愛すべき過ち(前編)

わたしの同期に我妻くん、という男の子がいる。女の子を見かけると口説かずにいられないほどの、女好きの男の子だ。そして彼は当然のように、わたしのことも口説いてきた。それはもう、熱烈に。これまで異性との交際経験はもちろん、まともな交流さえしたことがないわたしは、そんな我妻くんに戸惑った。だけど、鬼殺隊の同期として我妻くんと時間を共にするうちに、彼のそういう言動はいわば”癖”のようなものなのだと気づいた。

それなのに、わたしは我妻くんのことを好きになってしまった。彼は初めてわたしのことを「可愛い」と言ってくれた男の子だったし、細やかな気遣いや優しさは、いつもわたしをドキドキさせた。
我妻くんはわたしに好きだとか、結婚したいだとか、そんなことばかり言う。嬉しいけれど、わたしがその言葉を鵜呑みにすることはない。いつも笑って流してしまう。それはわたし以外の女の子みんなにかけている言葉だろうし、わたしが我妻くんのお眼鏡にかなう人間だとは到底思えないからだ。

わたしは昔から自分に自信がない。特別顔が美しいわけでも、体つきがいいわけでもない。性格もどちらかといえば大人しい方だろう。正直、我妻くんと出会うまでは異性にちやほやされたこともなかった。
我妻くんは、何名かの女性と交際したことがあるらしい。その女性たちからは、手さえ握らせてもらえずに捨てられた、と本人は言っているが、それでも交際経験がある人間とない人間とでは、大きな経験の差があるはずだ。いろんな魅力的な女性を見てきたに違いない我妻くんが、わたしのことを本気にするわけがない。もし仮に恋人になれたとしても、すぐに飽きられてしまうだろう。だからわたしは、ただ日常生活の中で我妻くんと仲良くできるだけで満足だった。

とはいえ、知らず知らずのうちに彼に”壁”を作っていたのはたしかだ。わたしは炭治郎や伊之助のように、彼のことを「善逸」と呼び捨てにできないし、彼と2人きりだとまともに会話することもできない。だから我妻くんはよく「炭治郎たちとは楽しそうに話してる!」「俺のことも呼び捨てにしてよ!」と文句を言うのだが、これだけは本当にどうしようもできなかった。

そういうこともあって、わたしと我妻くんの間には絶妙な距離感があるのだけど、わたしたちは週に数回『文通』をしている。「手紙なら話しやすいでしょ」と我妻くんが提案してくれたのだ。『文通』はわたしにとって嬉しい交流手段だった。好きな人から手紙が来るのは嬉しいし、手紙ならわたしの言動や態度で我妻くんを不満にさせることもない。わたしたちは鬼殺の任務に勤しみながらも、日々のささやかな出来事を伝え合い、静かに交流を続けていた。

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「チュンッ」
そう雀の鳴き声が聞こえた。障子戸を開けると、鎹鴉ならぬ”鎹雀”が入ってきてわたしの手にとまった。その足についている紙を丁寧にほどいてやると、予想通りそれは我妻くんからの手紙だった。今回は可愛らしい紫陽花があしらわれた便せんが使われている。

その手紙によると、我妻くんと炭治郎、伊之助の3人は2日ほど前から、音柱・宇髄さんの屋敷で稽古をつけてもらっているらしい。我妻くん自身は乗り気ではなかったらしいが、伊之助が稽古を志願するものだから、「じゃあお前ら3人面倒見てやる!」と宇髄さんがやる気になったらしい。”稽古は地獄のように厳しくて最悪”、と書いてあり、わたしは稽古中に逃げまどったり泣き喚いたりする我妻くんを想像して、笑ってしまう。
なお手紙には、今日がその泊まり稽古の最終日、とも書いてあった。わたしは早速筆を執ると、稽古を応援する旨、現在自分が藤の花の家紋がある屋敷で休んでいる旨などを手紙に書き、それを我妻くんの鎹鴉である雀の足に括りつける。雀は可愛らしく「チュンッ!」と一鳴きすると、晴れ晴れとした空の下を飛んで行った。


―――その日の夜のことだった。食事と湯浴みを終え、静かな虫の音を聞きながら床についていると、屋敷の玄関方向から騒がしい人の声が聞こえた。こんな夜更けに来客だろうか?起き上がって耳を澄ませていると、「どうぞ、どうぞ鬼狩り様」という屋敷の主であるおばあさんの声がした。どうやらわたし以外の隊士が休息をとりにきたらしい。きっと明日の朝には顔を合わせることになるだろう、そう思いながら再び布団に入る。

