その恋、難解につき(後編)

そんなある日のこと。日直だったわたしは、まばらに生徒が残る放課後の教室で日誌を書いていた。すると、ひょっこりと教室を覗く男の子が現れる……時透くんだ。彼はわたしの姿を見つけると、なんの断りもなく教室に入ってきて、近くの椅子を引き寄せ座った。わたしは緊張でガチガチに体が固まってしまうのを隠しながら、必死に日誌を書き続けた。

「あ、雨降りそう…」
クラスメイトの一人がつぶやいた。つられて他の生徒も窓の外を見る。
「うわぁ、本当だ。すっごい曇ってる…」
「もう帰ろっか」
そうして楽しそうに談笑していた数人の生徒が、足早に教室を出て行く。残されたのは、わたしと時透くんだけになった。

「僕はミョウジと仲良くなれないのかなぁ」
暗い雲が立ち込めた窓の外を見ながら、独り言みたいに時透くんがつぶやく。その言葉が妙に気に障り、気づけばわたしはシャーペンを机に叩きつけていた。ガシャン、と耳障りな音が教室に響く。
「もとはと言えば、そっちが………」
言ってから後悔した。案の定、時透くんは目を丸くしてこちらを見ている。その視線に耐えられなくなったわたしは慌てて鞄を引っ掴んだ。
「待って、ねぇ、帰るの?じゃあ僕も…」
「や、やめて、来ないで!」
「あっ………雨」
こぼれたようなその言葉に、わたしは思わず動きを止める。窓の外では、バケツをひっくり返したような大粒の雨が降り注いでいた。夕立だ。
「ミョウジ、傘持ってるの?」
わたしは黙って首を振る。
「じゃあ雨が止むまで、少し話さない?」
懇願するように時透くんが言った。いつもと違う必死な調子の時透くんに気おされて、わたしは仕方なく椅子に座った。

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「僕、ミョウジのことが好きなんだ」
彼は突然そう言った。しかし、わたしは反射的に「嘘だ」と言ってしまう。
「嘘じゃない」
「嘘だ、からかってる。そうやってまたわたしを…」
「中学のときのこと、本当に悪かったと思ってる。ミョウジは僕に嫌われていると思ってただろ……逆なんだ。僕はミョウジが好きで、君の気を引きたかった」
「………」
「恥ずかしいけど、ミョウジが引っ越すと知ってから初めて気づいた。僕が君に、その…やりすぎていたってこと。あれが好きな子にするような行為じゃなかったってことに」
時透くんは肩を落とし、俯くと、弱々しく息を吐いた。自分の過去の悪事を認める時透くんなんて一生見れないと思っていたから、わたしは戸惑いと驚きがない交ぜになる。

「だから、ミョウジがこの学校に戻ってきてくれて、それを入学式の日に知って、本当に嬉しかったよ。あのときのことをきちんと謝って、やり直したいと思った。それで…今度はちゃんと好きって伝えるんだって、心に決めたんだ」
そう言葉を切ると、時透くんは顔を上げわたしを見つめた。それからゆっくりと頭を下げる。

「中学のとき、ミョウジを傷つけるようなことばかりしてごめん。言い訳にしかならないけど、俺は君のことが大好きで仕方なかった。そしてあのときは、ああいう形でしか君に関わる機会を作れないと思っていた。本当に子どもっぽくて愚かだったって、反省してる」
彼の言葉に嘘はないように思う。その声色から、自分の行為を心から悔いているのは明らかだった。

「当たり前だけど、これからはちゃんとミョウジを大切にする。傷つけるようなことは二度としない、約束する。だから、これは本当に勝手なお願いだけど…今の僕を、過去とは違う”新しい僕”だと思ってくれないかな?それで…僕はやり直したい。改めてミョウジと友達になりたい」
「友達…?」
「……そりゃあ、本当はミョウジの恋人になりたいよ。俺はずっとミョウジが好きだったんだから。でも、そんなのいきなり言われても困るでしょ。だから、まずは君がほどよいと思える距離にいたい、友達として」
ダメかな?と不安そうな瞳でわたしを見る時透くん。彼がこんなにも真剣に、わたしとの関係修復を望んでいたとは知らなかった。だからこそ、その言葉一つひとつがとても新鮮にわたしの胸に届いた。

