邂逅する恋情

僕がナマエに強く惹かれるようになった”決定的瞬間”が訪れたのは、彼女と3度目に出会ったときだったと思う。そのときの出来事を、僕は鮮明に覚えている。

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鬼殺隊には数えきれないほど多くの隊士が在籍している。ただでさえ忘れっぽい僕は、入れ替わりの激しい仲間たち一人ひとりの顔や名前をいちいち覚えていられない。しかし、そんな僕でも名前を覚えるほど、柱や隊士らの間でたびたび名前の挙がる人間がいた。ナマエのことだ。

当時僕ら柱のあいだでは、”隊士の質の低下”が問題視されていた。そんな状況の中で「乙(きのと)」へと階級昇格を果たしたのがナマエだった。隊士たちからの信頼も厚いようで、その頃から、新人隊士たちの任務にはよくナマエが隊長として宛がわれていたらしい。


そんなある日、怪我の手当てのため蝶屋敷に訪れると、稽古場から出てくる女の子とすれ違った。負傷しているのか両手に包帯が巻かれていたが、右手には稽古で使ったであろう木刀が握られていた。彼女は僕に気づくと、汗を拭っていた手を素早く体の横につけ「お疲れ様です」と会釈した。僕は「うん」とだけ言い、そのまま彼女の脇を通り過ぎる。
その直後、前から蝶屋敷の看護師である女の子が眉を吊り上げてやってきた。
「見つけた、ナマエさん!また部屋を抜け出して稽古しましたね!?」
「えっ稽古?いえ、し、してませんけど」
先ほどの女の子が動揺したように答える声が背後に聞こえる。僕は思わず振り返った。ああ、彼女が噂の”ナマエ”なのか。看護師の子にバレバレの嘘をつきながら、苦笑いを浮かべている。
男と比べると筋力も体力も劣る女性隊士は、早々に自分の実力に見切りをつけてしまう、向上心のない隊士が多い。だから、この穏やかな雰囲気をまとう、一見「普通の女の子」のように見える彼女が、骨のある隊士だと噂の”ナマエ”であることが意外だった。

2度目に彼女と出会ったのは任務先でだった。ナマエが隊長を務める任務に、僕が救援に行ったのだ。ナマエは怪我を負った後輩隊士たちを庇いながら、ボロボロの状態で戦っていた。戦闘している彼女には、蝶屋敷で見かけたようなほどけた表情はなく、闘志のたぎる瞳が真っすぐ鬼を睨んでいた。
僕が鬼の頸を切ったあと、ナマエはすぐさま隠(かくし)に後輩隊士たちを引き渡す。それから、よたよたと僕のもとへやってきて頭を下げた。
「霞柱、ありがとうございます。本当に助かりました」
「うん」
これが僕らの2度目の会話だった。しかし彼女と僕とで会話が続くはずもなくて、そのまま黙り込む。その沈黙に耐えられなかった彼女は、困ったような笑みを見せた。

3度目に彼女と出会ったのは、任務を終えてたまたま立ち寄った町でだった。一休みしようと入った茶屋で注文したぜんざいが来るのを待っていると、見たことのある隊服を着た女性3人組が店に入ってきた。僕の席の近くには背の高い客が座っており、さながら”ついたて”のようになっていたため、その3人組から僕の姿は見えないようだった。
「ナマエさん、なに食べます?アタシは〜お汁粉と、みたらし団子と、それから…」
「えーあんた、頼みすぎじゃない?太るよぉ」
「えぇと、わたしは……」
「うーん、あんみつもいいなぁ!あっそうだ、せっかくなんで、あんみつ3人で食べません?」
「いい考え!ナマエさんもいいですよね?」
「……あ、うん」
僕はまたナマエと鉢合わせたようだ。どうやら彼女は新人と思しき後輩隊士2人を引き連れ、これから任務に赴くところらしい。その前に甘味でも食べようという話になったのか。いや、この様子からだと、ワガママな後輩隊士たちが甘味処に行きたいと駄々をこねたのかもしれない。

僕は少しだけ右側に移動する。背の高い客の肩越しに彼女、ナマエの顔が見えた。困った顔を隠すように、必死に笑みを張りつけてる。下手くそな笑顔だ。僕は運ばれてきたぜんざいを口に運びながら、3人の会話に耳を傾ける。
「ね、それでナマエさんは、柱なら誰が好みなんですか?」
「……えっ?」
「いい男が揃い踏みですもんね、柱って!」
「本当、本当!一緒に戦ってたら絶対惚れちゃう」
鬼殺隊には、たまにこういう女性隊士が入ってくる。運よく最終戦別を切り抜け、入隊したあとは、鬼狩りよりも男探しに勤しむ。彼女たちみたいな隊士は大体数ヶ月ほどで自ら隊を辞めるか、戦死してしまうのが関の山なのだが、ナマエは今回、そんな後輩たちの面倒を任されてしまったようだ。
「うーん、わたしは…そういう誰が好みとかは、ないかな」
「えー、うそでしょ?正直に教えてくださいよぉ」
「いや、本当にそういう目で見たことないっていうか。柱なんて恐れ多いし…」
「そんなこと言って、照れてるんですか〜?」
「えっ、それともナマエさんって、恋したことないとか…?!」
きゃははっとナマエの前に座る隊士たちが笑い声をあげる。離れた席にいる僕が見てわかるほど、ナマエの顔は死んでいた。この手の話が苦手で、心底どうでもいいのだろう。しかし、それを隠すように懸命に下手な笑みを浮かべている。

