アジサイオトコ

シトシトと静かに雨が降りしきる中、わたしはある男と一緒に歩いていた。その男が「あ」と声を上げたのでそちらを見ると、そこには青と紫の萼(がく)が美しい、立派な紫陽花が咲いている。
「綺麗だね」
わたしが言うと、彼は自分が褒められたみたいに嬉しそうな顔をした。
「紫陽花の花言葉、知ってる?この花、時期や土壌によって色が変わるでしょ。だから、”移り気”とか”浮気”っていう花言葉があるんだ。こんなに綺麗な花なのに、案外冷たい意味が込められてるんだね」
もとからよく喋る男ではあったけれど、今日は機嫌がいいのか、勝手にペラペラとうんちくをたれてくれる。ふうん、とわたしが気のない返事をすると、彼は少しだけ眉を寄せた。
「なんか、まるで君みたいじゃない?紫陽花って」
なんとなく思ったことを口に出してみると、彼は大げさなくらいに驚いた顔をした。
「ナマエってさ、余計なことを言う奴だって、よく言われない?」
「さあ。それどういう意味?」
「自分で考えなよ!」
その男、我妻善逸は憤慨したように、先ほどよりも歩調を上げて歩き出した。わたしは額に張りつく髪の毛を横に払うと、移り気だの、浮気だのと言われた紫陽花をもう一度見てから、彼の後に続く。どう考えても、これは彼にピッタリの花だと思うのだけど…。


わたしと彼は、最近鬼が出るとの噂が流れているとある村へ調査に来ていた。村に着くころには、わたしたちは全身水濡れで、ひとまず空きがあるという宿屋に泊まることにする。わたしたちには別々の部屋があてがわれたが、そうした宿泊の手続きをしているあいだも、彼はずっと不機嫌だった。

しかし、大事なのはこの男の機嫌を取ることではなく、本当にこの村に鬼が潜んでいるのか、それを突き止めることだ。場合によっては、刀を振って奴らの頸を切らねばならない。
羽織は濡れてしまったが、中に着ていた隊服は見事に水を弾いている。さすが特殊な繊維でできた隊服だ。わたしは与えられた部屋で羽織を乾かし、日輪刀を磨きながら、行動を開始する夕刻が訪れるのを待った。


「ナマエ、行くよ」
戸の外からかけられたその声を合図に、わたしは日輪刀を携えて外に出る。
「あっちから変な音が聞こえるんだ」
嫌な音を聞くかのように、顔をしかめて彼は言った。昼間交わした会話で大いに機嫌を損ねた彼だったが、任務では私情を挟まないらしく、今は鬼狩りとしての精悍な顔つきになっている。わたしには、彼の言う”変な音”を聞き取ることはできないが、その方向に進んでいくと、徐々に空気が重くなっていくのがわかった。

突然地面から鉤爪だらけの醜い手が現れ、わたしの足を掴もうとした。雨の音が大きく、その手に気づくのが一瞬遅れてしまったわたしは、焦って体勢を崩しかける。しかし、山吹色の羽織をまとった彼がわたしを後ろから抱きかかえ、大きく飛び上がったため、間一髪でその手を逃れることができた。
「ごめん、ありがとう」
雨の音に負けぬよう大きな声でお礼を言うと、彼は長屋の屋根の上にわたしを降ろし「後援頼む」と言って、すぐに鬼のもとへ行ってしまった。”後援”だなんて、まるで鬼の頸を切るのは彼の役目だと言っているようで少し気に食わなかったが、わたしも刀を抜いて後に続いた。

しかし、結局鬼の頸を切ったのは彼自身だった。一枚の紙きれを切るように、彼の刀はなめらかに奴の頸をはねる。ボロボロと体が崩れていく鬼を眺めていると、雨水で濡れた顔を拭いながら「宿屋に戻ろう」と彼が言った。黙って宿屋に向かうと、彼が慌ててついてくる。
「え、なんか怒ってる?」
「別に。わたしは”後援”を果たしたまでだから」
「………」
小さな溜息が隣で聞こえる。雨はいつの間にか止んでいた。
「…だって、俺はお前に危険な思いをさせたくないから」
「さすが、紫陽花の男らしい発言」
「あのね、お前って奴は本当……!」
本当に可愛くない、そう聞こえた気がしたが、それよりも先にわたしは宿屋の戸をくぐったのだった。

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翌朝、彼はお館様に用があるため産屋敷邸へ、わたしは非番だったので寝泊まりしている借家へ帰ることにした。じゃ、お疲れ様、と別れようとすると、「ちょっと待って」と止められる。
「ナマエ、このあと時間あるでしょ。ちょっと俺に付き合って」
そう言って、ぐんぐん先を歩いていく。その背中を追いかけることなく見つめていると、「ついて来てって言ってるでしょ!!」と大声で喚かれたので、仕方なく後を追った。

