「…げっ」
「ん?」
自分にしか聞こえない声量でつぶやいたはずなのに、前の席にいる金髪の男が振り返ってきた。我妻善逸だ。
「どした?」
「あ…いや、消しゴムなくしちゃったみたい」
「えっ?!」
「こらー。我妻、前向けー」
「うぇっ、は、はい!」
教師に注意され、善逸が慌てて前を向く。
「…さっき筆箱落としたときに、どっか行ったのかも…消しゴム」
善逸にだけに聞こえるような小声で話しかける。
「今から中間テストだってのに、なにやってんだよ…」
彼も囁き声で返してくれる。どちらかというと、わたしよりも善逸の方が切羽詰まっているような声色だ。わたしのことを心配してくれているのだろう。
しかし、教師はすでに一番前の席の生徒にテスト用紙を配っているため、テストはもう始まってしまう。絶望的な状況だ。善逸はそうっと腕を後ろに伸ばして、わたしの机を裏からトントンと叩いた。
「ん」
「えっ?」
わたしも机の下からそうっと手を入れて、善逸の手に触れる。触れた瞬間、善逸は少しだけ手をビクリとさせた。彼の手の中には小さな消しゴムがあった。
「善逸、これ…」
「お前、使えよ」
「いや、でも…」
「俺は大丈夫だから」
善逸のもとにテスト用紙が回ってきてしまった。ここから先はもう身動きが取れない。
「じゃあ、消しゴムが必要なときは合図して」
「ん」
そして善逸は、わたしにテスト用紙を回すとき「合図、”首”触るから」と小声で言った。
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テストが始まった。善逸が消しゴムを貸してくれたので、幾分緊張はほぐれたものの、その代わり善逸に緊張感を与えてしまっているという罪悪感がある。問題を解くことに集中しつつも、彼から合図が出されないか、時折その背中を注視した。
正直、消しゴムを貸してもらえて本当によかった。今回のテスト、わたしは問題を解き直すことが多く、すでに10回は善逸の消しゴムを使っている。これがもし、消しゴムなしの状態でテストに臨んでいたら…赤点待ったなし、だったであろう。
それに引き換え、善逸からはまだ一度も”合図”が出ていない。テスト前にヤバい、ヤバいと言っている割には、それなりの点数をたたき出す善逸だから、けっこうスムーズに問題を解いているのかもしれない。
そうして半分ほど問題を解き終えたところで、例の”合図”が来た。善逸がゆっくりと、自分の首筋に触ったのだ。わたしはハッとして消しゴムを握る。わたしは一番後ろの席なのだが、幸いにも監督する教師が教卓方向に向かって歩いている最中だったので、今は消しゴムを渡す絶好のタイミングだった。
わたしは善逸の首筋と指先の間の空間に、そうっと消しゴムを入れる。わたしの手が善逸の首に少し触れると、彼はまたビクッとした。びっくりしたのだろうか。そして善逸は、そのまま自然な仕草で手の中に消しゴムを納め、それをテスト用紙へと運んでいった。
しばらくして、コンコン、と机に微かな振動を感じた。善逸だ。わたしに消しゴムを返してくれるらしい。最初にやったときと同じように、わたしはまた机の下に手を差し入れた。最初善逸の手がどこにあるのかわからず、ふらふらと宙をさまよう。ようやく彼の手を見つけて、その手から消しゴムを受け取るとき、やはり彼はちょっとびっくりしたように体を震わせた。金髪の間から見える耳が、やや赤みがかっているのも気になった。
テストが終わる10分前で、わたしはギリギリすべての問題を解き終えた。満足して椅子に背中を預けると、そのタイミングに合わせたかのように、善逸の手が首筋に行った。まさか…と、青ざめる。自分が問題を解くことに夢中で、善逸の合図に気づいていなかったのかもしれないからだ。慌てて善逸の手に消しゴムを握らせる。あまりに慌てていたので、善逸の手に自分の手を重ねるように、力強く消しゴムを渡してしまった。「ひっ」と小さな悲鳴がして、わたしも驚いた。善逸、テストへの緊張で感覚が敏感になってるのかな。そんな状況にしてしまったのは紛れもないわたしだから、非常に申し訳なくなる。
善逸が何箇所かを消しゴムで消すような動きをしていた。やはり、まとめて回答を書き直しているようだ。わたしが合図に気づかなかったせいだ。今回のテスト、わたしのせいで善逸が100%の実力を出せなかったとしたら…。どう詫びればいいだろう。そんなことを悶々と考えていたら、またコンコン、と机に振動を感じた。テスト終了まであと3分ほど。もう消しゴムは善逸が持っていていいのに、そう思いながらも消しゴム受け取ることにする。
机の下に手を入れ、善逸の手を探す。今度はすぐ見つかった。彼の手の中にある消しゴムを掴もうとしたとき、するりとそれが転がった。善逸もそれに気づいたらしく、消しゴムが落っこちないようにと手のひらを閉じる。しかし、その小さな消しゴムは善逸とわたしの手をすり抜け、結局善逸が掴んだのは”わたしの手”だった。
お互いになにが起こったのかわからず、硬直する。が、これが”事故”だと我に返ったわたしは、手を引き抜こうとした。……抜けない。もしかして善逸、ふざけてるのかな?と思い彼の方を見ると、耳が真っ赤に染まっていて、余計に戸惑ってしまった。
善逸がわたしの手をギュッと握り直す。善逸の手は、大きくて、ごつごつしていて、熱かった。その手から彼の鼓動が伝わり、わたしの体まで熱くなっていく。中間テストのさなか、わたしたちは周りから隠れるように、机の下で手を繋いでいた。
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「はい、そこまで!」
テスト終了の合図となるチャイムが鳴り、教師が声を上げた。わたしと善逸は同時に手を引く。
「じゃあ、一番後ろから解答用紙を回すように」
わたしは善逸に自分の解答用紙をまわし、それを善逸が前の人にわたす。そうして解答用紙が教師のもとに集められていくあいだ、わたしたちは無言だった。
今日の授業はこれで終わりだ。今日は3日間ある中間テストの初日、テスト期間中は昼食もない。今日は早々に帰宅し、明日のテストに備える生徒がほとんどだろう。しかし、まずはテスト初日を終えたという解放感により、教室は一気に活気づいた。
善逸は黙って席を立つと、きょろきょろと周りを見渡す。そうだ、彼の消しゴムを落としてしまったのだ。わたしも慌てて椅子を引き、消しゴムが転がっていそうな場所を見渡す。しかし、どこを探しても善逸から借りた小さな消しゴムは見当たらない。
「ごめん、善逸…なくしちゃった、かも」
そう声をかけると、善逸は「ん、そっか」と短く言葉を切った。俯きがちな善逸からは、正確な表情が読み取れなかった。
怒っているのかもしれない。そう不安になっていると、善逸はやや震えた声で「じゃ、じゃあさ、」と続けた。
「ナマエ、このあと、俺と一緒に消しゴム買いに行こうよ」
「えっ」
「だ、だって!お前も消しゴム、買った方がいいだろ!俺のも、なくなっちゃった…し」
善逸の目は泳ぎ、頬と耳は紅潮していた。あ、これ、誘ってくれているんだ、と一呼吸置いてから気づく。そうなると、わたしも途端に意識してしまって、
「わ、わかった!消しゴム、奢る」
と口走ってしまう。消しゴムを奢るってなんだ、そう自分で笑いそうになるも、善逸が笑いながら「うん、奢ってよ」と言ってくれたので、わたしはなんだか嬉しくなった。
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