10.存在

初めて後輩隊士を引き連れ任務に行くことになった。これまでは自分より同等、もしくは格上の隊士としかの共同任務に行ったことがなかったので、驚きの事態だ。階級の上がった効果が現れている。しかし、そうやってわたしを今の階級に引き上げてくれたのは、間違いなく時透さんだ。

時透さんとは藤の屋敷で謝られて以来、会っていない。わたしが意図的に避けているのではなく、単純に顔を合わせる機会が訪れなかったのだ。前回彼に謝られ、気持ちを伝えられたが、結局わたしはそれにはなにも応えなかった。むしろ”拒否した”という形に近いだろう。それに対して彼が行動してこないということは、この話もこれっきり…ということなのか。

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共同任務で鬼の頸は切れたものの、一緒に任務にあたった後輩がそこそこの怪我を負ってしまった。せっかく先輩隊士としてこの任務にあてがわれたのに、仲間に怪我を負わせてしまい自己嫌悪が募る。相手はわたしより一つ年下の男性隊士で、彼の肩を担ぎながら急いで蝶屋敷に向かった。

後輩は鬼の毒を受け、体全体が痺れているらしい。おぼつかない足取りの彼に声をかけながら蝶屋敷の門をくぐろうとすると、前方から「あっ」と声がした。顔を上げると、1メートルほど先に驚いた顔でこちらを見ている時透さんがいる。そして「あ…」とわたしの口からも同じ言葉が漏れた。

わたしたちは数秒間、無言で見つめ合っていたが、「彼、怪我しているの」と時透さんが後輩を指さすので頷いて見せる。
「はい、鬼の毒を受けて全身痺れが…」
そう答えると、時透さんは「ふぅん」と言っただけだった。いつもなら、後輩を守り切れなかったわたしの力不足を強く責めてくるのに、あっさりとしたその返答にやや拍子抜ける。やはり前回の事件があってから、時透さんは随分大人しくなったみたいだ。

うぅ…と後輩が微かに呻き声を上げた。そうだ、早く彼を治療してもらわなくては。
「…それじゃあ、わたしたちはこれで」
時透さんに軽く頭を下げると、彼はやや俯きながら「うん」と言った。やはりしおらしい時透さんというのは不気味というか、調子が狂う。しかし今はそんなことにかまけてはいられない。わたしは蝶屋敷のしのぶさんの部屋を目指して前進し続けた。


今日はしのぶさんが屋敷にいる日のようで、彼女はすぐに後輩の治療をしてくれた。ほかに患者のいない静かな病室に彼を寝かせ、3〜4日でもとの状態に戻るだろうと説明を受けると、安心して大きな溜息が出る。
「ところで、あなたはここに来るまでに誰かと会いませんでしたか?」
含みを持たせるような言い方にわたしは首を傾ける。
「誰か…?」
「えぇ」
「誰かって言うと……。あ……そういえば、時透さんとは会いました」
「やはりそうでしたか」
しのぶさんがにっこりと微笑むので、ますます不思議な気持ちになる。
「あの、それがなにか…」
「いえ、個人的に気になっただけですから」
目の前でニコニコしているしのぶさんを見て、一抹の不安を抱く。もしかして彼女は知っているのだろうか、わたしと時透さんのことを。

「あの、ご、ご存じなんですか?」
「なにがですか?」
「い、いや、その……」
「お二人のことですか?」
「ふたり…」
「ふふ、どうでしょう」
軽く口元を押さえて微笑むしのぶさんは、心なしか楽しそうだ。
「ただ…お二人になにもないのであれば、彼がわざわざわたしの部屋を訪れる必要などなかったと思いますけどね」
そう言って悪戯っぽい目でこちらを見るので、わたしは素直に動揺してしまった。

「と、時透さんがしのぶさんの部屋に…?」
「えぇ、随分と沈んだ様子でした」
たしかに、先ほど会った時透さんも怖いくらいしおらしかった。体の具合でも悪いんじゃないか、ってくらいに。
「もしよろしければ、お二人になにがあったのか教えていただけませんか?力になれるかもしれませんし」
しのぶさんは少しだけ笑顔を抑え、落ち着いた調子でそう言った。

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「……あら、まあ」
時透さんとわたしの間に起った一通りの出来事を洗いざらい話して見せると、しのぶさんは大きく口を開けて驚いた。
「鬼殺隊を牽引する霞柱と言えど、やはり彼も男の子なんですねぇ…ある意味ちょっと安心しましたけど」
そう言ったあと、彼女は急に声を潜めた。
「で、どうなんです?ナマエさんは今でも、彼のことを殴り倒したいくらい嫌いですか?」
「それは……うーん…」
「ただ、彼は本当にナマエさんのことが好きみたいですよ」
「…えっ?!」
久しぶりに聞いた”好き”という言葉に、わたしの心臓はドキリと跳ね上がった。

「実は以前彼に、ナマエさんについて尋ねたことがあるんです。数ヶ月も前のことですけど。そして、そのときの彼はナマエさんへの恋心を否定しているようでした」
しのぶさんは湯飲みに入った玄米茶を静かに啜ると、言葉を続ける。
「しかし、今回わたしを訪ねて来た彼は、自分がナマエさんに好意を抱いていることを自覚したと言っていました。やっと自分の恋心に気づいたようですね」
彼女は自分の姉や妹のことを話しているかのような、穏やかな口調だった。
「離れでの出来事が相当効いたみたいですよ。…まあ、好きな女性の涙を見てしまって心を痛めない人はいないでしょうから」
時透さんがしのぶさんに、わたしへの想いを素直に告白するなんてにわかに信じられないが…あの意気消沈ぶりを見ると、あり得ないことでもないと思えた。

「それで、ナマエさんはどうされるんですか?」
「どう…って?」
「彼はとても反省しているようですよ。そして、ナマエさんへの気持ちも断ち切れないようです。だから、完全に心を入れ替え、純粋で真っすぐに交際を申し込んでくるかもしれない。薔薇の花束でも持って、愛の言葉を囁いてくるかもしれない。そのとき、ナマエさんはどうしますか?」
「……あの、しのぶさん楽しんでませんか?」
「あら、バレましたか?」
小首を傾げ、可愛らしく笑うしのぶさんに「他人事だと思って…」と思わず愚痴を漏らしてしまう。

「すみません、ナマエさん。まさか、鬼殺隊内でこんなに不器用な青春をしている男女が見られるなんて、思いもしなかったもので!ともあれ、わたしはお二人のことを応援していますから、いつでも相談に来てくださいね!」
”二人を応援する”と言われたって、わたしは時透さんに好意を抱かれている立場というだけなので、なにも応援のされようがない。けれど、彼の心内を聞かされてしまったことについては、少しだけ複雑な思いがした。
だからなのか、わたしの中の時透さんという存在が少しだけ大きくなったような気がした。





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