モップ持って魔法使い(後編)

こうしてわたしと謎の彼による、体育館掃除がはじまった。
わたしと彼は体育館の対になる場所からモップをかけていく。彼はモップをかけるのが上手く、すいすいと滑らかに床を磨いていくので、思わず手を止めて感心してしまった。
「なにやってるの、君も手を動かしなよ」
…片手を口に当てて、こんな風に小言を言ってくるのは、少々腹が立ったけど。

彼はあっという間に体育館の半分まで床を磨き上げてしまった。その間、わたしがモップ磨きを進められた割合は全体の1/4だ。どうすればもっと効率よくモップがけができるのだろう、と考えながら床を睨み、モップの柄を動かし続けていると、コツンともう一つのモップとぶつかった。顔を上げると、彼がいた。反対側からモップをかけていた彼が、ついにわたしのいる場所までモップをかけ終えたということだ。
「お疲れ様、これで床磨きは終わりだね」
にこりと微笑むでもなく、淡々と言う彼に若干戸惑う。一体彼はなにを考えているんだろう。わたしはとりあえず彼からモップを預かった。
「あ、ありがとう。助かりました」
「で、次は?」
「え?」
「まだ掃除する場所、あるでしょ?」
「い、いや、ないから、もう大丈夫」
そんなわたしの発言を無視して、彼は後方にあるステージの方へ歩いていく。そして、そこに置きっぱなしのバインダーに挟まった清掃完了報告書をパラパラと確認した。
「まだ、窓拭きと倉庫の掃き掃除があるって書いてあるけど?」
「…それは、わたし一人でもできるよ」
「そうは思えないけど」
彼はステージ裏へ行ったかと思うと、雑巾とバケツを手にして再び現れた。そのバケツにさっさと水を張り、水拭きができるような状態にしてくれる。
「はい、じゃあ君は向こう側を。僕はこっち側を拭くから」
「…ありがとう」
一見おっとりとした風貌なのに、指示も動きもテキパキとしており、不本意ながらわたしはそれに従ってしまう。相変わらず心の中では「あなたは誰?どういうこと?」という思いが渦巻いたままではあったけれど。

わたしが窓拭きを終えた頃には、彼はとっくに拭き掃除を終えており、倉庫の方へ箒と塵取りを運んでいるところだった。
「悪いんだけど、僕の雑巾も洗って干しておいてくれない?」
わたしに気づいた彼がそう声をかけるので「あ、うん。わかった」と素直に返事をした。わたしはいったん体育館の外に出てバケツの水を流し、2人分の雑巾をキレイに洗う。どうやら彼は、わたし一人が任された体育館掃除を最後まで手伝ってくれるようだ。何回考えても手伝ってくれる理由がわからないけれど、今はもうその厚意に甘えようと思った。たとえどのクラスの誰かも分からないような生徒であっても、一緒に掃除をする仲間がいることは心強かったからだ。

体育館に戻ると、彼が倉庫から「こっち、こっち」とわたしを手招きしていた。行ってみると、すでに一箇所にごみが集められている。倉庫の中は塵ひとつ落ちていないほど、完璧に掃き掃除が行なわれたあとだった。
「すごい……もう倉庫を掃き終えたの?」
「うん、すぐ終わっちゃった。あ、君その塵取り押さえといて」
「あ、うん」
わたしはしゃがんで、ごみのそばに塵取りをあてがった。彼は箒を軽やかに動かして、ごみを塵取りに納めていく。
「はい、終わり。じゃあ君は、報告書を書いてきなよ。僕はこのごみを捨てるから」
彼はわたしから塵取りを取り上げ、ごみ箱の方へ歩いていくので、わたしもステージ上の清掃完了報告書を取りに行った。

それにしても、こんなに広い体育館なのに、あっという間に掃除が終わってしまった。…といっても、ほとんどは彼の功績によるものだけど。ありがたいやら、情けないやら…そう思って、報告書に記入する手が止まっていると、いつの間にかその彼がわたしの後ろにいて、一緒に報告書を覗いていた。
「っわ!!」
「どう?書けた?」
「う、うん、あとは先生に出すだけ」
「そう、じゃあ早く出しに行こう」
出しに行こう、ってことは、一緒についてきてくれるのだろうか?わたしは、そこまで彼に同情されているのだろうか?というか、そもそも掃除を手伝ってくれたのも、やはり”同情”からなのだろうか?次から次へと疑問が溢れてくる。
「なにやってるの?行こう」
しかし、そんなわたしなどお構いなしに、彼はわたしの手首を掴んでグイグイ歩き出した。廊下を抜けると、わたしのクラスの前を通る。数名のクラスメイトが「あれっ?」という目でわたしたちを見た。それもそのはず。学年で、いや学校内で人気を博している(らしい)男子生徒に手を引かれているのが、クラス内で不当な扱いを受けている、あのわたしなのだから。

