3.溶けるつぶやき

足の一本や二本、折ったままでも戦う…か。時透さんの口から出たこれは煽り文句であり、また事実なのだろう。それに引き換え、わたしはどうだろう。負傷した足を理由に、戦いを半ば放棄してしまったではないか。”戦う”ということに、時透さんほどの覚悟を持ち合わせていなかったのは、火を見るよりも明らかだ。

「やあ、ナマエ。調子はどうだ?その足、折れていたんだってね」
寝台の上で考え事を続けていると、いつの間にかそばに炭治郎がいた。お見舞いに来てくれたのだ。
「うん、右の足首からポッキリ。どうりで上手く立てなかったわけだよ」
「そうか…それは大変だったな。まずはゆっくり治してくれ」
炭治郎は心配そうな顔でいたわりの声をかけてくれる。だけど、今のわたしにはそんな言葉が少しだけ苦しかった。
「ゆっくりなんて…治していられないよ」
「ナマエ?」
「炭治郎、わたしはこの足を早く治したいの。どうすればいい?」
驚いたような表情をした彼だったが、やがて腕を組み溜息をついた。
「ナマエ、もしかして時透くんの言葉を気にしているのか?」
「………」
「あんなことは忘れるといい。あれは時透くんが悪い、仲間にかけるべき言葉じゃない」
「でも、わたしは言われっぱなしなんて嫌だ」
「だからと言って無理をしたら、余計に体を悪くするだけだぞ」
炭治郎の言うことはもっともだ。だけど、どうしても許せなかった。わたしを見下すあの薄ら笑いを。

「…とは言え、回復を早めるには全集中の呼吸を欠かさないことだな」
「ああ、全集中か…」
「大丈夫だ、苦手意識を持つ必要はない!維持できる時間、少しずつ伸びているだろう?」
わたしは全集中の呼吸が苦手だ。これを上手く操れないことが、自分の弱さに直結していることもわかっている。しかし今回ばかりは、やはり徹底してこの呼吸を会得しなくてはと、焦りのような感情を覚えた。
「ナマエ。俺でよければ、いくらでも稽古や鍛錬に付き合うよ。だから、絶対に無茶な真似はするんじゃないぞ」
約束だぞ!と最後に釘をさして、炭治郎は病室を出て行った。彼は母親みたいに口うるさいところがあるのだが、それが彼の最大の優しさでもある。わたしは彼に勇気をもらった気がして、すぐさま寝台に横になり、全集中の呼吸をはじめた。

―――だが、この呼吸を続けられたのは夕刻まで。なぜならその頃に、顔も見たくないあの男が現れたからだった。

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そのとき、わたしは場所を変え稽古場で全集中の呼吸の練習をしていた。静寂のある稽古場では自分の呼吸に集中しやすく、長時間呼吸を続けることができた。そうして気づけば日が暮れ、夕刻だ。
いったん病室に戻ろうと稽古場を出たところで、長い髪をなびかせ歩いている奴の後ろ姿を見つけた。とっさに柱の陰に身を隠すも、そもそも相手は後ろ姿で、わたしのことが見えていないのだから、こんな行為は無意味だと笑いそうになった。しかし、傾いた体を立て直そうと痛む足を地面に押しつけたところで、「ふぅん、その足本当に折れてたんだ」と背後から声がした。

驚いて振り返ると、そこには首を傾げてわたしの足を見つめている時透さんがいた。いつの間にわたしの背後にまわったのだろうか。冷や汗を背中に感じていると、彼は目を細め、にぃと口を横に広げて笑みを見せた。いやらしく、ゾッとするような笑い方だ。
「びっくりした?僕が移動したことに全然気づいていなかったようだけど」
「身の毛がよだちました」
「人を化け物みたいに言って、ひどいなぁ」
事実、あなたは化け物ではないか、人を傷つけることが大好きな―――そう思うも、口には出さない。今はただ、一秒でも早く彼のそばから離れたかったからだ。

「ねぇ、足、痛むの?」
「………」
「僕が病室まで運んであげようか?」
そうして彼は突然わたしの腰に手をまわそうとした。しかし、声を出すよりも先に体が動いた。わたしは彼の手を掴み、体に触れてくることを阻止する。「結構です」と彼に言い捨てる自分の声は、びっくりするほど冷たかった。
「今のは本当に優しくしてあげようと思ってたのに…」
時透さんは拗ねたように顔をしかめる。そんな気まぐれな優しさはお断りだ、と思いながら彼の手を離した。

「随分と僕に怒っているようだね」
「………」
「心当たりがないわけではないんだけど」
「………」
「どうしてなにも言わないの?さっきみたいに喋ってよ」
「病室に戻ってもいいですか?」
時透さんはびっくりしたように、2,3度瞬きをした。それから眉を下げて苦笑いをした。それは、これまでのいやらしい笑い方ではない、まったくの”素の表情”のようだった。
「そっか、僕はすっかり君に嫌われちゃったのか」
「好かれる自信があったんですか?」
「ううん、全然」
彼は突然わたしの正面に来ると、愉快そうに顔を覗き込んだ。腹が立つほど整った顔だ。女のわたしから見ても、彼の顔は美しいことこの上ないと思える。

「いいんだ、僕は君に嫌われていても。むしろその方が燃える」
「……は?」
「抑えないで、もっと僕に怒っていいんだよ……俺は、そういう君の顔を見たいんだから」
一瞬背筋に寒さが走る。この人はなぜ、こんなにもわたしに執着しているんだろ。その異常性みたいなものを垣間見た気がした。
「そうだ、いいこと考えた!」
時透さんは顔を離すとにっこり笑った。そういうあどけない笑い方ができることにも若干驚く。
「君ってさ、弱いでしょ。ものすごく。だからさ、俺が稽古つけてあげるよ」
「えっ、な……」
「そうそう、君だけうちの道場を自由に使っていいことにしてあげる。特別にね」
「け、結構です!わたしは師範に稽古をつけてもらいますから」
「ダメ、もうこれは決めたことだから。逃がさないよ、絶対に」
気づけば、時透さんはあの嫌な笑い方に戻っていた。ああ、この右足が上手く動くなら、今すぐここから逃げ出していただろう。

「その足、いつ治るの?折れたままじゃ稽古もままならないから、骨がちゃんと繋がったら迎えに来るよ」
「だから、結構ですって!迎えに来ないでください!頼んでないんです、そんなこと…」
突拍子のないことを言う時透さんの相手をするのに、いい加減疲れてきた。なにを言っても全然通じない、話にならないのだ。しかし、彼の頭の中では思い通りにコトが進んでいるらしく、
「とにかく早く治してね、お大事に」
とわたしの言い分を完全に無視して話を終えてしまった。最後、笑いを噛み殺すように口を歪めていたのが気に入らない。

そうして一方的に話を終えた彼が廊下の角を曲がったところで、わたしは自分の体が鉛のように重くなっていることに気がついた。体中が憂鬱な感情で支配されている。
「ああ、もう、最悪………」
つぶやきは誰に聞かれるでもなく、空気に溶けて消えた。




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