17.いけない

優しい顔をした時透さんがいる。彼は両手でわたしの顔を包んだ。ゴツゴツとした手は温かい。そして彼は目を閉じると、ゆっくり顔を近づける。柔らかい唇が、重なって―――――


その瞬間、わたしは飛び起きる。真夜中のことだ。心臓が早鐘を打ち、額にうっすらと汗が浮かんでいる。なんて夢を見ているんだ。気持ちを落ち着かせるため、わたしは水を飲みに台所へ行く。

寝床に戻ってくると、折りたたんだ隊服のポケットから小さな筒状のものが顔を出しているのを発見する。”紅”だ。わたしの鼓動は再び速くなる。
あんな夢を見るなんて、いけない。
わたしは溜息をついてその紅を一度取り出したが、結局どこにしまっていいのかわからず、同じポケットの奥へと押し込んだ。

なにもかも、時透さんのせいだ。恋人の真似事をしてわたしを連れまわし、挙句の果てに……ああ、思い出してはいけない。これじゃあ、いつまで経っても鼓動がおさまらないではないか。
……なぜ?
わたしは、はたと違和感を覚える。こんなこと、まったくもってわたしらしくない。なぜ時透さんなんかに、心臓を騒がせているのだ。いけない、これではいけない。鬼殺隊の隊士、失格だ。

わたしはすべての雑念を頭から振り払い、再び布団にくるまった。わたしは普通の町娘ではないのだ。考えていいのはただ一つ。鬼の頸を切ることだけ。柱の悪戯なんかに振り回されてはいけない。そうだ。鬼のことだけ、鬼を倒すことだけ………そう心の中で繰り返していると、いつの間にか眠りに落ちていた。


翌朝早く、鎹烏がわたしに伝令を持ってきた。急ぎで蝶屋敷に来てほしい、とのことだった。わたしは身支度を整えると、すぐに出発した。忘れきれていない夢のかけらが、頭の片隅に残っていた。

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「急にお呼び立てして申し訳ありません」
出迎えてくれたしのぶさんは、眉を下げながらそう言った。蝶屋敷にはわたし以外にも数名の隊士が集められており、全員が女性だった。
「実は看護師である、きよ、すみ、なほの3人が流行り病にかかってしまい、現在、隊士の治療を行なう人手が足りていないんです。やはり、わたしやカナヲだけでできることにも限界がありまして…そこで、皆さんのお力をお借りしたいと思い、急遽お集まりいただきました」
しのぶさんはこのように説明した。それからわたしたちはアオイさんから治療薬・道具の場所や、簡単な治療対応などについて教わった。分からないことはとりあえずアオイさんに聞けばいいらしい。

正直、わたしはちょっとだけ安心していた。
この蝶屋敷で忙しく働いていれば、時透さんのことを思い出す暇などないだろう。また柱である時透さんだって暇人ではない。怪我でもしない限り、この屋敷にやってくることはないだろう。ちょうどいい頃合いに助っ人を頼まれたものだと、わたしはこの状況に密かに感謝していた。こうして、わたしの蝶屋敷での日々がはじまった。


―――しかし、ほどなくしてわたしは自分の”楽観的な考え”を後悔することになる。
蝶屋敷での日々は非常にハードだった。毎日とてつもなく忙しい。次から次へと隊士が運ばれてくるし、隊士の回復具合に応じて機能回復訓練なども行なわなければならない。同時に朝昼晩と食事の用意を行ない、時間に応じて薬を提供することも忘れてはならない。掃除に洗濯、お風呂の用意だってある。朝から晩まで働き、気づけば就寝時間……はじめのうちはそんな毎日だった。

これだけ忙しければ、浮き足立った悩みなどストンと頭から抜け落ちる。正直、時透さんのことなど考えている暇もなかった。その代わり、とんでもなく忙しい毎日を送らされている。布団の中で悶々と悩んでいたあの日々が懐かしいとさえ思った。

入れ替わり立ち代わりやってくる隊士の中に、ときどき見知った顔も現れる。この前は伊之助が来たし、塗り薬だけをもらいに炭治郎が来たこともあった。みな一様に、わたしが蝶屋敷で働いていることに驚いていた。
「大丈夫か?少し痩せたんじゃないか?」
そう言って炭治郎は町で買ったという最中をくれたし、その後もときどきわたしの様子を見に来てくれるようになった。

蝶屋敷に柱が来ることは稀だった。よほどの大怪我をしたときにしか、蝶屋敷に留まることもない。屋敷に留まったとしても、ものすごい治癒力であっという間に回復してしまう。極限まで自分を鍛え上げた柱の強さに改めて圧倒された。

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その日、わたしは朝から大量の洗濯物を干していた。すると、ガヤガヤとした声が屋敷に近づいてくるので、門まで出迎えに行く。すると、やはり数名の隊士たちがこちらに向かっており、その中には炭治郎と善逸もいる。しかも炭治郎は善逸の肩を借り、足を引きずりながら歩いていた。
「あっ、ナマエ!蝶屋敷で働いてるって本当だったんだ!その看護師服も似合ってるよ〜〜!!」
炭治郎の体から手を離し、こちらに走ってこようとする善逸を慌てて止める。それからわたしは彼らを蝶屋敷の病室へと案内した。

やって来た隊士たちの中で一番怪我の具合がひどいのは炭治郎のようだった。打撲傷が多く、肋骨も何本か折れているらしい。ここ数日で、パッと見ただけの相手の怪我の度合いを見分けられるようになったのは、我ながら大きな成長だと思う。「ナマエ〜〜俺もそこそこ酷い怪我してるよ〜!看病してよ〜〜!!」という善逸の泣き言を聞き流しながら、必要な治療薬や処置道具を取りに行くべくわたしはいったん病室を出た。




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