前日の雨の名残で、道端に生える草木はみな、つやつやと水滴が輝いている。彼はその草花を発見すると足を止め、一瞬考えたあとまた歩き出す。それを何度も繰り返していた。そうして何度目かの植物観察を終えた彼は、突然わたしの方を振り返った。
「ナマエ、これ見て」
彼が指さす先には、先日見たものよりもかなり大振りな紫陽花が咲き誇っていた。青、桃、白と3色の紫陽花が揃っている光景は、それなりに珍しいように思える。
「昨日俺は、紫陽花には”移り気”や”浮気”って花言葉があるって言ったでしょ。色の変わりやすい花っていう意味で、そういう花言葉があるのはたしかなんだけど。実は紫陽花って、咲いている花の色によって花言葉が少しずつ変わってくるの。
たとえば、白い紫陽花は”寛容”、桃色の紫陽花は”元気な女性”や”強い愛情”っていう花言葉あるんだけど……って、俺の話聞いてる?!」
「聞いてる、聞いてる」
青紫に色づいた葉をむしっていたわたしに気づいた彼は、呆れたようにその葉を取り上げた。
「紫陽花には毒があるからね、お腹が空いても食べないでよ」
そして自分の手の中にある青紫の葉をしげしげと眺めながら、話を続ける。
「…それから、この青や青紫の紫陽花には、”冷淡”や”無情”、そして”辛抱強い愛情”っていう花言葉があるんだ。雨に耐えながらもこんなに綺麗な花を咲かすから、そういう言葉がつけられたのかもね」
話を終えたらしい彼は、こちらの反応を待つかのようにわたしの顔をじっと見つめる。

「わかった?ナマエ」
「え、ああ、うん」
わたしの生返事に、彼は明らかに不服そうな顔をした。
「昨日ね、ナマエは俺のこと紫陽花みたいだって言ったけどさ。それって俺がいろんな子に目移りする、浮気っぽい男だって言いたかったのかもしれないけど、実際はまったく違うわけで。本当はこの紫陽花の花言葉のように、辛抱強く愛情を育む、そういう男なの俺は。ね?それをちゃんと理解してほしくて…!」
なにを熱弁されているのかわからないし、正直説得力のカケラもない。するとそれを察したのか、「あーっもう!全然ピンときてない!」と彼は勝手に怒りはじめた。
「…だって君、炭治郎の妹に会うたびに、鼻の下を伸ばしてるじゃない。あれも辛抱強い愛なの?」
「あ、あれは…禰豆子ちゃんはちょっと別なの!」
「彼女と結婚するだなんだって言ってたと思うけど」
「それは随分昔のことでしょ!もう言ってない、ここ3年言ってない!!」
”3年”という具体数字を出されても、それが辛抱強い男という根拠になっているのかわからないわたしは、首を傾げるしかなかった。


「あのさ、俺とナマエが出会ってどれくらい経ったかわかる?」
「うぅん、1年くらい?」
「3年だよ!もう3年経ってんの!!俺が鬼殺隊に入隊した1年後にお前が入隊してきて、それからもう3年の月日が経ってんの!お前の体感短すぎかよ!!」
「はあ、そうなるのか」
「そうだよ!お前は先輩の俺に全然敬語を使わないけどね!!」
「だって同い年だから」
彼は苛立たし気に自分の髪を2,3度かきむしる。わたしの反応になにか不満があるようだ。
「あのねぇ…もう一度言うよ?俺はね、3年前から禰豆子ちゃんが好きだの、結婚したいだの、そういうことは一切口にしてないの!なんでだかわかる?」
「わか、」
「わかんないよね!そうだよね、お前は気づいてないものね!そうでしょう、そうでしょうよ、お前はそういう奴だよ!!」
彼は突然わたしを指さした。頬を染め上げ、肩で息をしている目の前の男は、ひどく悔しそうな顔をしていた。
「俺は3年前からずっと、一途に、辛抱強く、一人の女性だけを想い続けてんの!!」
「そう、なんだ」
「は、はあぁぁぁっ?!なんでそういう反応になるわけ?!もう誰か助けて!俺の心はズタボロだよぉお!!!」
頭を抱えて大泣きする彼を、通行人たちが怪訝そうな顔で眺めている。彼の連れだと思われたくなかったが、放っておくのは非人道的かと思い、その背中を軽く叩いてなだめてやった。

「そもそもさぁ、お前はなんで俺のこと、名前で呼ばないわけ?」
涙でぐずぐずになった顔を上げて、抗議をはじめた彼に、わたしは「は?」と声が出る。
「お前っていつも俺のことを、君、とか、ねぇ、とか、そんな風に呼ぶじゃん!こんなに一緒にいるのに、なんで名前で呼んでくれないのさ!」
「そうだっけ?別に深い意味はないんだけど…」
わたしが答えると、「深い意味はないの?!逆に傷つくんですけど!!」と彼はわたしにすがるようにして立ち上がった。

「もうあったまきた!ちゃんと俺のこと名前で呼んでよ!今すぐに!!」
突如、意味不明な要求をはじめた目の前の男は、完全に自棄を起こしている。こんなことをして、なにになると言うのだ。
「ダメなの?呼べないの?!ねぇ!!」
「別にいいけど…」
わたしは、目に涙を浮かべ、こちらを凝視する男に向かって「ぜ、」と声を出す。しかし不思議なことに、そこから先の言葉を紡ぐことができなかった。
「どうしたの?俺の名前は善逸だよ」
「ぜ……」
「ぜ、ん、い、つ!」
「ぜ、ん」
い、つ、と続けたつもりだが、もしかしたらそれは声になっていなかったのかもしれない。なぜなら、この4文字を言い切ったとき、わたしの心臓は爆発するのではないかというほど激しく鼓動していたからだ。そして顔が、体が、異常なほど熱い。
「えっ、ちょ、ナマエ……?」
わたしをのぞき込んでいた彼も、いつの間にか耳まで真っ赤になっていた。
「まさかとは思うけど、俺の3年越しの恋、成就してた…?」
初めて呼んだ彼の名前を、無意識に口の中で反芻しながら、そんなつぶやきが耳に届く。青々とした鮮やかな紫陽花が、わたしたちに微笑むように揺れていた。 

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※こちらは夢企画サイト「merrow様」へ提出した作品になります。


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