「あっ、無一郎」
そのまま2学年のクラスの前を通っていると、教室からひょっこり顔を出した生徒がいた。しかも、その生徒はわたしの手を引く彼とそっくり同じ顔なので驚いてしまう。
「兄さん、掃除替わってくれてありがとう」
「本当だぞ、あとでちゃんとアイス奢れよ」
「もちろんだよ」
そして同じ顔のその人は、物珍しそうにわたしの方を見ると、ニヤッと笑った。
「へぇ〜……そうか、お前。その子が……」
「僕忙しいからもう行くね、兄さん」
再び彼に手を引っ張られ歩いていく。兄さんと呼ばれたその人の前を通るとき、少しだけ頭を下げると、その人はますます嬉しそうにニヤけ笑いをした。

「バレちゃったね」
彼はわたしの手を引きながら言った。
「あの人、有一郎は僕の双子の兄さん。僕君に、自分の担当場所の掃除を終わらせてきたって言ったけど、あれ嘘なんだ。本当は兄さんに替わってもらっただけ。周りは気づいてないだろうけどね」
「な…なんで、」
「君があの性悪集団と体育館に行くところを見ちゃったから、かな」
性悪集団とは、わたしに体育館の掃除を押しつけたクラスメイトたちのことだろう。もっと深く理由を聞こうと思ったときには、職員室についていた。彼がわたしにバインダーを渡す。
「はい、どうぞ」
「う、ん」
わたしはノックをして職員室に入ると、担任に清掃完了報告書を提出する。もちろん、特別なにかを言われることはなかった。

職員室を出ると、彼が壁際に立ってわたしを待っていて、「じゃあ、行こうか」と言うので耳を疑う。
「僕、君の掃除を手伝ったんだよ。なにかお礼をしてほしいな」
彼はいたずらっぽい顔でそう言う。
「わ、わたしそんなにお金持ってないよ!」
「ははっ、君って面白いなあ。とにかく、行こうよ」
再び彼はわたしの手を掴むが、今度は手首ではなく手のひらを直接握るので、びっくりしてしまった。
「ま、待って!全然わからない、どういうこと!」
「ああ、そうか。まだ自己紹介もしてなかったね。僕はミョウジさんのこと、知ってたんだけどさ」
彼はわたしの方へ顔を傾けて見せる。まともに見た彼の顔は、涼やかな目元が魅力的な整った顔立ちで、絶大な女性人気を誇る理由がわかった気がした。
「僕は里芋組の時透無一郎。気づいてないと思うけど、実は1年の頃からミョウジさんのこと、見てたんだ。理由はまあ、わかるでしょ」
周りの視線が痛い。一部の女子集団は明らかにザワついている。だって一方的に手を取られているとはいえ、わたしと彼、時透くんは”手を繋いでいる”のだから。
「ミョウジさんのことを助けるの、遅くなってごめんね。もうあんな奴らの言うことなんか聞かなくていい、僕がなんとかするから」
まるで夢でも見ているみたいに、頭も体もふわふわしていた。思考が定まらない。しかし、時透くんに手を強く握られて我に返る。彼が口元を緩め、わたしを見つめていた。
「ねえ、だから今日はさ。君を助けたご褒美に、ミョウジさんとの時間、僕にちょうだいよ」
わたしの手を握っていない方の時透くんの手が、わたしの頬に触れた。わざとらしく「熱い」と言ってきたのが小憎らしい。
「……知らない、時透くんの好きにすれば」
その手を軽く払うと、時透くんはちょっと驚いたような顔をしたけれど、
「うん、そうする」
と言って、にこりと笑った。
手も、顔も、頭の中も熱い。なぜならわたしはこの日、時透くんにとんでもない『魔法』をかけられてしまったのだから。


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