すると、ほどなくしてこちらに足音が近づいてきた。ドタドタという随分と乱暴な足音で、ときどきドタンッと転びそうになるような足音もする。そしてその足音は、わたしの部屋の前でピタリと止まった。
「ナマエちゃん、そこにいるよね?」
そう声がかけられたかと思うと、わたしの返事を待たずして戸が開けられた。そこにはフラフラとした我妻くんが立っていた。

「えっ?えっ…?どうして?あ、我妻くん、宇髄さんの屋敷にいたんじゃ…」
しかし、我妻くんはそんなわたしの問いには答えず、膝から崩れ落ちて泣き出した。
「ナマエちゃん、ひどい!ひどいよ!!君は、俺より炭治郎や伊之助の方がいいんだろぉ!俺はこんなに好きって伝えてるのに、なんで本気にしてくれないの!なんでなの!!ねぇ!!!」
「なっ、なに?!どうしたの、我妻くん!」
我妻くんはかつてないほど情緒不安定になっていた。慌てて布団から抜け出し、行燈に火をつけると、我妻くんのそばにかけ寄る。彼からは微かに”酒”のにおいがした。
「……えっ?もしかして、お酒、飲んだの?」
「飲んだんじゃない、飲まされたの!!」
我妻くんは両手で頭を抱え、「あーっ!頭がぐらぐらする!!」と叫ぶ。
「もう最悪だよ!俺が真剣に恋の相談してんのに、誰もまともにとりあってくれないし、挙句の果てに宇髄さんは”女々しくてうるせぇ”って俺に酒飲ませるし!もうあいつらどうかしてるよ!俺のことなんだと思ってんの!!!」
そう言って我妻くんは泣きながらわたしに抱きついた。

恐らく稽古最終日ということで、宇髄さんの屋敷では豪勢な料理などが振る舞われたのだろう。楽しい宴会となるはずだったのに、その席で我妻くんはとうとうと恋愛相談をはじめた。そんな彼を黙らせるため、酒を飲ませた―――宇髄さんがやりそうなことだ。
「俺、炭治郎と伊之助に聞いたよ…。ナマエちゃんの好きなお菓子や、好きな色、得意なこと。俺にはそういうこと、全然話してくれないのに、なんであいつらばっか……!!」
「ま、待って!我妻くん、宇髄さんのところに戻らなくていいの?」
我妻くんはきょとんとした顔でわたしのことを見る。酒のせいで顔が赤く、潤んだ瞳をした我妻くんは、ふにゃっと笑った。
「大丈夫だよ。実はこの屋敷から宇髄さんの家まで、歩いて10分くらいなんだ。だから、すぐ戻れるの」
「そ、そう……」
わたしは密着する我妻くんから少し距離を取りながら言った。すると、再び我妻くんの顔に悲哀が漂う。

「あぁーーーっ!!またそうやって俺を避けようとする!!なんで?!ナマエちゃん、そんなに俺のことが嫌いなの?!どこが嫌いなのか教えてよ!俺頑張って直すよ!ナマエちゃんに好きになってもらえるよう、努力するからさぁ……」
そう言って我妻くんがひしと抱きつくので、緊張のあまり口から心臓が飛び出そうになる。酒の勢いとはいえ、好きな人にこんな風に抱きつかれて、平静を保てる人などいないと思う。
「落ち着いて、我妻くん」
と必死になだめても、感情の制御が効かないらしい我妻くんは、嫌だ嫌だというようにわたしの体をますます強く抱きしめる。その力があまりにも強いので、とうとうわたしはバランスを崩し、背中から倒れてしまった。そして、そこにはちょうどわたしが寝ていた布団があった。

我妻くんが驚いたように体を起こした。今わたしは、我妻くんに押し倒されたかのような格好になっている。彼はトロンとした目でわたしを見下ろしていた。
「ナマエちゃん……。これ、なんだか……変な気分になってくるね」
「なっ、なに言ってるの!早くどいてよ…」
しかし、体を起こそうとするわたしの肩を、我妻くんが優しく押さえつけた。
「ごめんね。俺いま、ちょっとおかしいかも……」
「そりゃそうだよ、お酒飲んだんだし…」
「うん、そうだよね。しかも目の前に好きな子がいて、すごく気分がいい…」
我妻くんがゆっくりとわたしに顔を近づけた。
「俺、ナマエちゃんが好きだよ」
甘い囁き声にドキリとした瞬間、わたしの唇には我妻くんのそれが重なっていた。


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