5.楽しい玩具

「さ、稽古をはじめようか」
翌朝、時透さんは木刀を2本持ってわたしの部屋にやってきた。やってきた、というか、勝手に入ってきたという表現の方が正しい。そのときのわたしは、すでに起床し洗顔等も済ませていたからなんの抜かりもなかったけれど、つい先ほど着替えたばかりで、時透さんがこの部屋に入るのがあと数分早かったら…と思うと嫌な汗をかいた。
「ちゃんと起きているなんて、感心感心。それじゃあまずは、君の実力の抜き打ち検査と行こうか」
彼はわたしに木刀を放り投げると、庭に出てくるように言った。

「ほら、かかっておいで」
時透さんは木刀を肩に乗せ、余裕しゃくしゃくと言った様子だ。しかしよく見ると、ところどころ隊服が破れていたり、汚れている部分がある。任務から帰ってきたその体のまま、わたしに稽古をつけに来たということか。それほどの体力がまだ残っていることも恐ろしいが、わたしみたいな隊士であれば稽古の相手も朝飯前、と言われているようで少し腹が立った。

相手は柱、死ぬ気で挑まなければ…そう思い、刀を構える。右も左も、頭も足先も、たぶん時透さんのどこにも隙はない。ならば、正面からぶつかっていくのみ。全集中の呼吸で自分の体全体に神経を行き渡らせると、わたしは地面を蹴った。しかし、時透さんに刀身を叩き込むまでもなく、強い力ではじき返される。わたしは受け身を取りつつも、地面に尻餅をついた。
「ふざけてるの?もっと真剣に戦ってくれない?」
時透さんは依然として木刀を肩に乗せたままだ。つまり、彼は木刀すら使わず、自身の腕でわたしの攻撃を弾き返したらしいのだ。まるで、鬱陶しくじゃれてくる犬を軽くいなすかのように。
「あとね、呼吸が全然できてないよ」
ふあぁと欠伸を噛み殺しながら、彼が言う。わたしは頭に血が上りそうになるのを抑えながら、先ほどよりもより呼吸に集中してから再び攻撃に出た。けれど、結果は先ほどとまったく同じだった。


時透さんは傍らに木刀を捨てる。カラン、とそれが地面を叩く乾いた音がする。
「こんなもの使う必要もなさそうだね」
挑発するように笑いながら彼はわたしの攻撃を待っている。一切の生身で。
これがわたしと柱の実力の差。詰めることのできない、決定的な力の差。どうすればいいのだ。どうしたらこの男に一打叩き込めるのだ。そんなことを考えながら木刀を握りしめていると、時透さんが軽く首を傾げた。
「どうしたの?もう諦めちゃった?じゃあ、俺の方から行くよ」
言い終えると同時に、時透さんは急に間合いを詰めてきた。急いで木刀で防御するも、その間に今度は後ろに回られている。

彼の攻撃を防ぐだけで精一杯で、たぶんこれでも手加減されている方なのだろう。悔しい、ただひたすらに悔しい。
「なに余計なこと考えてるの、集中しなよ」
その言葉の後に自分の視界が反転した。時透さんに足を払われ、体勢を崩したのだ。地面に右手をつき体勢を立て直そうとしたところで、激しい痛みを覚える。時透さんの足がわたしの右手を踏みつけており、抗議の声を上げようと顔を上げたところで、自分の首筋に彼の手刀が当てられていることに気づく。冷や汗が顎を伝った。

「君って威勢はいいけど、根本的にはいろんなものが抜け落ちているんだよね。つまりノロマってこと」
彼の手が軽くわたしの首筋を打った。痛くもなんともなかったけれど、自分の決定的な”負け”を思い知らされたようで、わたしの体はガクリと脱力する。時透さんはそんなわたしから木刀を取り上げた。
「よぉくわかったよ、君のダメなところ。でも、僕がしっかりしごいてあげるから安心して」
「………」
「反抗的な目、本当に威勢だけはいいんだから」
それから彼はくるりと背を向けると、「この続きは朝食のあとね」と言った。いつの間にか縁側に屋敷の使用人であるお婆さんがいて、にこにこしながらわたしを手招きしていた。

