14.胸のつっかえ

蝶屋敷で治療が終わり、再び日々の任務に勤しむことになった。治療後はじめての任務先は蝶屋敷から近い場所ということもあり、屋敷から直接現場に向かうことになる。また、わたしの助太刀として炭治郎も任務について来てくれるらしい。頼もしいことだ。


任務に発つ当日、わたしは朝から鍛錬などをしてなまった体をならしていた。頭の片隅にはいつも時透さんのことがあったけれど、あの甘やかな言葉をかけられたあと、彼が再びわたしに接触してくることはなかった。というのも、先に治療を終えた時透さんは最後に会った日の翌日から、早速任務に駆り出されるようになったらしい。実力のある柱ならば仕方のないことだ。

たっぷりと昼食を取ったあと、稽古場で一人素振りをしていると、誰かが中に入ってくる気配がした。その気配がした方を見ると、そこには嬉しそうにこちらを見ている炭治郎がいた。
「調子よさそうじゃないか、ナマエ」
「おかげさまで。それと、今日はよろしくね」
炭治郎はにっこり笑うと、稽古場の隅にあった木刀を手に取る。
「よし、少し手合わせをしようか」
すっとわたしに刀身を向けながら言う。炭治郎と手合わせをするなんてめったにないことだが、療養明けのわたしの体を起こしてやるつもりなのだろう。
「お願いします」
わたしが木刀を構えるのを合図に、激しい打ち合いがはじまった。

こうして少しだけ炭治郎と稽古をしたあと、わたしたちは任務に発つ準備をする。そして15時頃には蝶屋敷を出た。

炭治郎と2人での任務だから、なんの不安もない。彼の力に頼りきってはいけないが、それでも炭治郎がいた方が勝率は何倍も上がる。だから、大丈夫。不安なんて感じる必要がない。

……そんなことを考えたところで、わたしは首を捻る。
今わたしは漠然とした不安のような、苛立ちのような、落ち着かなさを覚えているのだが、どうやらそれは”任務が久しぶりだから”という理由ではないらしい。なぜなら相棒である炭治郎には絶対的な信頼を置いているし、そのおかげでわたしは安心して任務に向かっているからだ。

では、この胸をつっかえるような気持ちは何なのだろう。


「あ、時透くん」
炭治郎が呟いた言葉に、わたしの意識は現実に引き戻される。顔を上げると、時透さんが足を引きずりながらこちらに歩いてくるところだった。任務帰りなのだろう。
「大丈夫か?結構ひどい戦闘だったんだな」
炭治郎が心配そうな顔で駆け寄った。
「別に、ちょっと足を捻られただけ。蝶屋敷で治療してもらえばすぐ治る」
時透さんはそっけなくそう言うと、わたしの方に顔を向ける。いつもの感情の出づらい無表情を浮かべた時透さんだ。わたしは黙って彼に頭を下げた。

「2人はこれから任務?」
「ああ、鬼の目撃情報がある西の方の神社に行ってくる」
「ふぅん」
時透さんの会話の相手を炭治郎に任せていると、時透さんはわたしの目の前までやって来た。引きずる足が痛々しいな、と思っていると、急に鼻をつままれる。しかも、その力はなかなかに強い。「痛っ」と声を上げると「あ、喋れるんだ」と彼はニヤリと笑った。

わたしに手を払われる前に鼻から手を離した時透さんは、ニヤついた生意気な表情を浮かべながらわたしを見据える。こんな顔をした時透さんを見るのは久しぶりだった。そんな彼を睨みつけながら、「なんなんですか」と思いのほか刺々しい声が自分の口から出る。
「全然喋らないから、人形かなにかなのかと思ってさ。でも違ったみたい」
こんな嫌味を言われるのも久しぶりだ。思わず「あなた、わたしのことを好きだと言っていた時透さんと同一人物ですか?」と確認したくなる。

「炭治郎との会話を邪魔するの、悪いかと思いまして」
つとめて冷静を装いながらそう答えると、時透さんが小さく笑う。
「俺は炭治郎とのお喋りなんかどうだっていい、君と喋りたいんだ。それくらいわかるでしょ?」
わたしが黙っていると時透さんは腕を伸ばし、わたしの鼻をツンとつついた。
「あれ?僕が君のことを好きだって言ったの、忘れちゃった?」
わたしだけでなく、炭治郎も呆気に取られている。

それも、そのはずだ。
一時はわたしに気持ちを伝えるなどして、しおらしくなっていたのに、今の時透さんはわたしを”いじめていたとき”の態度に逆戻りしている。しかし以前と違うのは、あのときのようにわたしを執拗にいじめるのが目的ではなさそうだ、と言うこと。あくまで、わたしに好意を持ったうえで以前のような態度をとっているみたいだ。

「優しくいい子を演じていても、君に効果はなかったようだからさ。猫かぶるの、やめた」
わたしたちの考えを見透かしたかのように、彼は笑いながらそんなことを言う。それからわずかに拗ねた表情を浮かべ「どうせ、僕がツツジを渡した意味もわかってなかったでしょ」と言った。
「それは、」
反射的に否定しそうになるが、慌てて口をつぐむ。時透さんはじいっとわたしの顔を見つめたあと、にぃっと小狡い笑みを浮かべた。
「あ、わかってたの」
「………」
「そっか、じゃあさ、」
突然時透さんの影がわたしに覆いかぶさる。おでことおでこがぶつかり、彼の大きな目が言葉通り目の前にあった。その瞳から視線を逸らせなくなる。
「俺、これからも全力でナマエを口説くよ。だって、君が好きだから」
その言い方、こんな風に肌に触れるやり方、すべてが馬鹿にされているようだ。けれど、触れた肌から熱くなるみたいにわたしの心臓はドキドキとしていたし、なんとか絞り出した「はぁ?」という抗議の声もみっともなく震えていた。

「時透くん、ナマエを困らせるな」
炭治郎が顔をしかめながら時透さんの肩を掴んで引く。彼は抵抗しなかったけれど、離れていく最後の瞬間まで意味ありげにわたしの瞳を見つめ続けた。


そんな時透さんと別れたあと、不思議なことにわたしの胸のつっかえはなくなっていた。認めたくないが、わたしの心に靄を作っていた人物は、時透さんだったようだ。しかし、その原因がわかったことで気持ちが晴れたわけではない。むしろ、頭の中はさらにこんがらがり、以前のような時透さんに戻ってしまったことへの戸惑いも大きかった。

それに彼のことを考えると、少しだけ体温が上昇し、また少しだけ脈が速くなるような気がする。いくら憎い相手でも、好きだなんだと言われれば、誰だってそんな風に体が反応してしまうだろう……そう頭ではわかっているが、それでもわたしの気持ちは落ち着かない。正直わたしは、時透さんに「惚れている」わけではない。でも、彼がわたしのことを好きなのだと思うと、大変不思議な気持ちになった。

足元がふわつくようなその気持ちを頭から追い出し、わたしはちょっとだけ不機嫌な炭治郎の横顔を見る。そして、今は任務に集中しなきゃいけないと、一人小さく頷いた。






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