「ありきたり」を抱えて町に出よ

「ナマエ、明日は非番だって言ってたよね」
「はい、そうですよ」
「あのさ、今日お館様からこんなものをもらったんだけど…一緒に行かない?」
霞柱が取り出したのは、2枚の紙券。そこには『少女歌劇』という文字が見える。
「お館様が別の人からもらったものらしいんだけど、僕とナマエで観劇したらどうだって譲ってくださったんだ」
「少女歌劇……ですか。いいですね、観てみたいです」
わたしが答えると、霞柱は表情をゆるめて「よかった」と言った。こうしてわたしは、初めて霞柱と2人で、町に出ることになった。

観劇は初めてだ。しかも、場所はハイカラな町”浅草”。正直、どんな格好で行けばいいのかわからないし、かといって選べるほどの着物を持っているわけでもない。けれど、少しは華やいだものを身にまとったほうがいいのだろう。散々迷った挙句、わたしはよく袖を通す袴ではなく、葡萄色の生地に桃の花があしらわれた着物を着ていくことにした。

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翌日、先に待ち合わせ場所についていた霞柱は、わたしを見つけるとすぐに近づいてきた。
「今日は紅をさしてるんだ、綺麗だね。着物もすごく似合ってる」
会って3秒で甘い言葉をかけてくるものだから、わたしは恥ずかしくて照れ笑いを浮かべるしかない。霞柱はわたしが初めて見る袴姿だった。水色の着物と、葡萄色の袴の組み合わせで、霞柱に大変似合っている。
「あ、わたしたち、色が似てますね」
わたしの着物と霞柱の袴の色が一緒で、思わず笑ってしまう。
「本当だ、やっぱり僕たち相性がいいんだね」
そう言って霞柱はわたしの手を取り、歩き出した。いつもと違う、大人っぽい霞柱の姿にドキドキしながらも、わたしはその手を握り返した。

和服だけでなく洋装の人間も目立つ浅草の町をしばらく進むと、立派な劇場が現れた。
「この劇場ではいろんな種類の歌劇が公演されているらしいんだけど、今日は宝塚歌劇っていうのをやるみたい。男役も女役も、みんな女性が演じる歌劇らしいよ」
「え!すべて女性が?どういうことなんでしょう…」
霞柱は、わからない、というように肩をすくめると、そのままわたしの手を引き劇場に入っていった。

わたしたちは、滑らかで柔らかいビロードのような素材が使われた椅子に座る。周りは品のいい紳士・淑女ばかりだ。今さらながら、場違いなところに来てしまった気がして、居心地が悪くなる。すると、霞柱がわたしの手に自分の手を重ね、そっと耳に口を寄せてきた。
「…どうやら、この劇場で一番美人なお客はナマエみたいだね」
びっくりして彼の顔を見ると、いたずらっぽい笑みを浮かべている。わたしの緊張をほぐしてくれたのかもしれない。
「美人のお嬢さんが隣にいて、僕は鼻高々だよ」
「や、やめてください、霞柱」
「あ、そうだ。今日だけは僕のこと、名前で呼んでよ。”霞柱”だなんて呼んでちゃ、周りが不審がるでしょ」
あたかも今思いついたかのように、わたしに提案してくる。霞柱のことを名前で呼ぶなんて恐れ多い。どうしよう、と返答に迷っているうちに、開演のベルが鳴った。

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初めて観た『宝塚歌劇』は衝撃的なものだった。まず、出演する女性が一人残らず見目麗しい。顔立ちはもちろん、体つきも美しく、そんな彼女たちがドレスやタキシードといった洋風衣装に身を包むと、日本人とはおよそかけ離れた姿になる。また、顔には目鼻立ちが強調されるような化粧がほどこされているため、女役の女性は甘美で可憐な顔つきに、男役の女性は凛々しくも美しさに磨きのかかった顔つきになる。そんな彼女たちが演じる劇や歌、踊りはすべて素晴らしく、感動を与えた。そうしてわたしは呆けたようにその歌劇に見入ってしまったのだった。

「…素晴らしかったですねえ、宝塚歌劇」
劇場を出ても、わたしの胸にはまだ静かな興奮が渦巻いていた。しかし、霞柱はというと「そう?」とつれない反応だ。
「だ、だって!あんなに美しい人たちがこの世にいるなんて…歌も踊りも一級品ですよ!同じ日本人とは思えない……」
「そうかなぁ?」
霞柱は相変わらず、つまらなさそうな顔でわたしに返事をする。なるほど。もしかしたら、彼からすると歌劇を演じた女性たちのような美しさは、見慣れたものなのかもしれない。たしかに、霞柱と同じように柱を務める蟲柱・しのぶさんや、恋柱・甘露寺さんも、大変美しい女性だ。今回のような歌劇程度では、彼の心は動かされないのかもしれない。