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朝食後は昼まで地獄の稽古が行なわれた。素振りに打ち込みなど、まずは基本的な稽古が中心。時透さんの体力は底なしだったし、わたしの指導に容赦がなかった。稽古中も可愛げのない嫌味は垂れるものの、悔しいけれど指導の仕方はわたしの師範並みに上手い。わたしは汗みどろになりながら、彼の言う通り稽古と鍛錬を続けた。

昼過ぎになると彼は任務に発った。この日わたしは非番だったため、午後以降も時透さんに教えてもらった鍛錬を続ける。夕食後は師範と炭治郎に時透邸で稽古の日々がはじまったことを知らせる文を書き、それから就寝まではひたすら全集中の呼吸を行なった。

深夜、日付が変わる頃には、わたしは泥のように深い眠りについていた。布団に入った途端、意識を手放したんじゃないだろうか。想像以上に過酷な訓練を強いられ、体は悲鳴を上げている。けれどもわたしは、寝入る際も”全集中の呼吸”を自分の体に強いていた。それほど時透さんに馬鹿にされたことが頭に来ていたのだろう。


―――部屋の中でわずかに空気が揺れた。
その瞬間、わたしは枕元の日輪刀を手に取り部屋の隅で畳に膝をつく。
「僕だよ僕、刀をおろしなよ」
暗闇に目が慣れてくると、そこには障子を開けて立っている時透さんがいた。
「な…にを、あなた…」
「君が、寝ているあいだも全集中の呼吸ができているのか、抜き打ち検査をしに来たんだ」
どこまでも”抜き打ち”が好きな人だ。わたしは足元に日輪刀を置くと、大きなため息をつく。真夜中だと思っていたが、時透さんの後ろはうすらぼんやりと白んでいる。明け方なのだろう。
「だけど、その反応速度は悪くないね。寝込みを襲われても大丈夫そうだ」
部屋の中に入ってくる時透さんからは微かに血の臭いがした。今日も派手に戦闘してきたみたいだ。まずは湯浴みでもすればいいのに、わざわざわたしの様子を見に来るなんて…と嫌になる。

わたしは部屋の隅にある灯篭に火を灯した。橙色の灯りに照らされた時透さんは、少しだけ疲れた顔をしていた。額に何箇所か切り傷があり、口の端にはかさぶたもできている。
「……お疲れ様です」
「ははっ、言い方全然優しくない」
時透さんは笑いながら障子を閉め、わたしに近づいた。そして膝を抱えるようにしゃがみ込むと、じいっとわたしの目を見つめる。
「あーあ。せっかく君の間抜けな寝顔を見れると思ったのに、すぐに起きちゃうなんてがっかりだよ」
「嫌な気配には人間敏感なものです」
「君にとって僕は”鬼”みたいな存在だって言うの?」
「さすがは柱、上手いこと言いますね」
最後はいつもの仕返しにと煽ったつもりだったのだが、時透さんは自分の手に顎を乗せ、こちらを見つめたまま黙ってしまった。

「いっ」
気づけば時透さんに頬肉をつままれていた。しかも、彼はそのままギリギリと捩じり上げてくる。
「今のはいくらなんでも生意気すぎるよね」
「…い、っだ……」
「僕を煽るなんて100年早い、じゃないと痛い目見るよ」
わかった?とわたしの頬を引っ張り、自分と視線が合わさるようにする。わたしは自分の目に涙が溜まるのも気にせず、彼を睨みつけたやった。すると時透さんは、たちまちとろけるような笑みを浮かべる。
「そういえば君ってそういう奴だったね。脅し文句がひとつも効かないんだ」
それから彼はさんざん捩じり上げていたわたしの頬から手を離し、立ち上がる。

「じゃあ、僕が湯浴みを終えたら今日も稽古をはじめるよ」
気づけば障子の隙間から太陽の光が入りはじめている。
「あの…少し休まれてからの方がいいんじゃないですか?」
ジンジンとする頬をさすりながら、思わずそうつぶやく。これは時透さんへの気遣いや優しさではなく、彼に疲労の色が見えていたからの発言なのだ。
「なんで?そんなの時間がもったいない」
障子を開けながら時透さんが言う。わたしは太陽の眩しさに目を細めた。
「ゆっくり休んでなんかいられないよ、こんなに楽しい玩具があるのに」
振り向いた時透さんに疲労の色は一切なく、むしろ楽し気な笑みさえ浮かべているので、わたしは「あぁ、そうですか…」と憤怒の色を滲ませながら返事をしたのだった。




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