ひそやかな逢瀬

霞柱は公私混同しない人間だと思う。
…いや、わたしと恋人になる前は行き過ぎた言動などがあり、周りに迷惑をかけたり、他の柱の方々に絞られたりしたようだけど。しかし基本的には、霞柱は「任務は任務」「私事は私事」と明確に区別できるタイプの人だ。

たとえば、任務が一緒になったときも、戦闘で過剰にわたしを守ることはない。わたしは霞柱の恋人ではあるものの、それ以前から鬼殺隊のイチ隊士、イチ剣士であるのだ。戦うと決めて、ここまで来た。だから、そんなわたしに霞柱がしてくれることは、わたしを信じて戦うこと。そして「絶対に生き抜こう」と強く言葉をかけてくれること、それだけだ。

そんな霞柱を、冷たい人だとは思わない。むしろ、人の上に立って戦うとはこういうことなんだと、尊敬する。他人にかける甘さは、自分と相手を危険にさらす行為に繋がるのだ。それをわかっているからこそ、霞柱はわたしに絶対の信頼を置き、一緒に戦ってくれる。

なお、こうした鬼殺隊や任務に関係する場面をのぞけば、霞柱はわたしの「恋人」として柔和に接してくれる。交際する以前は、とげとげしくて無遠慮なきらいのある人物として、大変な苦手意識を持っていたが、今は一遍もそんな雰囲気を感じない。(他の隊士に対しては、相変わらず当たりが強いみたいだが…)それだけわたしは大切にされているのだろう。だから、わたしに優しく接する霞柱を見ると、他の隊士たちはみな驚愕の表情を見せるのだった。

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このように「恋人」としての霞柱はいつも余裕のある穏やかな様相なのだが、なぜだか最近、彼の様子が少しおかしい。ある日を境に、誰が見ても不機嫌とわかるほど、苛立ちが表れるようになったのだ。

きっかけとなったのは、おそらく2週間ほど前の出来事だと思われる。その日、わたしはとある任務の救援に行っていた。戦闘で苦戦している部隊がいる、という情報が入り、たまたま近場で休んでいたわたしが応援に行くことになった。
その現場には2人の隊士がいた。
「応援ありがとうございます!俺は竈門炭治郎、階級は丙(ひのえ)です!」
鬼に技を繰り出しながら器用に自己紹介をした男の子に、わたしも応えなきゃいけないと思い「わたしはミョウジナマエ、階級は乙(きのと)」と早口で伝える。
「うわー!!女の子だぁ!女の子が助けに来てくれたぞー!!!」
別の方向から叫び声が聞こえ、顔を向けると、そちらには喚き声を上げながら鬼の攻撃を防いでいる金髪の男の子がいた。
「俺は炭治郎の同期、我妻善逸だよぉ!この戦いが終わったら、俺とお茶してくれる?そしたら俺、めちゃくちゃ頑張れるんだけどー!!!」
その言葉に返事はせず、わたしは彼に「よろしく」とだけ言い、地面を強く蹴り上げた。この2人の男の子が鬼の勢いを殺してくれていたおかげで、比較的早く鬼の頸を切ることができた。そしてこの任務がきっかけで、わたしは彼らと親しい仲になったのだ。

炭治郎は真面目で信頼のおける人物だったし、善逸は性格に難はあるが、太刀筋のよい人物だった。年が近いということで、わたしたちはすぐに意気投合。会えば一緒に茶屋へ行くようなことも多くなった。
ちなみに善逸は呆れるほどの女好きで、わたしを見つけると恥も外聞もなく求愛してきた。
「こら、善逸。ナマエは時透くんの大事な恋人なんだぞ、怒られても知らないからな」
炭治郎がそう注意してくれると、善逸は顔を青ざめさせて大げさに驚いた。
「えぇぇ?!嘘だろぉ!あ、あの冷酷極まる男の恋人だなんて、そんなぁ……嘘だと言ってくれよ、ナマエちゃあぁん!!」
そんな彼らのやり取りを、わたしはいつも苦笑いをして見守った。
―――けれども、苦笑い、だなんて俯瞰するような態度をとっていてはいけなかったみたいだ。

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わたしが炭治郎や善逸と交流した話をするたびに、霞柱の顔は曇っていった。最初は、たまたま霞柱の虫の居所が悪かったのかな?と思っていたが、そうではないと次第に気づく。じゃあなるべく彼らの話を出さぬようにしようと思うも、「今日はどんなことがあった?」などと聞かれると、嘘をつきたくないので正直に話してしまう。そしてまた、霞柱の顔が大きく曇るのだった。

