翌朝、学校に登校すると「ミョウジさん」と聞き慣れない声がわたしを呼んだ。きょろきょろと周りを見渡すと、「こっち」と再び背後から声がする。振り返ると、柔らかな笑みを浮かべた男子がこちらに歩いてきた。彼は当然のようにわたしの隣に並ぶと、一緒に教室に向かう。別に不快というわけではなかったが、このときわたしは微かに違和感を感じた。
「文化祭実行委員の手伝いの件、ありがとね」
そう言われて、彼が誰なのかやっと理解した。彼は”タク”という愛称で呼ばれている、クラスメイトだ。実行委員の手伝いを頼まれる際、話題に上がった人物だが、正直ぼんやりとしか顔を覚えていなかったので、声をかけられても誰だかわからなかったのだ。そんな彼に話しかけられたものの、まったく親しい間柄ではないものだから、わたしは「ああ、うん」と曖昧な返事をしてしまう。
「実行委員の仕事、俺もあいつもヤル気満々だったんだけど、お互い部活の副キャプテンってことすっかり忘れてて。あ、俺サッカー部なんだけどね」
あいつ、とは先日わたしに手伝いをお願いしてきた女子バレーボール部の彼女のことだろう。続いて、この”タク”という人物がサッカー部であること、副キャプテンであることなど、次々と新たな情報が明かされ少し戸惑う。
「で、誰かのサポートが必要だなってことで、突然だけどミョウジさんにサポートをお願いしたんだ。驚かせてごめん」
そこまで話した”タク”は、「あ、ていうか俺ばっか喋ってたよね、ごめん!」と照れ笑いを浮かべた。
ここまでやり取りをして、わたしは抱いていた違和感の正体がやっと分かった。違和感というより『デジャヴュ』に近い。
この”タク”は友人である善逸くんによく似ていた。見た目による一致はないが、気遣いしいだったり、少し自信がなさそうに眉を下げて笑ったりするあたりが、よく似ている。とはいえ、善逸くんだったら文化祭実行委員などという大それた仕事に立候補することはなさそうだが。
「できる限りサポートするけど、あんまり期待しないでね」
思ったよりも素っ気ない言葉が自分の口を出た。しかし彼は嬉しそうに首を振る。
「いやいや、ミョウジさんがいるだけで俺らの負担はだいぶ変わるよ。本当助かる、ありがとう」
典型的な”いい子ちゃんタイプ”なのかな、と思った。一緒に歩いていると、彼は学年問わず何人もの生徒に挨拶をされているし、人望も厚そうだ。きっとわたしみたいな人間とは正反対のタイプだ。
「ねぇ、なんで俺がミョウジさんに手伝いを頼んだのか、理由を聞かないの?」
突然彼がそんなことを言ったので驚く。それはまるで、俺がミョウジさんを指名したってこと、知ってるでしょ、と言っているかのようだった。わたしは彼の顔をまじまじと眺める。ニコニコと人の良さそうな笑みを浮かべる彼の腹の底に企みがあるようには見えないが、その質問が意図するものもわからなかった。
「ああ、どうしてわたしを選んだの?」
また素っ気ない口調になりながらそう尋ねる。すると、彼はふふっと小さく笑った。笑うとますます優しそうな顔になり、それがやはり善逸くんを彷彿とさせる。
「んー、教えない」
「は?」
「今は教えない」
理由を聞かないのか、とそそのかしておいて、結局理由を教えないというのはどういうことだ。わたしが眉根を寄せ、小さく首を傾げると、また彼は笑った。
「そうだ。俺のこと、タクって呼んでよ。みんなそうしてるからさ」
「ああ…うん」
「じゃ、これから相棒としてよろしくね、”ミョウジ”」
そう言って彼はわたしの背中を軽く叩き、教室に入っていった。
自分のことを呼び捨てにしていい、という代わりに、わたしのことも呼び捨てにする。これがクラスの中心人物となる人間たちの距離の詰め方なのだろうか。不快感こそ感じないが、脈絡のない距離の詰め方に戸惑う。いずれ慣れるのだろうが、いろいろと気苦労がありそうな気がして、わたしはこっそり溜息をつく。
その日の夜、善逸くんとスマホでメッセージのやり取りをしているとき、この”タク”という生徒について少しだけ話をした。
『善逸くんに少し似てるよ、でも、ちょっと馴れ馴れしい感じ』と送ると、急にサポートを頼まれたわたしの立場を慰めつつも、『距離が近いとちょっと疲れるよね』とわたしの気持ちを察してくれた。
その後は、最近観た映画の話やお勧めの音楽の話などをしつつ、わたしが先に寝落ちしてしまった。急に距離を詰めてくる人よりも、こうやって徐々に信頼関係を築いていった善逸くんと接する方が、わたしには安心できた。
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翌週―――。
わたしは早速、文化祭実行委員の手伝いに駆り出されることになった。その日はもともとバイトがなかったし、なにも問題はなかったのだが、タクと2人で集まりに参加するというのでやや気乗りしなかった。
「じゃ、いこっかミョウジ」
放課後になり、筆記用具とノートを持ってわたしの席にやって来た彼に、黙って頷く。集まりの場所に行くまでのあいだ、彼はいろんな話をしてくれた。アウェイなわたしの気持ちをほぐしてやろう、という相手の思いやりなのだろうが、そういう気遣いが逆に疲れる。
委員の集まりで、わたしは主に書記役を務めた。特に発言はしなくていいと言われていたし、「俺、ノートとか取るの苦手なんだよね」と彼が言っていたからだ。
話し合いが行なわれている中、プリントやノートに必要事項を書いていると、強い視線を感じ手を止める。顔を上げると、タクと目が合った。すると彼は慌てたようにわたしの手元に視線を落とす。
「いや、あの、綺麗にノート取るなって、思って」
その慌て方が、また善逸くんを思い出させた。
「そう?普通だと思うけど」
わたしは赤ペンで重要事項に線を引きながら答えた。
文化祭実行委員の手伝いという大それた名前だから、いろいろと面倒なことを想像していたが、話し合いの内容をまとめノートに取ることくらいなら、さほど労力を使うことはなかった。だから、集まりが終わるころには強張っていたわたしの気持ちもだいぶ緩んでいた。
「ミョウジは、このあと帰宅?」
集まりが解散となり、教室に戻って帰り支度をしているとタクが言った。彼はこれから部活に出るようで、大きなスポーツバッグを肩にかけている。
「うん、そうだよ。今日はバイトもないから」
「そっか、じゃあ気をつけて」
タクはにこりと微笑む。優男らしい、柔らかい笑みだった。うん、と頷いて教室を出て行こうとすると、「ミョウジ」と呼び止められる。振り返ると、彼が近寄ってきた。
「今日はありがとう、助かったよ」
ただのクラスメイト同士が話すにしては近い、わずかにパーソナルスペースを侵している、絶妙な距離だった。わたしは無意識に身を引く。
「どういたしまして、また明日」
それだけ言ってわたしは背を向けた。タクがふふっ、と笑った気がした。そしてわたしは、やっぱり彼の距離感が苦手だと思った。
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