「アタシは富岡さんかなあ。あの冷静沈着で強いところが、たまんない。でも、宇髄さんも捨てがたいのよねぇ」
「あぁ〜わかる!宇髄さん格好いいよね、強い男って感じ。でもわたしは、時透さんが一番好みかも」
「はぁ?時透さん?!いやいや、あり得ないでしょ。だってあの人、めちゃくちゃ感じ悪くない?」
後輩隊士の馬鹿にしたような口調にナマエの笑みが引きつった。
実は、僕のことを悪く思う人間というのは一定数いる。愛想がないとか、子どものくせに偉そうだとか、そんな陰口はさんざん聞かされてきた。だから、生半可な気持ちで隊士になった彼女たちになにを言われようと、僕自身は痛くも痒くもなかったのだが、ナマエが反応を示したことには少し興味がわいた。
「でも、生意気な弟って感じで可愛いじゃん、時透さん」
「いやーアタシは完全にナシだけどなあ。あ〜あ、どうやったら柱と近づけるんだろう」
そう言って、後輩隊士の1人が大きく伸びをした。
……そのときだった。

―――ドンッ

ナマエが勢いよく湯飲みを机にたたきつけた。その直後、彼女が握りしめていた湯飲みにひびが入り、机の上にお茶が溢れ出る。

「………その話、いつまで続く?」

今にも人を殺しそうな眼光を放ったナマエが、大の大人でも震え上がりそうな低い声でつぶやいた。その声には煮えたぎるような怒りが含まれている。ナマエの向かいに座る隊士たちは、あまりの恐ろしさに石像のように固まってしまった。そして、店にいた他の客たちもただならぬ気配を感じとり、誰もが食事の手と息を止めていた。

「…な、んちゃって、ははっ」
そんな静まり返る店内で我に返ったナマエは、慌てて笑って見せた。しかし、時すでに遅し。後輩隊士たちは震えながら、ナマエに謝罪の言葉を繰り返している。結局そのあと、大量に注文された甘味のほとんどをナマエが食べ(後輩隊士たちはまともに食事ができないくらい、ナマエに萎縮していた)、また破壊してしまった湯飲みの詫びにと多めに代金を払い、彼女は後輩隊士を連れて店を出て行った。


あの光景を見て以来、僕はナマエという人間に強く興味を抱くようになったのだ。彼女の頭の中にあるのは、誰よりも強い剣士となり、鬼と戦うこと―――ただそれだけ。そこには、愛だの恋だのといった感情のつけ入る隙間は一切ないらしいのだ。
だから僕は、彼女に接してみたくなった。彼女の頭の中に、”僕がつけ入る隙間”を見つけてみたかった。そうして、”僕”という存在が入り込んだとき、彼女がどんな表情をするのか見てみたいと思った。

それからというもの、僕はナマエの部隊から救援要請があると、真っ先に駆けつけた。そして、彼女の記憶に僕の存在を刻みつけられるよう、出会うたびに言葉を投げ続けた。(しかし、それが結果的に彼女を追いつめてしまったのだけど…)

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「霞柱、大丈夫…ですか?」
ナマエが不思議そうな顔で僕のことを見つめていた。
「…ああ、うん。君と出会ったときのことを思い出してた」
「出会い?蝶屋敷でのことでしょうか」
今僕たちは、任務先のとある山村に向かっているところだ。道中、過去の記憶に思いを巡らし、黙り込んでしまった僕をナマエは不審に思ったらしかった。
「それもそうだけど。茶屋でさ、後輩隊士の前で湯飲みを割ったでしょ、ナマエ。あのときのこと」
ナマエの顔がサッと青ざめる。
「えぇっ?ど、どうしてそれを……!いや、違うんです、あれは事故なんです。わたしが感情を制御できなかったから……」
「でも、僕はあれを見て君に惚れたんだよ」
そんな僕の言葉に、ナマエが思いきり眉をひそめたので、思わず笑ってしまった。別にうそは言ってないんだけど。
「僕は鬼殺隊に入って、柱となれて、本当によかった。おかげでナマエと出会えたから、ね」
ナマエは面食らったようだったが、やがて「ありがとうございます」と照れ笑いを見せる。そんな彼女の表情を見られることが、僕はたまらなく嬉しかった。

「ナマエ、今日も生きて帰ろう」
任務の前、彼女に何度この言葉をかけたかわからない。だけど、ナマエはいつも僕の目を見て、大きく頷いてくれる。
「もちろんです。わたしは霞柱の隣で生きていくと、決めましたから」
やがて、問題の山村が見えてきた。僕らは立ち止まり、一度だけギュッと手を握り合う。それだけで、お互いの気持ちが手に取るようにわかった。
「じゃあ行こう、ナマエ」
そうして僕は彼女を守るため、彼女と生きるため、今日も鬼の頸を切る。





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