3.日暮れのささめきごと(後編)

まず通されたのは、竈門くんの家の居間だった。大きなちゃぶ台がある和室で、きっと彼はここで家族と食事をするのだろう。そんなことを考えていると、ドタバタと数人の人間が走ってくる音が聞こえた。
「兄ちゃんお帰り!」
「お帰りー!猫連れてきた?!」
居間に現れたのは男の子3人、女の子1人の計4名の子どもたちだった。どの子も竈門くんにそっくりで、小学生くらいに見える。居間に佇むわたしを発見すると、彼らは口をあんぐり開けて固まった。
「竹雄に花子、茂、六太、ただいま!禰豆子はまだか?」
「う、うん、姉ちゃんはまだ…」
竹雄と呼ばれた男の子がしどろもどろになりながら答える。そしてわたしの方を指さし、「あの、兄ちゃん、その人…もしかして……」とこぼした。すると竈門くんは幼い弟と妹ににっこりと笑う。
「紹介が遅れてしまったな、みんなよーく聞いてくれ。この人はな、兄ちゃんの彼女だ!」
そんなにはっきり言う?!とギョッとして竈門くんを見るも、彼は気持ちいいくらい堂々としていた。
「彼女?!」
「炭治郎兄ちゃんが彼女連れてきたー!」
「うっそだぁーー!!」
「早く禰豆子姉ちゃんにも知らせないと!」
竈門くんの弟と妹たちがそれぞれ声を上げ、たちまち居間が大騒ぎになる。そして竈門くんは「嘘じゃない!俺とミョウジは昨日から付き合うことになったんだ!!」と彼らに力説している。もう収拾がつかない状況だ。助けて。

しかし、そこでタイミングよく猫がぐずぐず鳴きはじめた。猫は大きな音が嫌いなため、この賑やかな状況に不機嫌になっていたらしい。
「あ、竈門くん、そろそろ猫を……」
「ああ、そうだった!すまない!」
そして竈門くんは、兄弟たちに頼んで段ボールや猫用トイレ、金網など、さまざまなものを持ってこさせた。ちゃんと脱走対策をしているあたり、本気で猫を飼育する気概が感じられる。

わたしは、タオルケットの敷かれた段ボールの中に猫を入れた。逃げ出す素振りはないが、たくさんの小さな子どもたちに囲まれて、猫は幾分緊張しているようだった。
「ワンちゃんと違って、お家に慣れるまでに時間がかかるから、触るときはそうっと。大きな声を出して驚かさないようにね。慣れてきたら優しく抱っこしてあげて」
猫を覗いている4弟妹たちにそう声をかけると、彼らは神妙な顔つきで次々と頷いた。猫だけが満更でもないと言うような顔で一鳴きした。


そうして新しい猫の住まいを一緒に整えてあげたあと、わたしは2階の竈門くんの部屋へと招かれた。後から花子と呼ばれた子が麦茶とクッキーを持ってきて、「ごゆっくり!」といたずらっぽく微笑んだ。
「竈門くん、たくさん兄弟がいるんだね」
「びっくりしただろう、うちは6人姉弟の8人家族なんだ」
竈門くんの部屋は整理整頓が行き届いたシンプルな部屋だった。部屋の隅に置いてあるベッドを背に、竈門くんが出してくれた座布団に座ると、彼もわたしの隣に胡坐をかく。
「ところで、俺はミョウジに聞きたいことがあるんだ」
「なん、でしょう」
「俺はミョウジ好みの男になりたい。だから、ミョウジのことをいろいろと聞かせてほしいんだ」
いろいろと間違っている気がするけれど、竈門くんの気が済むならと思い、「どうぞ」と先を促した。

「まず、ミョウジは今までどんな男を好きになってきたんだ?」
「えっ」
「もちろん、詳しい恋愛遍歴は明かさなくてもいい!ただ、これまで好きになった男の見た目や、過去の恋人の特長などを……」
そこまで言って、竈門くんは固まってしまった。それから両手で頭を抱え、「いや、待ってくれ!!」と大声を出した。
「う、うん」
待ってくれもなにも、まだなにも言っていないのだが。
「それは……正直、聞きたくないかもしれない。ミョウジが過去にどんな男と付き合ってきたか、それは俺にとって苦痛な情報になりうる…」
「まあ、そうだろうね…」
「ちなみに俺は、ミョウジが人生で初めて付き合う人だ!」
「そうか、うん」
「質問を変えよう!」
竈門くんは人差し指を立てると、わたしの方に向き直った。