「ねぇ、ナマエ。あの金髪頭が相当な女好きだってことは知ってるよね。ご多分に漏れず、君も毎度のように口説かれているんじゃないの?」
しかつめらしい顔で霞柱がそう言った。今、わたしたちは蝶屋敷の縁側に座っている。たまたま屋敷で会ったため、少し話そうということになったのだが…相変わらず霞柱の機嫌は最悪だった。
「はい。でも、あんなものはただの冗談ですから」
「でも、ナマエは優しいから、そんな冗談でも強く突っぱねたりはしないんだろうね」
「ま、まあ……なんていうか、あの、善逸…くんとは同い年ですし、そういうじゃれ合いっていうか…」
腕を組んでいた霞柱がピタリと動きを止めた。そして、じっとりとした目つきで、わたしを下から見上げる。
「ふぅん、そう。ナマエはやっぱり僕のこと、子どもだって思ってるんだ。だから、同い年の金髪頭とじゃれ合うわけだ」
「えっ!いえ、そういうわけでは……!」
「ちょっと来て」
霞柱はわたしの腕をとると立ち上がり、庭内をズンズンと歩きはじめた。


蝶屋敷の庭には、さまざまな植物が植えてある。その中でもひときわ大きな木々が茂る場所までくると、霞柱は歩みを止めた。
「……見苦しいところを見せて、ごめん」
霞柱はわたしの腕を離し、こちらに体を向ける。眉を下げ、バツの悪そうな顔をしていた。
「ナマエのことになると、僕はいつも感情的になってしまうな。あんな金髪頭にとられるわけがないとわかっていても、ひどい焦燥感で居ても立っても居られなくなる」
そう話す口調にも微かな苛立ちが含まれており、そんな感情的になる霞柱を見るのは久しぶりだった。
「これでも柱だから、鬼殺隊を牽引する者として、自分の感情をコントロールしているつもりだったんだけど。全然ダメだね。それもやっぱり、僕が子どもだからなのかな?」
自嘲気味に笑う霞柱に慌てて謝罪の言葉をかけようとしたが、その前に彼はわたしの唇に人差し指をぴたりとつけた。
「謝らないで、全部僕が悪いから」
「…でも、」
「その代わりさ、僕のワガママ、ひとつ聞いてよ」
戸惑いながら次の言葉を待っていると、霞柱は「ここで僕に口付けして」と言った。

「……えっ?」
「ナマエから僕に、してよ。一度だけでいいから」
わたしがさらに困惑していると、霞柱は拗ねたような顔になる。
「僕だって、けっこう我慢してるんだよ……君が大切だから。僕が思いのままに求めたら、きっと君は壊れちゃう。我ながら理性のきく男でよかったと思ってるよ。それぐらい、僕はナマエのことが好きなのに……」
「す、すみません…!その、我慢をさせてしまっているようで……」
霞柱はわたしの手を引き、距離を詰めた。誰かが稽古場で練習している音や廊下を走るような音、アオイさんが隊士を叱る声が、遠くに聞こえる。大きな木の木陰で2人きり、わたしたちは密会をしているようだった。

「君からしてよ。…そうしたら僕は、少しだけ安心できる」
優しい風が霞柱の前髪を揺らす。その前髪の下から、青みがかった涼し気な目がわたしを見つめていた。わたしからこの人に、唇を……そう思うと、たちまち顔に熱が集まった。けれども、わたしが霞柱の頼みを”断る”という選択肢は、最初からなかった。なぜなら、彼はわたしの大切な人だからだ。

わたしを気遣ってか、霞柱は目を閉じてくれる。今のうちだ、と顔を近づけようとするも、あまりにも整ったその顔立ちに怖気づいてしまう。口付けなど、初めてではないのに。わたしは震える自分の指先をぎゅうと握りこみ、彼に顔を寄せた。恥ずかしくて死にそうだったけれど、その柔らかい唇にそうっと自分のものを重ねた。

ぱちりと霞柱が目を開けたので、わたしは慌てて顔を離す。
「そんなにそそるような反応しないでよ、…抑えられなくなるでしょ」
霞柱はにこりと笑って、軽く首を傾げる。こういうときの霞柱はいたずらが過ぎることがあるので、要注意だ。
「ありがとう、ナマエ。すごく嬉しかったよ」
「え、えぇ……」
「お礼にさ、僕からもして、いいかな?」
そう言ってわたしの返事も待たずに、霞柱はわたしに唇を重ねた。しっかりと腰に手をまわし、逃げられない状態での口付けは、怖いぐらいにわたしをドキドキさせた。そして、「頼まれていた薬ができましたよ、時透さーん!」とアオイさんが霞柱を探して庭に下り立つまで、わたしたちは何度も何度も口付けをしていた。




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