災難か幸運か

世にも奇妙で、恐ろしいことが起こってしまった……。
死してもなお、攻撃を仕掛けてくる鬼がいるのは知っていた。だけどそれが、血鬼術という形で自分に降りかかってくるとは思ってもみなかった。しかも、巻き込まれたのは自分だけではない。あの冷酷で恐ろしい霞柱もこのおかしな術にかかってしまったのだ。

つまりは現在、わたしたちは血鬼術のせいで心と体があべこべなのである。わたしの目の前にいるのは時透さんに違いないのだけど、その姿はどこからどう見ても”わたし”―――ミョウジナマエの姿。そしてわたし自身はというと、時透無一郎さんその人の姿なのだ。


「君、僕の姿で泣かないでくれる?みっともない」
時透さんが容赦なく刀の切っ先をわたしの首筋に当ててくる。けれど見た目が”わたし”なので、妙な感じだ。
「ヒッ…!そ、そんなこと言われましても…こんな、こんな状況で…うぅっ」
うずくまりながら情けなく泣くわたしを見下ろす時透さんは、深いため息をつくと日輪刀を鞘にしまう。そしてわたしの腕を乱暴に引き上げようとするも、ぐらりとよろけた。
「僕の体ってこんなに重いの?いや、君の体に筋肉がなさすぎなのか…」
そうつぶやいてからもう一度、わたしの腕を力いっぱい引き上げる。無理矢理立たされたわたしは、怖い顔をしてこちらを見ている時透さんをしげしげと見つめる。やっぱり、どっからどう見ても”わたし”が目の前にいる。でも、普段のわたしはこんなに気の強そうな顔をしていない。中身が変われば、人相も変わるんだな…と呑気に考えていると、「ほら行くよ」と時透さんは先に立って歩き出した。

「えっ、あの、ど、どこへ……」
「蝶屋敷に決まってるでしょ、僕は一秒でも早く自分の体を取り戻したい。君だってそうだろ?」
「あ、は、はい……」
鬼の頸は切ったのだし、もうこんな場所に用はない。足早に歩く時透さんの後を慌てて追いかけると、そこまで駆け足になったつもりはないのに、あっという間に彼に追いついた。これが柱である時透さんの身体能力。極限まで鍛え上げた体だからこそ、ちょっと力を入れるだけで何倍ものパワーや速度が出るらしい。
「あぁ…本当に君の体ってなんか、ふわふわする。軽すぎて不安になるよ」
時透さんは歩きながらブツブツと文句を言っている。そりゃ、柱だった人が階級の低いイチ隊士の体になってしまったら、不便なことこの上ないだろう。少しだけ申し訳なくなる。

そのとき、背後で微かに音がした。
後ろを振り返るよりも先に、時透さんがわたしを抱えて素早く横に飛んだ。先ほどわたしたちのいた場所には、えぐれたような穴が開いている。そしてその穴の近くには、倒したはずの鬼が再び姿を現していた。
「なにをぼけっとしてるの、早く刀を構えなよ」
時透さんの苛立った声に、慌てて刀を取る。”惡鬼滅殺”と書かれたその刀身を見た途端、わたしの体はまた情けなく震え出した。
「だ、だだだダメです!わたしみたいな者が、時透さんの刀を勝手に使っちゃあ…!」
「今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょ、君馬鹿なの?ほら、攻撃が来るよ…!」
「わっ………!!」
気づけば勝手に体が動いていた。地面を蹴り上げ、高く跳躍したわたしは、鬼の攻撃をするりとかわす。そして、その頸に向かって刀を振り下ろすも、わたしの動きを見切っていた鬼にその攻撃はかすりもしなかった。「下手くそ」と時透さんの声が聞こえ、わたしは密かに赤面する。

「はぁ、当然この体じゃ自分の呼吸は使えないか…」
必死にわたしの体で応戦する時透さんは、当然ながら非常に戦いづらそうだった。自身の呼吸…霞の呼吸を使えないのはかなり痛手だろう。とはいえ、もとの体の持ち主である普段のわたしよりは何倍も機敏に動いている。自分の体、頑張ればそこそこの身体能力を引き出せるのか…と思わず感心してしまう。