「善逸、伊之助、玄弥…この3人で一番タイプの男は誰だ?」
「う………」
なんだその質問は。誰を選んでも確執が生まれそうだし、誰も幸せにならない質問だ。どの男も嫌だよ、と答えようと思った矢先、また竈門くんは「いや、やっぱり待ってくれ!!」と大声を出した。
「これも……正直、聞きたくないかもしれない…」
「まあ、そうでしょうね。もうやめなよ、こんな不毛な質問は…」
「そうだな…」
そう言って竈門くんはガクリと肩を落とし、麦茶の入ったコップを持ち上げた。わたしも同じようにコップを持ち、冷たいそれを喉に流し込んだ。

結局、その後わたしたちは自分のプロフィールについて明かし合った。それはまるで、高校入学直後に催されたレクリエーションで、クラスメイト一人ひとりが行なう自己紹介みたいによそよそしかった。
家族構成や誕生日、趣味、得意な教科、好きな先生の授業、中学の頃のあだ名…など、どうでもいいことでも竈門くんは知りたがった。そしてわたしが質問に答えるたびに、竈門くんは目を輝かせ、嬉しそうに頷くのだった。

そんな風に話し込んでいたら、気づけば窓からは夕日が差すような時刻になっていた。とても話が盛り上がったというわけではないのに、こんなに時間が経っているなんてと驚く。それに、どちらかと言えばわたしのほうが喋っていたような気がする。もしかしたら、竈門くんは聞き上手なのかもしれない。
「あの、そろそろ…」
とわたしが言うと、竈門くんも「ああ!もうこんな時間か!」とびっくりしたように時計を見る。そして、わたしを送ると言うのでそのまま一緒に外に出た。


「ミョウジ、今日は本当にありがとうな」
「ううん、こちらこそ。あの猫の貰い手が見つかって、わたしも安心した。弟さんや妹さんも可愛がってくれそうだし」
わたしが竈門くんの家を出る頃には、彼の弟の膝で丸くなって寝るくらい、猫はリラックスした様子になっていた。
「今日、夕飯を食べるときに、みんなで名前を決めることになっているんだ。よかったら、ミョウジも考えてくれよ」
「そうだね、可愛いのいくつか考えとく」
時折吹く風が、竈門くんのTシャツの袖やわたしのスカートを揺らす。まだ本格的に夏を迎える前の、心地よい気候だ。
「それから、ミョウジのことをいろいろと教えてくれてありがとう。俺は今日、ミョウジの話を聞けてすごく楽しかった」
「あ…うん。わたしも竈門くんのことを知れて、よかった…かな」
彼のことを知れて本当によかったのか、それはまだ疑問だ。なぜなら、わたしはまだ彼のことが好きではないし、たぶん彼のことを好きになる努力もしていない。ただ、なんとなく彼の勢いに押されてここまで来ているけれど、それがある意味”罪悪感”にもなっている。

「こんなことを言ったら、ミョウジは困るかもしれないが…」
竈門くんはこちらに顔を向けながら言った。夕日に照らされ、彼の髪が一層赤みを帯びている。
「俺は今日、君のことがますます好きになってしまった」
「えっ、そ、そうなの?」
「ああ、俺はミョウジと一緒にいるだけで、とてつもなく幸せな気持ちになれる」
そう言って、竈門くんは「ありがとう」と微笑んだ。誰よりも朗らかで優しい笑みだった。
「そっ…か、うん、それはよかったです…」
わたしは変に言葉を詰まらせながら返事をした。

コツコツとアスファルトを叩く革靴の音と、長く伸びるわたしたちの影だけがそこにある。竈門くんの口から出た「好き」という言葉の熱に少しだけ圧倒されつつも、わたしは彼と肩を並べて家路をたどった。




拍手