モップ持って魔法使い(前編)

「じゃ、掃除よろしくねミョウジさ〜ん」
「頑張ってね〜!」
数人のクラスメイトが笑い声を上げながら去っていく。取り残されたのは、このだだっ広い体育館の真ん中でたたずむ、わたし一人だけ。モップ1本を手にして。

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今日は年に数回ある大掃除の日。午前の授業が終わったら、大掃除をして解散、そんな日だった。
わたしのクラスは、自分たちの教室はもちろん、美術室や体育館といった大きめの場所の掃除も担当していた。そして気づいたらわたしの掃除場所は、誰も掃除をしたがらない”体育館”になっていた。クラスの女子が勝手に決めてしまったのだ。でも、そんなのいつものこと。わたしは無関心を装いつつも、掃除の時間が来るのが憂鬱でたまらなかった。

そして迎えた掃除の時間―――案の定、体育館に集まったのは、普段からわたしを”可愛がっている”クラスメイトの女子たちだ。その中には数人の男子も混ざっている。全員が、いわゆる「カースト上位」の人物たちである。
「ここの掃除、ミョウジさんだけでもできるよね?だってミョウジさん、掃除得意なんでしょ?」
ニヤニヤと笑いながら一人の女子が言う。たしかこの子は、わたしのクラスのマドンナ的存在。可愛らしい容姿は男子に人気があり、また発言力もあるので、彼女が「YES」といえば、ほとんどのクラスメイトはそれに従う。だから、実質彼女がクラスを取り仕切っているといっても過言ではない。そのくせ頭がよく、運動神経も抜群なので、教師陣からの評判も高い。そんな子が、わたしのようなつまらない生徒を突きまわして楽しんでいるのだから、呆れてしまう。もっと有意義な時間の使い方はなかったのだろうか。
「さあ。掃除が得意だなんて発言した覚えはないけど、あなたがそう思うなら、そうなんじゃない?」
わたしが可愛げもなく憎まれ口をたたくと、マドンナの顔が醜く歪んだ。また彼女の後ろで、取り巻きの女子たちの小さな舌打ちも聞こえる。
「ふぅん、そういうこと言うんだ〜。まあ今日は掃除に免じて許してあげるけど、いつまでもそんな態度とってると、どうなっても知らないからね〜?」
マドンナは手に持っていたモップをわたしに押しつけて言った。粘着質なその口調が気持ち悪くてたまらないが、わたしは黙ってそのモップを受け取る。すると、周りのクラスメイトたちも次々とわたしに掃除用具を押しつけはじめた。わたしが受け取れきれず用具を落としてしまうと、彼らはけたたましく笑う。
「そんじゃ、頑張ってね〜!」
「ねぇ、今から駅前にできたパンケーキ屋さん行こうよ!」
「おっ、いーじゃん!そのあとカラオケ行こうぜ」
「さんせーい!」
こうしてわたしは体育館で一人きりに…いや、ある意味大量の掃除用具と”二人きり”になってしまったのである。

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そんなわけで、わたしは一人でモップをかけはじめた。今日は大掃除に伴い、体育館を使用する運動部の活動も制限されているようで、たっぷり時間をかけて掃除ができるらしい。ただ、掃除するのはわたし一人だけなんですが。

ふと、掃除なんかせずこのまま帰ってやろうかと思った。本来なら、掃除が終わったら清掃完了報告書を記入し、担任に提出することになっている。こんなの適当に記入すればいいし、掃除が早く終わったことを指摘されたら、ほかのクラスメイトが手伝ってくれたとでも言い訳すればいいだろう。ああ、そうだ。そうしよう。わたしもさっさと家に帰ろう。

……そう思ったけれど、そんな手段をとってもわたしの心は晴れるどころか、ますます自分が惨めに思えてしまう気がした。だからやっぱり、わたしはモップを動かす手を止めなかった。顔を上げると、途方もなく広い体育館の床の終着点は、まだまだ先にある。ずっと我慢していたのに、わたしの口からは溜息が漏れていた。
―――そのときだった。

ギイッ、と体育館の重い扉が開く音がし、わたしは驚いてモップを手放してしまう。モップが床に倒れる甲高い音と、扉を開けて入ってきた人物と目が合ったのは同時だった。

長い髪を揺らして入ってきたのは男子生徒。しかし、わたしのクラスの生徒ではない。だが、わたしは断片的に彼の情報を知っている。たしか彼は双子で(今、体育館に入ってきた彼が双子の兄・弟、どちらなのかはわからない)、運動神経がよくて、そしてクラス問わず女子生徒たちに人気らしい。
わたしたちは無言で見つめ合っていたが、この沈黙に耐えられなくなったわたしは、床に倒れたままのモップをそうっと取り上げた。すると彼はズンズンこっちに近づいてくるではないか。無言で迫ってくる彼が怖くなって、わたしはモップをぎゅうっと握りしめる。

「君、一人でなにやってるの。今日は大掃除でしょ」
「え…?だから、掃除…してますけど」
「こんなに広い場所を一人で掃除するの?」
「…そうだけど?」
なんだか急に腹が立ってきて、言い返すような口調になる。突然やってきて、一人で掃除していることを指摘されるなんて、プライドを傷つけられるかのようだったからだ。
「ふーん。君って、いつもそんな風にされてるの?」
「………」
なんで女子たちはこんな男にキャーキャー言ってるんだ?ズケズケと踏み込んでくる物言いは、決して気持ちのいいものじゃない。こっちだって、ギリギリで耐えているのに。
「まあ、いいや。僕、今暇だからここの掃除手伝うよ」
彼はそう言うと、わたしが端の方にまとめて置いた掃除用具のモップを手に取った。
「別に…いい。自分のクラスの掃除に行きなよ」
「ああ、僕の担当場所の掃除はもう終わってるから、大丈夫」
彼は涼しい顔でモップをかけはじめる。大掃除の時間がはじまってから、まだ15分も経っていないのに、彼のクラスの掃除が終わっているというのは変な感じがしたが、その理由を追究する元気はわたしにはなかった。



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