ふと窓の外に目をやると、雨が止んでいた。雲の切れ間から明るい日も差している。わたしは立ち上がると、片手に日誌を持ち、肩に鞄をかけた。
「友達のなり方…わたしはよくわからないけど、いいよ」
緊張して、恥ずかしくて、時透くんの目を見れないから、上履きの先を見ながら言った。けれど、時透くんがたちまち顔を輝かせたのが手に取るようにわかる。
「ミョウジ…ありがとう、本当にありがとう」
「う、うん…じゃあ、また明日」
そう言ってわたしは足早に教室を出る。後ろから時透くんの「また明日!」という声が聞こえた。

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それからというもの、わたしたちは”友達”として学校生活を送ることになるのだけど。どうも時透くんの言う”友達”の定義はおかしい気がする。
一緒に登下校したり、お昼ご飯を食べたりするのは、まあ100歩譲っていいだろう。けれどそれ以外の場面で、たとえば学校帰りに自分の家に遊びに来るよう誘ったり、寝る直前まで長電話をしたり、休日に映画館や美術館に連れていかれたり…彼はわたしのことを『自分の彼女』みたいに扱うのだった。わたしはまだ、時透くんへの苦手意識を完全にぬぐい切れていないというのに…。

しかし、もとから人に流されやすい性格のわたしは、そんな彼の言動を拒否したり誘いを断ることができない。だから、わたしと時透くんが付き合うことになったという『虚偽の噂』はあっという間に広がった。


「時透くんって外堀から埋めるタイプでしょ……」
お昼どき、学校の中庭で時透くんとご飯を食べていると、通りかかったクラスメイトに冷やかされる。腹立ちまぎれに恨み言をつぶやくと、時透くんは「なんのこと?」と言ってにっこり笑った。
「それよりもナマエ、次の土曜、ちょっと遠出しない?」
「……えっ」
「出かけるの嫌?じゃあ、うちでゆっくりする?」
「いや、そうじゃなくて…その、いつもは苗字で呼んでたじゃない」
「そうだっけ?でも僕は好きな子のことは名前で呼びたいし、いいよね?」
「ちょ、ちょっと時透くん!わたしたちは”友達”でしょ?なんか、きょ、距離が近いっていうか…」
「うん、そうだよ。僕とナマエは友達だ、でもさ…」
時透くんがわたしの飲んでいたペットボトル飲料を取り上げた。驚いて顔を上げると、思いのほか近くに彼の顔がある。相変わらずの端整な顔立ちにドキリとする。

「友達の定義ってなに?友達は名前で呼んじゃいけないの?違うよね。友達でも恋人でも、相手のことを名前で呼んでいいし、遊びに誘ってもいい。長時間2人きりでいてもいいし、正直手だって繋いでもいいわけだよ」
そして時透くんはわたしの左手に自分の右手を重ねた。
「ということは、結局友達も恋人も変わらないよね?関係性としてはさ。だから今の僕たちは、友達であり恋人である、そういうことだ」
「そ、それは違うでしょ!そんなのただの屁理屈…」
「いいじゃん、屁理屈で」
頬に温かいなにかが触れた。一秒遅れて、チュ、と可愛らしい音が聞こえる。
「だって俺はナマエが大好きなんだから」

わたしはとんでもない男子と”友達”になってしまったのではないか?
―――そう気づくには、もう遅すぎた。時透くんは機嫌がよさそうにわたしの指に自身の指を絡ませ、さらに体を寄せてくる。彼から石鹸のようないい香りがした。そして、そんなわたしたちを見ていた生徒(たぶん時透くんのクラスメイトだろう)から「イチャつくならよそでやってくれ!」とブーイングが上がり、わたしは熱い眩暈を感じながらゆるく首を振った。



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