爪弾く純情

それは10月に入ってすぐのことだった。
その日は学校帰りに竈門くんの家に行って、すっかり彼の家の”顔”となった元野良猫をひとしきり可愛がって、彼の部屋に上がった。それはいつもと変わらない流れだった。

気づけばわたしたちの交際期間は3ヶ月目に突入していて、恋人として彼に接することにもだいぶ慣れてきた。休日にデートをするときには手を繋いだし、学校帰りで周りに誰もいなければ、竈門くんが手を握ってくるときもある。

また顔を合わせると、竈門くんはキスをすると言って聞かないので、最低1回はキスをするようになっていた。といっても濃厚なものではなく、軽く触れるようなキスだ。すぐに唇を離すと、竈門くんはいつも不服そうな顔をするけど、それ以上迫ってくるようなことはなかった。

つまりわたしは、竈門くんのことは好きだけど、恋人として関係を深めていくことに、まだ全然慣れていなかったのである。彼と関係を深めていくイメージができていなかった、という方が正しいだろうか。

だから、『あのとき』は腰が抜けるほど驚いてしまった。

+ + + + + + + + + + + + + + + + + +

「ミョウジ、キスしよう」
いつものように竈門くんがそう言った。キスはいつも彼の方から誘うのだ。というか、別にわざわざ許可を取らなくてもいいと思うのだけど、彼は毎度律義に「キスをしよう」と言ってくる。

わたしはそれを受け入れる姿勢を見せるために、少し体を寄せて目をつむる。そうすると、彼が静かに唇を重ねてくれるのだ。

今回もいつものように、優しく口付けてくれるのだろう。だけど、重なり合った時間があまりに長いときはわたしから唇を離す。すると、竈門くんが眉を下げ残念そうな顔でこちらを見てくるはずだ。
―――そう思っていたのに、事態はまるで別の方向に転んだ。


隙間なく重なったわたしたちの唇だったけど、竈門くんがおもむろに唇の角度をずらした気がした。どうしたのかな、そう思った瞬間、口内になにかが侵入してきた。ぬるりと熱いそれは、竈門くんの舌に違いなく、わたしは驚いて唇を離し身を引いてしまう。

「えっ……はっ?!」
唇を押さえながら竈門くんの顔を見ると、彼は真剣そのものの表情だった。
………これはまずい。
真剣な竈門くんは、これでもかというほど融通が利かない。独自の理論を展開し、すごい勢いで論破してくるのだから厄介だ。

「驚かせてすまない、ミョウジ。だけどな、俺はずっと我慢してたんだ」
「は、はい?なに、を?」
「ミョウジともっと深くキスがしたい、と。だけど、ミョウジが嫌がることはしたくないから、俺はずっと我慢していた…長男だから……」
それから竈門くんは膝の上でギュッと手を握ると、なにかを強く決心したような瞳でわたしを見る。
「でもな、俺はもう我慢できない。男として…これ以上は無理だ」
「む、無理って…じゃあ…」
「今日、今ここでする」
この男、断言した。したい、という願望ではなく、する、と。今この場でわたしと”深いキス”をするのだと、はっきり言い放ったのだ。


実は、わたしはこういう強引な竈門くんに弱い。どんなに抵抗したくても、押し流されてしまう。それは彼のことが好きだから、というのもあるだろう。けれど、だからと言って恥ずかしい気持ちがなくなるわけではない。
「そんな急に!ま、まだ心の準備が…」
「大丈夫だ!全部俺に任せてくれればいい」
「えっ?!あ、で、でも…ちょっと待って、あの、キス、だけだよね……?」
わたしの言葉に竈門くんが固まる。それから少しだけ頬を赤らめて、「……その先もいいのか?」と期待に満ちた目でわたしを見つめてきた。完全に余計なことを言ってしまったようだ。

「ごめん!今のなし!!それこそ、心の準備が……」
「待ってくれ!でも、それはつまり…ミョウジの中では俺との”その先のこと”がイメージできているということだろ?嫌じゃないってことだろ?」
「違う、そうじゃなくて…!」
「やっぱり俺とするのは、嫌、なのか……?」
心の底から悲しそうな顔をして竈門くんが言う。極端すぎる。ああ、こうしてまた彼に振り回されてしまうのだ。

