18.混乱至極

「ナマエ〜〜〜!!今日も来てくれたんだね〜〜!」
「当たり前でしょう、看護のためですから」
病室に入った途端、善逸の熱烈な歓迎を受ける。彼の隣の寝台を見ると、炭治郎が痛みに顔をしかめながら体を起こすところだった。
「炭治郎、寝ててもいいんだよ。無理しないで」
「ああ。でも、寝たままだと薬を飲ませにくいだろう」
炭治郎は肋骨骨折に加え、鬼の毒を受けて両手足に痺れがあるらしかった。だから飲み薬もわたしたち看護師が飲ませてあげなければならない。なかなかの満身創痍ぶりといえる。
「ごめん、気遣わせちゃって」
「いいんだ、これは俺が勝手に……」
「おーーい!!俺にも薬飲ませてよぉ、ナマエ〜〜!!」
わたしたちの会話に乱入して善逸が騒ぐ。彼と炭治郎を同じ病室にしたのはまずかったかもしれない、と溜息をついた。

そんな風にして、いつもより賑やかなわたしの看護師生活がはじまった。軽傷だった善逸は早い段階で回復したが、炭治郎は少し時間がかかりそうである。頑なに参加を拒否する善逸を引っ張って機能回復訓練を行なったり、炭治郎の看護をしたりと、わたしはますます忙しい日々を送った。

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「今日は自分で食べてみるよ」
いつものように夕食を持って行くと、炭治郎がそう言った。まだ少し震えがあるが、どうにか手を動かせるようになったらしい。わたしは頷いて彼に匙をわたした。

炭治郎が自分で食事をしている間に、わたしは今日蝶屋敷を出て行った善逸や、他の隊士たちが使っていた寝台を整えることにする。やはり炭治郎だけ他の隊士よりも回復速度が遅く、まだ屋敷で治療をする必要があった。空になった水差しなどを一箇所に集めていると、カランッとなにかが落ちる音がした。振り向くと、炭治郎の寝台の下に木の匙が転がっている。やはり震えが残る手では上手く匙を持てなかったようだ。
「ごめん、ナマエ…」
「そんな、気にしないで」
わたしは急いで替えの匙を持ってきて、いったん彼にわたす。先ほどよりもバランスがとりやすい、大きくてしっかりとした匙だ。それから寝台の下に落ちた匙を拾おうとしゃがみこむ。

コロンッとなにかがわたしの隊服から飛び出した。
「あ」
声を出してから、後悔する。慌てて転がり出たものを取り上げたが、案の定「それ、なんだ?」と炭治郎に声をかけられた。
「いや、その、なんでもないよ」
「俺の見間違いじゃなければ、化粧品のように見えたんだが」
炭治郎は屈託のない笑みを浮かべながら言う。なにを考えているのかよくわからない。
「よければそれ、見せてくれないか?」
仲間である炭治郎のお願いを断るのは憚られる。わたしは立ち上がると、渋々手の中にあるものを彼に見せた。

「これは……紅?」
炭治郎は筒状のそれを取り上げマジマジと観察する。それから蓋を取ると、少しだけ顔をほころばせた。
「ああ、やっぱりそうだ。遊郭へ潜入したときに見たんだ、遊女の方たちの中にもこういう紅を使っている人がいたよ」
そして彼は再び蓋をつけると、その紅をわたしに返す。
「……で、これは誰かに贈られたの?」
この紅は自分で購入したのだ、と嘘をつくまえに、確信をつくような質問をされてしまう。炭治郎の視線が痛い。
「もしかして、時透くん?」
「えっ?……いや、違うよ」
「嘘の匂いがする。やっぱり時透くんか」
もうあれこれ聞いてほしくないのに、炭治郎は射るような視線をわたしに向けた。
「なぁ、ナマエ。時透くんと君は、その………恋人なの?」
「ち、違うよ!!」
「そうか」
そう言って炭治郎は一度黙り込む。変な言い訳をすると自分が墓穴を掘りそうで、わたしも口をつぐんだ。


「ナマエがこの紅を落としたとき、君からいつもと違う匂いがしたんだ」
「え?」
「あたたかくて、くすぐったいような……まるで、恋をしているみたいな、そんな匂い」
わたしは驚きのあまり動けなくなる。
「もしかして、ナマエはこの紅を見て、なにかを思い出したんじゃないか?それで、あんな風に…」
「違う、全然違う!そんなことない、なにも思い出してない!」
嘘はすぐにバレてしまうというのに、わたしは言葉を抑えることができなかった。炭治郎は相変わらず意味ありげな目でこちらを見つめている。

「ほら、炭治郎!冷める前にご飯食べちゃおう……」
「ナマエ」
「な、なに?」
「俺はきっと時透くんには勝てないんだって、わかってる。でも……それでも最後の悪あがきをさせてほしい」
炭治郎がわたしの両手を取る。彼の手は毒の影響で微かに震えているけれど、火傷しそうなほど熱かった。
「俺、ナマエのことが好きだ。仲間としてだけじゃなく、一人の女性として、ずっと好きだった。なぁ、ナマエ。時透くんじゃなくて、俺じゃ………ダメか?」
炭治郎の言葉がゆっくりと自分の中に染み込んでいく。わたしはちっとも頭を整理することができなかった。

まず炭治郎は、わたしが時透さんのことを好きであるかのような口調で話を進めている。違うのに、まったく
違うのに。”恋をしているような匂い”だって、きっとこの紅を使って口付けられたときのことを思い出してしまったのが原因のはずだ。あんな恥ずかしいことを思い出せば、誰でも照れたような匂いがするに決まっている。
そして、そんなわたしのことが…炭治郎は好きだというのだ。正直、全然気づかなかった。ずっとわたしをそばで支えてきてくれて、その存在が近すぎて、まさか異性として見られているなんて思いもしなかったのだ。

「ご、ごめん、ナマエ!突然こんなこと言って……あの、返事は急がなくても…」
「あの!炭治郎のことは、仲間として…好きだよ。それで、これからも大事な仲間でいたい」
炭治郎は目を見開いたまま固まっている。頬が赤く、ものすごく緊張した顔つきだった。
「それから時透さんのことは…別にそういうことではないから、本当に。だから安心してほしい、というか……うん」
歯切れの悪い返事をしてしまう自分に、若干の苛立ちを感じる。そんなわたしを見て、炭治郎はふっと表情を緩めた。困ったような笑みを浮かべている。
「ナマエ、俺に嘘は通じないぞ」
「え…?」
「君の言葉の後半には嘘が混じっている。その嘘は無意識かもしれないけど」
炭治郎はわたしの手を優しく離した。
「俺の完敗ってことか……悔しいけど、仕方ないな!じゃあ俺は、仲間としてナマエの恋を応援するよ」
わたしはますます混乱した。嘘?応援?どういうこと…?
「頭、冷やしてくる…」
言うが否やわたしは走って病室を出る。なぜこんなに頭がこんがらがっているのか、焼けそうなほどに頬が熱いのか全然わからず、ただただ戸惑っていた。




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