まどろみの花

全身からすさまじい拒否反応を示しながら戦っている隊士がいると気づいたのは、数ヶ月前のこと。
ある任務に赴いたとき、ひどく顔色の悪い隊士がいた。そんな状態で戦えるのかといささか不安を覚えたが、戦闘になると意外なほど身のこなしが軽く、足手まといになるようなことは一切なかった。しかし戦いを終えた後、その隊士はフラフラと木の幹にうずくまり、静かに嘔吐した。
「ねぇ、大丈夫?」
気づけば声をかけていた。こちらを見上げたその隊士―――炭治郎たちと同じくらいの年齢に見えるその子は、弱々しく首を振った。
「いいえ、大丈夫ではありません」
随分はっきり言う子だなぁと、そのときの僕は少し笑いそうになったのだった。

彼女はミョウジナマエ、鬼殺隊に入隊してまだ1年ほどだという。身体能力も戦闘能力も申し分がなく、順調に階級を上げている隊士らしいのだが、彼女の「戦闘嫌い」はかなり有名なのだとか。戦闘後は必ずと言っていいほど体調を崩し、嘔吐することもしばしば。ひどいときは気を失うこともあるそうだ。なぜそんなにも戦闘に拒否反応を示すのか、理由は誰にもわからないらしい。だからこそ、僕は彼女に強く興味を持ってしまった。

「そんなに嫌なら鬼殺隊なんか辞めれば?」
ある日、僕はそんな言葉を投げかけた。救援に行った先に彼女がいたからだ。うずくまっていた彼女は青白い顔を上げ、焦点の合わない目で僕を見た。
「時透さんが、わたしを辞めさせてくれますか?」
「どういうこと?」
「わたし、鬼殺隊を辞めたいって、もう何千、何万回と言っているんです。だってわたしは弱虫で、鬼を見るのも、戦うことも大嫌いで…鬼狩りになんか向いていない。……でも、いざ辞めようとすると、いつも周りに言いくるめられちゃうんですよね」
彼女自身、自分は押しに弱い、情に弱い人間だと言っていた。誰かが背中を押してくれれば、すんなり鬼殺隊から退くことができたのかもしれないが、貴重な戦力を失いたくない隊士たちにほだされ、今も隊に籍を置き続けてしまっているのだろう。
「そんな風に戦ってたら、鬼に襲われるよりも先に君自身が壊れてしまうんじゃない?」
僕はしゃがみ込むと、微かに震えている彼女の手を取った。脈が速く、指先がとても冷たかった。
「君、家どこ?送るよ」
彼女は一瞬目を見開き、自分は大丈夫だと言うように手を振ろうとしたが、僕に手を掴まれているため動かすことができない。もう一度「家はどこ?」と聞くと、観念したように自宅の場所を告げた。はからずも、これだけ押しに弱いのも考え物だな、と思ってしまった。


彼女は古い洋館の一室に住んでいた。西洋の文化を好む古い親戚が建てた館で、以前は宿屋として部屋を貸していたらしいが、客の入りが減ったため今は彼女に部屋を貸しているらしい。
「君、家族は?」
たぶん彼女の親戚の趣味であろう、近代的で独特な柄や色の内装、小物、家具を眺めながらそう質問する。
「いません。みんな鬼に食われました」
「……そう」
僕が帰らないことに若干の戸惑いを見せつつも、彼女は答えた。革張りの2人掛け椅子のようなものに腰かけると、思った以上に座り心地がよくて驚く。ここでひと眠りしてから任務に行きたいくらいだ。
「君の名前忘れちゃった、教えて」
「ミョウジ……ミョウジ、ナマエです」
「そう、ナマエ。君の家はわかった、また来るね」
僕は懐から以前胡蝶さんにもらった飲み薬を取り出すと、硝子張りの丸机の上に置く。
「気分が悪くなったときは、この薬を飲むと楽になるよ。じゃあまたね」
彼女の返事を待たずに、僕はその洋館を出て行った。

それから僕は、ときどきナマエの部屋を訪れた。お互い任務に明け暮れる日々だったから、彼女の不在時に訪れることも多かったが、それでも時間がかち合えば、突然の訪問に驚きつつも僕を迎え入れてくれた。正直、こういうところは彼女の押しの弱さにつけこんでいたと思う。
小さな部屋で2人きり、なにをするというわけではない。僕はお気に入りの2人掛け椅子に横になって居眠りをすることもあれば、ナマエが淹れてくれた茶を啜りながら、二言三言、彼女と会話を交わすこともある。最初は大いに戸惑っていた彼女だったが、いつしかそんな僕の存在にも慣れはじめ、徐々にほどけた表情を見せるようになった。