そう思って一人肩を落としていると、霞柱は
「それよりも、やっぱりナマエよりも綺麗な女性は一人もいなかったね。お客の中にも、演者の中にも」
と言いながら、わたしの手をとった。霞柱はまた平然とした顔でそんなことを言うので、慌ててしまう。
「そんな、お世辞なんておっしゃらないでください…。霞柱らしくないですよ」
「なに言ってるの?この世で一番美人なのは君だよ、当たり前でしょ」
「……で、でも…」
霞柱はひょいとわたしの顔をのぞく。
「信じていないようだね。でもさ、僕の言葉を否定するってことは、僕の目が節穴だって言うようなものだよね。ナマエは、僕の目が節穴だって言いたいの?」
「いえ、違います!すみません、霞柱…。その、あまり褒められ慣れていないもので、わたし……」
なんだか今日の霞柱は、いつにもまして真っすぐにわたしに言葉をかけてくる。それが恥ずかしくて、でも嬉しくて、わたしはずっとふわふわしていた。

「あ、」
霞柱が足を止めた。その視線の先をたどると『茶屋』と看板のかかった店がある。
「茶屋ですか。入りますか?」
「ナマエ、これがどういう場所か知ってる?」
「…普通の茶屋ではないのですか?」
「待合茶屋とか、出会茶屋って知らない?」
そう言って、霞柱はぐいぐいわたしの手を引きながら店に近づく。
「僕の屋敷以外の場所で、愛を育んでみる…?」
霞柱がそう囁いたとき、ちょうどその茶屋から1組の男女が出てきた。お互い絡みつくように体を寄せた2人の顔はやや上気している。そこで、この茶屋が一体どういった目的で使われる場所なのかを理解した。
「いえ、あの、大丈夫です」
「うん、また今度にしようね。結構お高いって言うから」
「そういうことではなく……!」
今日はなんだか霞柱に振り回されっぱなしだ。けれど、鬼殺隊という立場ではなく、ありきたりな普通の男女みたいに町を練り歩くことが新鮮で、わたしの口元はずっと上がりっぱなしだった。


「そういえば僕、まだナマエに呼ばれてないなぁ…名前」
「えっ」
今度こそ普通の茶屋を発見したわたしたちは、店先の長椅子に座ってお団子とお茶をいただいていた。そこで、霞柱がぽつりとつぶやいたのである。
「呼んでくれないなら、君をあの茶屋に連れ込んじゃおう」
「またまたぁ……」
「冗談に見える?」
霞柱はにこりと笑って小首を傾げる。…そうだ、彼は有言実行の男なのだ。わたしは小さく息をつくと、霞柱の方に顔を向ける。
「……む、無一郎、さん」
「なぁに」
思いのほか甘えたような返事が返ってきて動揺する。事実、霞柱は可愛らしい笑みを浮かべて、にこにことわたしの方を見ていた。
「いえ、あの……はい」
「ねぇ、もう一度呼んで」
「……恥ずかしいです」
「そういうナマエが見たいんだ、僕は」
本当に今日は、霞柱に調子を狂わせられっぱなしだ。もう何回、顔が燃えるように熱くなったかわからない。
「ナマエ」
「…はい」
「今日はありがとう。いつもと違う君の姿も見れて、すごく楽しかったよ」
「ええ、かすみば…」
「ん?」
「……む、無一郎さんも、その袴が、よく…お似合いです」
「うん、ありがとう」
日が傾きかけており、柔らかな夕日が霞柱の横顔を染めた。

「……もう少し、君といたいなぁ」
茜色の空を見上げながら、霞柱がつぶやいた。わたしの存在を心から求めてくれている、そんな思いが込められたようなその言葉が嬉しくて、わたしは胸の奥がほっこりとあたたかくなった。
「まだ、帰るとは言ってませんよ……無一郎さん」
そう言うと、霞柱は驚いたようにわたしを見た。それから、優しく微笑むとわたしの手をとり立ち上がる。
もう少し一緒にいたい、それはわたしも同じだった。夕暮れの町のさざめきを楽しみながら、わたしたちは時透邸に向かって、ゆっくりと歩みを進めていった。



※注釈:
宝塚歌劇が東京に伝わったのは昭和に入ってからのことらしいですが、今回は大正時代でも観劇できた設定にさせていただいています。




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