「えぇと、あのね、嫌…ではないけど、ほら、女子にはちょっといろいろ準備があるというか……」
苦し紛れの言い訳をこぼすと、竈門くんは「なるほど、そういうことか」と神妙な顔で頷いた。
「わかった。じゃあ今日は、”その先”はしない。ちゃんと準備が整ったらにしよう」
「う、うん、そうだね…」
そして竈門くんはズイとわたしに近づいてきた。”その先”はないけれど、”深いキス”をすることには変わりないようだ。

「わっ……うぅ……」
やっぱりとてもつもなく恥ずかしくて、顔を逸らしてしまう。
「ミョウジ」
妙に落ち着いた声で竈門くんがわたしを呼ぶ。また傷ついた顔をしているのかな、と思いながら彼の方を見ると、優しく微笑んでいる竈門くんがいた。
「可愛いな」
「っえ?」
「こんなに照れるミョウジ、見たことない。なんだか俺もドキドキしてくる…」
そう言って彼は、わたしに手を重ねる。
「ま、待って竈門く……」
「止まれないかも、しれない」
「まっ………!」
わたしの言葉も聞かずに、竈門くんが唇を塞いだ。それから何度も、少しずつ角度を変えながら、味わうようにキスをしてくる。

竈門くんがわたしの背中に手を回した。そして、薄く開いたわたしの唇を熱い舌でなぞる。情けないくらいに体がビクリと反応するも、彼に抱きとめられるような体勢になっているため、逃げ場がない。わたしは竈門くんのワイシャツの裾を掴んで、必死にこの恥ずかしさに耐えた。


やがて、彼の舌が口内に侵入してくる。そして、逃げまわっていたわたしの舌をあっという間に絡めとった。舌同士が触れ合い、電気が走ったように体中がゾクゾクする。こんな感覚初めてだった。
優しく撫で合うように絡むわたしたちの舌。離れたくないようにぴったりとくっついた唇。竈門くんに強く求められていると感じられるこの行為は、頭が痺れてしまうほど幸せだった。

”止まれないかもしれない”と言っていた竈門くんの言葉は本当だった。彼は一向に唇を離そうとせず、貪るように夢中でわたしに口付けを繰り返す。そのせいで、わたしが酸素を取り入れる感覚が短くなってきたし、唇の間から漏れる粘着質な音が少しずつ大きくなり、恥ずかしくてたまらない。

「んぐ……んうっ」
苦しくなって彼の胸を叩くと、我に返ったように竈門くんが唇を離してくれた。とろけたような目をした竈門くんの唇は濡れていて、なんだかいやらしい。
「あっ、ご、ごめん!ミョウジ、俺……」
密着させていた体を慌てて離し、やや呼吸の乱れたわたしを心配してくれる。そのあと、なぜか竈門くんの視線は自身の下半身に向けられ、さらに慌てた様子で座布団を膝の上に置いた。

「本当にごめん、あまりに気持ちよくて……やりすぎちゃた、よな」
竈門くんが心底申し訳なさそうな顔で覗いてくるので、小さく首を振る。驚いたけれど、嫌だったわけではないからだ。
「俺はミョウジを前にすると、箍(たが)が外れやすいようだな…気をつけないと……」
あんなに濃厚な口付けをしておいて、反省会をはじめるのだからやっぱり竈門くんらしい。彼がブツブツ言っている隙に、火照った顔を手で仰いで熱を冷ました。

一通りの反省会が終わったらしい竈門くんがこちらを向く。
「あの、ミョウジ」
「ん、なに?」
「こんなことを言うと、怒られるかもしれないが…」
「うん?」
「”その先”をする日取りを決めないか?」
「えっ」
またもや真剣な表情だ。彼は大真面目にわたしに提案している。
「やりすぎたことは…反省している!ミョウジを驚かせて悪かったと思っている!
だけど今日の刺激が強すぎて……俺はこの先ずっと、ミョウジとの”そのこと”ばかり考えてしまいそうで…だから……」
……やっぱり竈門くんは竈門くんだ。反省しつつも、強引に次のステップへと進める。でも、そんな彼に流されてしまうのは正直嫌いじゃない。

「日取り、決めてもいいけど……居間のカレンダーには書かないでよ」
そう言うと、竈門くんはたちまち顔を輝かせる。そして「じゃあ、明日はどうだ?!」と無茶苦茶な提案をしてくるので、思わず笑ってしまった。(もちろん却下した)





拍手