がるようで、それまでのあいだはお祭りの屋台を回って楽しもうという予定だ。
「ミョウジ、今日はさすがに手を繋ごう」
多くの人でひしめき合う祭り会場に着くと、竈門くんがそう言った。
「はぐれないようにするだけだ。手を繋ぐのは、人の多い場所のときだけでいいから」
な?と竈門くんがわたしに優しく微笑むので、仕方なくわたしは頷いた。遅かれ早かれ、竈門くんとは手を繋ぐことになると思っていたし、この人の多さじゃたしかにはぐれかねない。

彼が差し出してきた手に、おずおずと自分の手を重ねる。すぐさま彼がわたしの手を優しく包み、ゆっくりと引いて歩き出した。あまりに自然な動作で、ドクドクという激しい心臓の鼓動が遅れて来たほどだった。

ヨーヨー釣りや射的、金魚すくい、たこ焼きに焼きそば、チョコバナナ、かき氷―――。
わたしたちは普通のカップルのように遊び、食べ、楽しんだ。そして気づけば花火大会がはじまる15分前。わたしたちは慌てて場所取りに向かう。

花火がよく見える場所は、すでに大勢の観客でいっぱいだったけれど、運よく橋の中央部分に空きを見つけた。竈門くんと並んで空を見上げる。今日は雲も風もほとんどなく、いい具合に花火が打ち上がりそうだ。

そうしてわたしたちが橋の欄干にもたれ、談笑しているあいだにも、人はどんどん増えていく。竈門くんが少しだけわたしに体を寄せた。肩同士が触れ合い、彼の熱を感じ、わたしの心臓は大げさなくらい飛び上がった。


「ドォンッ」と派手な音を立てて花火大会がはじまった。
色とりどりの花火が打ち上がるたびに、人々の歓声も上がる。なかにはメッセージやキャラクターを象った花火などもあり、なかなか見ごたえがある。わたしも竈門くんも、そんな美しい花火に釘づけだった。

だから、欄干に乗せていたわたしの左手に、いつの間にか竈門くんの右手が重ねられていることにも気づかなかった。


ふと視線を感じ、左側を見る。すると、竈門くんが優しい目でわたしを見つめていた。「花火、見ないの?」そう尋ねようと思ったけれど、大きな音を立てて続けざまに花火が打ち上がったので、すぐそちらに気を取られてしまった。
けれどそのとき、たしかに聞こえた。竈門くんがわたしの耳元でこう言ったのだ。

「ごめん、あとで殴ってくれて構わない」…と。

どういうこと?と不審に思ったのは一瞬だけだった。その直後、わたしの視界から花火が消える。そして、唇には温かい感触が下りた。

連続で花火が打ち上がる”音”はするのに、その花火の姿は見えない。なぜなら、わたしは竈門くんにキスをされていたからだ。

この花火がフィナーレだったらしく、気づけば大きな拍手が巻き起こり、会場には花火大会終了のアナウンスが流れていた。その雑音に紛れるように竈門くんが唇を離す。けれど、わたしの手に重ねた右手はそのままだった。その手は怖いくらいに熱を帯びていて、わたしはその熱で溶けてしまいそうだった。

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それから後のことを、わたしはあまりよく覚えていない。足元がフワフワして、竈門くんの顔を全然見られなくて、なにか話しかけられても言葉は右から左に抜けていった。

竈門くんはわたしを家まで送り届けてくれた。「また学校で」とか、そんなようなことを言ってくれたと思う。だけど、わたしは頷くだけですぐに家に入ってしまった。


自分の部屋に入り、浴衣から部屋着に着替える。ベッドに座り、涼しいクーラーの風にあたっていると、机の上に転がった袋入りの”わたあめ”が目についた。別れ際、なぜか竈門くんにこれを持たされたのだ。

袋の口を縛っている輪ゴムを解き、そっと中に手を入れる。綿状のそれを一口大にちぎり、口に入れた。舌に乗せた瞬間に溶けるわたあめの感触、舌に広がる甘さは懐かしく、ちょっとだけ楽しい気分になる。

もう一口食べようと袋に手を伸ばしたところで、舌の上になにかが残っていると気づいた。ざらりとしたそれを奥歯で噛み砕くと、ジャリ、と音がして、先ほどのわたあめと同じ甘さが広がる。ああ、ザラメか、と思った。

しかし、そのザラメを噛んだ瞬間、わたしは竈門くんとのキスを思い出した。
花火に紛れるように重ねられた唇。わたしと彼との、初めてのキス。わたしは拒否することも、受け入れることもできず、ただただ固まっていた。柔らかくて、温かい唇の感触。そして、竈門くんの熱い右手。

たまらなくなって、わたしはわたがしの袋を机の上に放り出す。あぁ、思い出したくなかった。今日はあれを忘れたまま眠りたかった。

口内にはびこる甘みはなかなか消えてくれない。あと4日で夏休みが終わる。そうしたら、また学校がはじまる。竈門くんと毎日顔を合わせるようになる。
夏休みよ、終わらないでくれ……そう強く願ったのは、何年ぶりだろうか。




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