彼なりの事情

その人、”煉獄さん”は体も声も大きく、一見すると迫力のある人だけど、誰にでも等しく親切で優しい隊士だった。おまけに卓越した剣術も持ち合わせているのだから、非の打ちどころがない。

そんな煉獄さんが『炎柱』だと知ったのは、彼と出会ってから随分と後のこと。

こんなに強くて優しい隊士の方がいてね、煉獄さんという名前なんだけど。ものすごく強い人だから、階級はわたしよりもっともっと上なんだろうなぁ。…そんな風に同期に話したところ、「アンタそれ柱だよ」と呆れた顔をされた。え?柱?煉獄さんが?「そうだよ、煉獄さんは炎柱。まあアンタは人の顔とか名前を覚えるの苦手だもんね」と同期は苦笑いをする。いや、だけど煉獄さんは自分のことを『柱』だなんて一言も言わなかった。わたしと会うと、いつも気軽に話しかけてくれて、ときには戦闘で助けてくれて…そのどの場面でも、自分の階級を明かしたことはない。「でもさ、よく覚えてたね、煉獄さんの名前。アンタが人の名前を覚えるなんて珍しい」たしかに、わたしは人の顔や名前を正しく覚えることが苦手だ。けれど、煉獄さんだけは思わず名前を覚えてしまうほど、そのなにもかもに引き込まれていたのだ。鬼の頸をはねるその姿に、そのあとわたしに見せるにこやかな顔に―――。

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その日、わたしは単独任務を終え、昼頃にたどり着いた町で一休みをしていた。人情味溢れる下町であるそこは居心地がよく、わたしは刀を隊服の下に隠しながらいい気分で町を練り歩く。

「ちょいとアンタ!」
雑貨屋で簪などを眺めていると、腰の曲がった老人に話しかけられた。人のよさそうな顔でニコニコとわたしを眺めている。
「こりゃあべっぴんさんだ。あんたにゃあそんな洋服より、和服の方が似合うに決まってるよ。ちょっとついておいで!」
老人は言うだけ言うと、人波をかき分けながら歩き出した。突然のことで戸惑ったものの老人を無視するのも憚られたので、わたしは急いで彼のあとに続く。

彼がやってきたのは古びた呉服屋だった。「入りな!」と言われたので中に入ると、そこには色とりどりの美しい着物が飾られている。
「ささ、ちょいとこれを着てみなよ」
老人は店の奥から白地に真っ赤な薔薇のあしらわれた着物を持ってくる。薔薇の主張が激しく、強気な印象を思わせるその着物は、正直わたしの好みではなかった。けれど、老人が目を輝かせながらこちらを見つめてくるため、仕方なくわたしはその着物を受け取る。

「お嬢さん一人で着付けられるかい?」
「えぇ、大丈夫です」
「そうかい、じゃあここで待ってるよ」
わたしは老人に案内された店奥の小部屋に入り、その着物を身に付けることにする。悪いからと思ってここまで来てしまったけれど、もしかして着物を着たあと、これを買い取れと言われるんじゃないだろうか。どうしよう、あまりお金は持っていないのに…。そんな風に悶々としながらもまずは隊服を脱ぎ、その中に刀を隠す。そして趣味の悪いその着物に袖を通した。


……そこはかとない、違和感を感じた。
不思議に思いながらも衿を合わせると、着物がじわじわと自分の体に張りついていくような感覚がする。”この着物、なにかおかしい”と思ったときにはもう手遅れだった。立っていられないほど体中がだるくなったわたしは、膝を折り畳に手をつく。冷や汗が流れ、呼吸が乱れた。まるで着物に力を吸い取られているようだ。

鬼だ、鬼の仕業だ。あの老人から鬼の気配はしなかったが、きっと血鬼術かなにかで操られているのだろう。鬼は鬼殺隊であるわたしを見つけ、この店の中で殺そうと企てた。だからあの老人を使ってわたしを店に招き入れたのだ。

「どうだい、着れたかい?」
襖の外で老人の声がする。喉が張りついたように声が出せないわたしは「あ、ぁ…」と微かな呻き声しか上げられなかった。老人は黙って襖を開けると、迷いなくわたしの隊服に近づく。そして、そこに隠してた日輪刀を見つけると、
「こんなもの、アンタみたいなお嬢さんが持ってちゃいけねえ。これは俺が預かっておく」
と言い、刀を持って行ってしまった。

ああ、なんということだ。これじゃあすべて鬼の思い通りだ。昼間も活動できる鬼がいることを、なぜ忘れていたのだろう。しかも日輪刀を取り上げられてしまっては、戦う術がない。誰かに救援を頼まなくては。そう思うも、着物に力を吸い取られ続けるわたしは、とうとう体から畳に崩れ落ちる。

