4.手ごまになるか否か

それからわたしは骨折の治療と、できる範囲での鍛錬に勤しんだ。その間は時透さんの戯言などすっかり忘れていたのだけど、彼は自分の言葉の通り、わたしの骨が繋がったその日に迎えにやって来た。わたしの怪我が完治したことどうやって知ったのか、その理由を尋ねるよりも先に、「さぁ、行くよ」と有無を言わさぬ口調でわたしに微笑むので、大いに動揺してしまう。

「行く、って…どこへ」
寝台の上にいるわたしを見下ろす時透さんに尋ねる。どこに連れていかれるのか、知っているのに尋ねるのは最後の悪あがきだ。
「嫌だな、もう忘れたの?君があまりにも弱いから、僕が稽古つけてあげるって言ったでしょ」
なんなら、うちの屋敷に住み込んでもいいけどね、と彼は言葉を付け足した。とんでもない。そんな拷問みたいな生活は絶対にごめんだ。
「もうその骨、繋がったんでしょ?」
彼が急にわたしの足に触れそうになったので、咄嗟に体を引いてしまう。時透さんは明らかにムッとしたようだった。
「触れられるのが嫌なら、さっさとその寝台から降りなよ。僕の手を煩わせるな」
こんなことで不機嫌になるなんて、随分と幼い人だなと思った。たしか、わたしとそう年は変わらないのだっけ。
「わたしはあなたの屋敷に行きたくありません」
「そんなこと聞いてない」
言うが否や、時透さんはわたしの両脇に手を入れ、寝台からわたしを抱き上げた。そのまま地面に下ろしてくれるのかと思えば、持ち上げたわたしをニヤニヤしながら見上げている。

「な、なにやってるんですか!降ろしてください!」
「僕の屋敷に行くって約束してくれるならね」
ほとんど身長も変わらないのに、いとも簡単にわたしを持ち上げ続ける時透さん。柱である彼にどれほどの筋力があるのか思い知らされた気がした。
「あ、あなた、馬鹿じゃないですか?!」
苦し紛れに暴言を吐くと、彼は相好を崩した。こんなことを言われて笑うなんて、絶対に普通じゃない。
「君って本当に恐れ知らず。柱の僕に馬鹿だなんて言っていいと思ってるの?」
そう言って時透さんはわたしを自分の肩に担ぐようにした。さながら米俵を担いでいるかのような姿勢だ。そうしてそのまま病室を出て行く。

「ま、待って!降ろしてください、わたしが悪かったですから!!」
周りの視線などお構いなしに、時透さんは廊下を進んでいく。
「本当に反省してる?」
「し、してます!もうあんなこと言いません!」
「それじゃあ、ちゃんと僕の屋敷で稽古するって約束して」
「へ……」
「それまで、君はこのままだよ」
時透さんのこんなに嬉しそうな弾んだ声を聞いたことがない。彼は間違いなくこの状況を楽しんでいるんだ。常人の思考回路とは思えないが、今はそこが問題なのではない。多くの隊士の前でこんな辱めを受けているこの状況を打開しなくてはならないのだ。

「……わかりました!稽古、します、しますから!」
「本当に?」
「本当です!」
「うん、わかった。じゃあさ、」
彼は足を止め、わたしを見上げた。目がキラキラとしている。口の端が上がりっぱなしだ。その表情にわたしはゾクリとした。
「俺にちゃんとお願いしてよ、稽古つけてくださいって」
理解するのに一瞬時間を要したが、すぐに胸に熱い怒りが流れ込んできた。この期に及んで、わたしにひれ伏せと言っているのだ。そんなわたしの怒りを敏感に察知した時透さんは、「どうしたの?言えないの?」とニヤけながら畳みかけてくる。

「……時、透さん」
「なに?」
「わ…わたしに、稽古をつけてください」
「それで?」
「………どうか、お願いします。お力を、貸して、ください…」
怒りのあまり、わたしの体は細かく震えていた。しかし、今彼に怒りをぶつけるわけにはいかない。そんなわたしを時透さんはじいっと見ていた。それから、にっこりとあどけない笑みを浮かべる。
「うん、いいよ。俺がしっかりとナマエの面倒を見てあげる」
そして、約束通りわたしを地面に下ろした。その瞬間、体に強いだるさが広がり、わたしはしゃがみ込んでしまう。強烈な怒りによる精神的ダメージで頭がくらくらした。
「療養明けだから体がびっくりしちゃったかな、大丈夫?」
白々しく尋ねるこの男の頬を今すぐ殴れたなら、震える右手を握りながらそう思った。

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こうしてわたしは時透邸に足を踏み入れざるを得なくなった。彼の屋敷はとてつもなく広く、立派な庭園や道場もある。鬼殺隊の柱である人間なら、これほど立派な屋敷を持つことは普通なのかもしれないが、それでも驚きを隠せない。

屋敷に到着すると、わたしはまず7畳ほどの和室部屋につれていかれた。そして彼は当たり前のように「ここが君の部屋」と言ってのける。
「わたし、ここに住むなんて言ってませんよ!」
「でも寝泊まりできるような部屋は必要でしょ?稽古がどれくらい長引くかわからないんだから」
「そんな……」
「まあ、今日は泊っていきなよ。美味しい食事と温かい風呂で英気を養うといい。それと僕はこれから任務があるから、稽古は明日からにしよう。あ、そうそう。必要なものは屋敷の使用人に言えばすべて持ってきてくれるから」
「え?ちょっと……!」
言いたいことだけ言うと、時透さんはどこかへ行ってしまった。

和室に一人残されたわたしは、部屋をぐるりと見渡す。壁には掛け軸があり、そこには池で鯉が戯れる美しい絵が描かれていた。さらに部屋の真ん中には漆塗りの高級そうな机があり、その上には可愛らしい花の生けてある花瓶が置いてあった。
わたしは部屋の隅に荷物を置くと、漆机の前にある座布団に座った。時透さんの強引さから、彼が明らかにわたしを”手ごま”にしようとしていることがわかる。どうしてこんなことになってしまったのだろう。机に突っ伏しながら、これまでに起きた出来事を一つひとつ反芻する。しかし反芻したところで、彼がわたしに執着する理由などひとつもわからなかった。

炭治郎とわたしと時透さんの3人で任務に行った。そのとき、時透さんからひどい言葉をかけられ、つい食ってかかってしまった―――それだけのことなのだ。
この屋敷から解放されるには、早いところ彼を満足させるしかない。「満足」とはすなわち、わたしが時透さんに文句を言われないくらい強くなるということだ。わたしが炭治郎たちと並ぶくらいの実力をつければ、彼もわたしに絡む必要性を感じなくなるだろう。
そうと決まれば鍛錬だ!とわたしは荷物から木刀を取り出し、障子戸を開けた。するとそこには優しそうなお婆さんが立っていて、驚きのあまり腰を抜かしそうになる。

「お食事のご用意ができました」
ぺこりとお婆さんが頭を下げるので、わたしもつられて会釈する。そして、ついてこいというように先を歩き出すので、部屋に木刀を置いてから後に続いた。「あの…時透さんは…」と彼女の小さく丸い背中に尋ねると、「ご主人様は仕事に発たれました」と返ってくる。

廊下を進んでいくと、美味しそうな食事の香りが漂ってきた。わたしのお腹が小さく鳴ったのを見計らったように、お婆さんが「お魚とお肉、どちらがいいでしょうか?」と尋ねる。空腹に抗えなかったわたしは、「あの…お魚で」と答えてしまった。




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