「ヒヒヒ……俺の血鬼術、柱のお前には致命的だろう?」
鬼は厭らしい笑みを浮かべながら時透さんを見下ろした。
「これで柱を殺しやすくなった、お前がその弱い体に入っているうちに殺してやる」
そうか、この血鬼術の狙いは時透さんだったんだ。鬼はわざと倒されたフリをして、わたしたちに血鬼術をかけ、体を入れ替わらせた。そうして、わたしたち…いや、柱である時透さんが戦いに不利になる状況を作り出した。これはすべて鬼の作戦だったのだ。

この卑劣なやり方と馬鹿にしきった態度に、わたしは静かに怒りを覚える。鬼が敵視しているのは時透さんのみ。そしてわたしは”弱い体の器”でしかなく、時透さんを陥れるための鬼の道具にしか見られていなかった。わたしだって同じ鬼殺の剣士なのに、ああなんて腹が立つんだろう。
鬼が時透さんに向かって攻撃を仕掛けた。時透さんはすぐに防御の構えを取るも、その顔には余裕がない。頭で考えるよりも先に、わたしの体は動き出していた。

「なっ………」
ボトリと鬼の両腕が切り落ちる。攻撃を防げたことに一安心するも、わたしはすぐに鬼の背後へ回った。その間にも新たな手が生えはじめている、再生が早い。
「…君、僕を守るなんていい度胸だね」
時透さんがぼやきながら、鬼の足を切る。わたしに気を取られていた鬼が、怒りの咆哮を上げた。うまく撹乱している。

鬼の頸に狙いを定めながら、わたしは今日の戦いで時透さんが出していた技を思い浮かべていた。たしか、肆ノ型…『移流斬り』と言ったか。敵の足元に潜り込み、斜めに斬り上げる…あの技は、今のこの状況にぴったりだ。
わたしは霞の呼吸の使い手ではない。けれど、時透さんの体を借りている状態なら、見様見真似でも使えるかもしれない。そんな微かな期待があった。

全集中の呼吸で体中の血液を沸騰させ、頭の中で繰り返し時透さんの技を思い浮かべる。そして鬼がこちらを振り返った瞬間、その足元に思いきり滑り込み、上体をひねった。
「肆ノ型 移流斬り……!」
パァンッと高く鬼の頸が跳ね上がった。どうにか決まった、と体中に充足感が広がる。後を追うように、時透さんが鬼の頭とその体に細かく斬撃を入れてくれた。おかげで今度こそ鬼を討伐することに成功し、同時にわたしたちにかかっていた血鬼術も解かれたのだった。

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「あんな未完成な技を僕に見せるなんて、意外と肝が据わっているんだね、君」
「ごめんなさい、あの、その、わたしは霞の呼吸を軽んじていたわけでなくて、ですね……」
わたしは今、腕を組んでいる時透さんの前に正座している。鬼を倒し、それぞれ自分の体を取り戻し、状況としては万々歳なのに、時透さんのご機嫌は大変な斜め具合だった。
「君、名前は」
「はい、ミョウジナマエ、階級は庚(かのえ)です」
「ふうん、庚…ね」
「はい、その通りです、ごめんなさい」
「……うん、ナマエ。君を僕の継子にしてあげる」
「はい、申し訳ありま………へっ?」
「本当に面白くないけど、霞の呼吸の素質がある君を、放っておくわけにはいかないからね」
震えながら時透さんを見上げると、彼は少しむくれた幼い表情でわたしを見下ろしていた。

「それに、あんなへったくそな技を見せられちゃあ僕の腹の虫もおさまらない、ビシバシ鍛えてあげるから覚悟して」
そう言ってわたしの手を引っ張って立たせてくれた。今度はよろけることなく、軽々とわたしを引き上げたようだ。
「いや、でも時透さん…わたしは別にその、霞の呼吸が使いたいとか、そういうわけでは…」
「君がどうしたいかは聞いてない、これは柱命令、僕が決めたことだから」
「そ、そんな………」

わたしが…継子?じゃあ時透さんがわたしの師範になるの?それって一般的にはかなり名誉なことかもしれないけど……。いや、でも継子になるということは、柱稽古のときみたいな恐ろしい時透さんが四六時中わたしを鍛えるということなんじゃ…?頭の中を疑問符でいっぱいにしていると、時透さんがわたしの耳元で「泣いても喚いても、僕は君を逃がさないからね」と囁いた。わたしはいろんな意味で体の震えが止まらず、そんなわたしを見て彼は満足げにほくそ笑んだのだった。


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