うまく呼吸ができない。目の前がチカチカする。わたしはこのまま死ぬのだろうか。そんな漠然とした恐怖を抱いたまま、意識が薄れていった。

「ご免!ここにミョウジ嬢がいると聞いてやってきた!主人はいるか?」
突然、この小部屋にまで届くような大きな声が轟いた。
「おやおや、まあまあ。こりゃあ随分と大きな旦那だな」
すぐに老人の声が続く。
「だが、申し訳ねぇけどこの店にゃあこの小汚い老人がたった一人きりさ。他には誰もいねぇよ」
「あなたを小汚いとは思わない!しかし、俺に嘘は通じん。悪いが勝手に調べさせてもらう!」
「あっ、あんた、なにを……!」
大きな足音が近づいてくる。老人が抵抗するような声も聞こえるが足音は止まらない。わたしは最後の力を振り絞って上体を起こした。

勢いよく襖が開かれる。
「遅くなってすまない!ミョウジ、君を助けに来たぞ!」
そこには片手で老人を制し、もう片方の手でわたしの日輪刀を持っている煉獄さんがいた。

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煉獄さんは部屋に入ると、すぐに自分の羽織をわたしにかける。そして「本当に申し訳ない」と言いながら、わたしの着物を引き裂いた。すると、天井からつんざくような悲鳴が聞こえ、その後、肌に張りついていた着物がはらはらと剥がれ落ちていく。どうやらこの着物は鬼の一部だったようだ。脱力していた力が徐々に戻っていくのがわかる。

それから煉獄さんは、「無駄な抵抗はやめて姿を現せ!」と言って天井に刀を突きたてた。すると、子どもほどの背丈の小柄な鬼が転がり落ちてくる。しかし牙を剥き出し、充血した大きな目を持つ鬼の顔つきは醜く、憎しみに満ちていた。
「あともう少しだったのに、あともう少しだったのに…!」
鬼はそう言って煉獄さんに飛びかかった。しかし、煉獄さんはそれをいなすように刀を振る。鬼の両腕が切断された。しかしその腕はすぐに再生される。そして今度は、煉獄さんの後ろにいるわたしに飛びかかってきた。

「罪なき老人を操るだけでなく、目の前の俺よりも女性を狙うような真似をするなど、憤懣やるかたない!」
言うが否や、ゴオッと炎が上がるような音を立てて煉獄さんが刀を振るった。呼吸を使ったのだ。円を描くように刀を斬り上げるその技は、見とれてしまうほど強く美しかった。

煉獄さんによってはねられた鬼の頸が、部屋の壁際でうずくまるわたしに向かって落下してくる。慌てて避けようとしたところ、煉獄さんが壁に手をつくようにして、それをわたしから庇った。鬼の頸は、煉獄さんの背中でバウンドしたあと、畳に落ちたらしい。
「怪我はないか?ミョウジ」
鼻がくっついてしまいそうなほどの超至近距離で煉獄さんが尋ねる。わたしは羽織で自分の体を隠しながら必死に頷いた。すると煉獄さんは「そうか、それならよかった!」とわたしの頭に手を乗せながら満面の笑みを見せた。

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その後、隊服に着替えたわたしは煉獄さんと町を出る。彼は産屋敷に用があるとのことで、ここで別れなければならなかったが、わたしはどうしても聞きたいことがあった。
「あの、煉獄さん」
声をかけると、彼はいつものように穏やかな笑みを浮かべながら振り向いた。
「ひとつ聞きたいことがあります」
「ああ、構わない!ひとつだけと言わず、いくつでも質問してくれ」
「はい、あの……煉獄さんは、どうしてわたしに”炎柱”であると教えてくれなかったのですか」
シン……と静寂が訪れる。視線を上げると、煉獄さんがやや驚いた表情でこちらを見ていた。それから彼は困ったように眉を下げる。

「わたし最近まで、煉獄さんが柱だって知りませんでした。だから、つい馴れ馴れしい態度を取ってしまったかも…」
「それでいいんだ、ミョウジ」
「え…?」
「俺はミョウジに、柱だという肩書で俺自身を見てほしくなかった。俺は煉獄杏寿郎という男、それ以上でもそれ以下でもない。そういう風に君と対等でいたかった」
それから煉獄さんはわたしの両肩に手を置き、顔をグッと近づける。
「もちろん、今後もこれまでのように接してほしい。せっかく君と距離を縮められたのに、俺が柱だからといって離れてほしくない」
煉獄さんはそのまま、コツンとおでこをつけた。
「俺を柱ではなく、一人の男として見てくれ、ミョウジ」
わたしは顔から火が出そうなほど体中が熱くなったけれど、煉獄さんの言葉が嬉しくてたまらなった。「はい」と消え入りそうな声で答えると、彼はにっこりと笑って顔と肩の手を離した。

煉獄さんと別れてからも、彼がわたしに触れていたときの温度を何度も思い出し、幸せな気持ちになった。そして去り際に煉獄さんは、「君のことをもっと知りたい」と言ってくれた。だから、今度彼を食事にでも誘ってみようかな、そんなことを考えながらわたしは帰路をたどった。


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