ある日、僕は彼女の部屋に鉢に植わった植物を持って行った。それは片手で持ち運べるほどの大きさだが、その小さな鉢から艶やかな青い葉が溢れている。
「ど、どうしたんですか、これ」
ナマエは丸机の上に置かれたそれを恐る恐るのぞきこむ。
「それ、”珈琲の木”って言うんだって」
「珈琲って西洋の飲み物の…」
「そう。僕も詳しくは知らないけど、白い花が咲くらしいよ」
僕はナマエに出された温かい茶を啜りながら、不思議そうに植物を眺める彼女を観察した。滋養強壮にいい食べ物や薬などをよく差し入れしているからか、彼女の顔色は以前よりもよくなったように思える。
「ちゃんと水やりしてね」
そう言うと、彼女は「わかりました」と頷いてから少し笑った。それは僕が初めて見るナマエの笑顔で、彼女の部屋を後にしてからも、その笑顔のことをなかなか忘れられなかった。

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それから数週間の後、僕はたまたまナマエと任務が一緒になった。彼女は相変わらず不承不承、戦闘しているという感じだったが、以前のような禍々しいほどの嫌悪は現れていなかったし、顔色も悪くなかった。
「どう?大丈夫?」
戦闘後、彼女の様子を見に行くと、汗をぬぐったナマエが小さく笑みを見せた。あ、また笑った、と僕の心臓が微かに反応する。
「はい、おかげさまで。あまりに気分が悪いときは、時透さんにいただいた薬を飲んでいますが、今日は調子がいいです」
「そう、よかった」
それから彼女は、あっ、と小さく声を上げる。
「あの…花が、咲きました。珈琲の木の…」
内緒話をするみたいに、声を潜めて伝えてくる彼女に、僕は心がふわりとした。
そうだ、あの木は僕たちの”秘密の木”だ。誰も知らない。僕が彼女の部屋に行っていること、そして彼女の部屋にあの木を置いて育ててもらっていることを、誰も知らない。
「本当?見に行きたいな」
心なしか僕の声も少し弾んでいて、そんな僕に「いつでもどうぞ」と彼女は微笑んだ。

任務を終え、諸々の用事を済ませたその日のうちに、僕はナマエの部屋に行った。ふっくらとした葉の間から、真っ白な花弁をたたえた小さな花がたくさん咲いていた。その花からはとてもいい香りがして、僕たちはしばらくのあいだ、黙ってその香りを楽しむ。
「実は、珈琲の木の花ってたった2日しか咲かないんだって。正直、僕はこの花を見られないと思ってたよ」
「じゃあ、本当にいい頃合いに咲いてくれたんですね」
窓から差し込む朝日を浴びているその白い花は、なんだか誇らしげだった。

「ふぁ………」
抑えきれずに欠伸をこぼすと、隣にいたナマエもつられたように欠伸を噛み殺した。
「ねぇ。君がもし嫌でなければ、なんだけど」
「はい、なんでしょう」
「ちょっと一緒に休まない?この花を見たら眠たくなってきちゃった」
ナマエは思考が停止したみたいに一瞬固まり、そのあと焦ったような顔で少し後ずさりした。
「…別に変なことはしないよ。僕はただ、君と休みたいだけ。なんか、君といると気が抜けるんだよね」
「そ、そういうことで、あれば……」
僕は部屋の奥にある、西洋式の寝具に身を横たえる。ふかふかとして、すぐにでも眠りに落ちてしまいそうだ。
「ほら、早く来なよ」
声をかけると、ナマエも遠慮がちに僕の隣に寝そべった。背を向けているので彼女の表情はわからないが、その背中はかなり緊張している。でも、そのときの僕はあまりにも眠くて、自分の欲望に忠実だった。したがって、僕はそんなナマエを後ろから抱きすくめ、それからあっという間に眠ってしまったのである。

それからどれくらいの時間が経ったかはわからない。でも一度目を覚ましたとき、彼女は僕の腕の中ですやすやと眠っていた。表情を見れないのが残念だけど、その小さく上下する体と体温が、たまらなく嬉しかった。だから、少しでも長くこの時間が続くようにと、僕は迷うことなく二度寝に入った。

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※こちらは夢企画サイト「merrow様」へ提出した作品になります。


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