太陽の人

軽やかな羽音を上げて飛び立っていく鴉を見送ってから、じわじわと後悔の念が胸に広がった。わたしみたいな階級の低い隊士が、なんて図々しい真似を。相手のあの言葉はただの社交辞令だったかもしれないのに、真に受けて恥ずかしい。今からでも取り消せないだろうか。しかし、もう鴉は足に手紙を括り付け目的の人物がいる場所へ飛び去ってしまった。ああ、わたしは馬鹿だ。あんな手紙書かなかければよかった。

そんな悶々とした思いで一日を過ごしていると、半日も発たないうちにわたしの鴉は帰ってきた。足に”紙”を括り付けて。
その紙はわたしが手紙を送った相手からの返事のようだった。恐る恐るそれを開いてみると、そこには大きな文字で快諾の旨が記してあった。わたしは大きなため息をつく。そのあと、沸き上がるような喜びを覚えた。勇気を出して誘ってよかった。

こうしてわたしは、1週間後に炎柱である煉獄さんと食事をする約束を取り付けた。異性と2人きりの食事は初めてであり、あの憧れの煉獄さんと任務以外で会えるということに、わたしはたちまち舞い上がってしまった。

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約束の日はあっという間にやって来た。
待ち合わせ時間は太陽が一番高く上がった昼時―――町へ行くと、橋のたもとに炎のような羽織と髪の人物が立っているのを見つける。慌てて駆け寄ると、その人物は人のいい笑みを浮かべた。
「ミョウジは着物か、よく似合っている!俺が色気のない隊服のままなのは許してくれ、いつ応援の声がかかってもいいように備えておきたいんだ」
「い、いえ、そんな!来てくださっただけでも嬉しいです」
「うむ!それでは行こうか」
煉獄さんはそう言うと、先に立って歩きはじめた。

食事の場所は煉獄さんががすでに決めてくれていた。彼に連れられやって来たのは趣のある懐石料理店。煉獄さんは「以前、お館様にご馳走していただいた店なんだ」と事もなげに言うが、わたしには明らかに敷居が高すぎる場所に思える。ビクビクしながら女将さんのあとについて行くと、小ぢんまりとした和室に通された。
「ここでなら、ゆっくり話ができるだろうと思ってな」
完全個室であるようだから、たしかに周りのことを気にせず会話が楽しめるに違いない。しかし、だからといってくつろげる空間であるかどうかは別問題だ。

ほどなくして、香りのいい日本茶と数品の料理が運ばれてくる。キノコの和え物や天ぷら、茶わん蒸しなど、美味しそうなものばかりで、どれも小さな小鉢や皿に盛りつけられている。「さあ、食べよう」と言われ、わたしは震える手で箸を手に取った。全神経を箸の先に集中させて和え物をつまみ、それを慎重に口に運んだ。
「ウマいか?」
煉獄さんが屈託のない笑みを浮かべながらわたしに尋ねるので、慌てて頷く。たしかに味は最高だった。煉獄さんは「そうか、そうか」と頷きながら自身も天ぷらを箸でつまみ、口に運ぶ。
「ウマい!」
あまりに大きな称賛の声に、わたしは思わず笑ってしまったほどだった。

しかしながら、それから先の煉獄さんとの会話を、わたしはほとんど覚えていない。なぜならわたしは、手に汗を握りながら料理を口に運ぶことに集中していたからだ。わたしが箸で料理を挟む手つきはいつもおぼつかない。挟まれた料理はすぐにずり落ちそうになり、プルプルと不安げに揺れ動く。

そんな風に食事を続けていると、再び料理が運ばれてきた。今度は炊き込みご飯やお吸い物など、食べ出がある品々だ。しかし、その中に”焼き魚”を見つけ思わず血の気が引いてしまう。
煉獄さんはすぐに魚に箸をつけ、器用に骨と身をより分けながらそれを口に運ぶ。本当に美味しそうに食事をするなと思いながらも、わたしは魚に箸をつけられずにいた。

+++

「ミョウジ、その魚を取ってくれないか」
突然煉獄さんがそう言った。”魚”とは、わたしが手をつけていないこの焼き魚以外にどこにもない。わたしは戸惑いながらも魚の乗った皿を差し出す。煉獄さんはそれを受け取ると、先ほどと同じように器用に魚の骨と身をより分けはじめた。わたしは呆気に取られながらその様子を見つめる。そしてこの魚が完全に食べやすい状態になると、煉獄さんはその皿をわたしに差し出した。
「この魚はウマいぞ、ぜひ食べてみてくれ」
わたしは恥ずかしさと、申し訳なさで顔が真っ赤になった。「ごめんなさい」と言いながらその皿を受け取る。
「なにを謝ることがある。むしろ、差し出がましいことをして申し訳ない」
そんな風にわたしを気遣ってくれる煉獄さんが素敵だと思う反面、やはり自分は彼と釣り合わないと思ってしまった。

わたしは箸を使うことが苦手だった。
貧乏だったわたしの家では箸を使ってモノを食べる習慣がなく、箸の使い方を教わったのは10歳をとうに過ぎた頃のこと。だからわたしは今も箸を上手く扱うことができない。ある程度、質量と大きさのある料理は安定感を持って箸で掴めるのだが、つるつるしているものや細くて軽いものは苦手だし、細かい骨のある魚を食べることはもっと苦手だった。

煉獄さんに行儀の悪い女だとバレてしまった。失望しているだろう。いや、失望を通り越して憐れんでいるんだ。わたしは悲しくて、恥ずかしくて、体が熱くなったり血の気が引いたりを繰り返しながらも、震える箸先で魚の身をつまむ。そして、それをゆっくりと口に運んだ。
「………美味しい、です」
「そうか!それはよかった」
煉獄さんは満足げに数回頷くと、優雅に湯飲みの茶を啜った。


「ミョウジ」
完全に食事の手が止まってしまったわたしを、煉獄さんが呼ぶ。顔を上げると、彼は穏やかな顔でこちらを見つめていた。
「自分のことを恥じないでくれ」
「………」
「苦手なものがあるのは、人として当たり前だ。恥ずべきことではないし、俺はなんとも思わない」
「ですが………」
「むしろ俺は、君の苦手なものを知れてよかったとさえ思っている」
「で、でも、箸がまともに使えない女だなんて……」
「何度でも言おう、それはまったく恥ずべきことではない。俺はどんなミョウジも美しく、愛おしいと思う。そんなことで俺の君への想いが揺らぐと思うか?」
そうしてわたしと煉獄さんのあいだには、水を打ったような静けさが広がった。お互いポカンとしたまま見つめ合う。

「……よもや!!」

煉獄さんが声を上げ、わたしは心臓が飛び出しそうなほどに驚いた。
「まさか、会話の流れでミョウジへの想いを口にしてしまうとは!俺としたことが……」
大口を開けて笑う煉獄さんの顔には、わずかに照れが浮かんでいる。
「もう少し時間をかけて関係を築いてから、ミョウジを口説こうと思っていたんだがな」
次から次へと予想外の言葉が投げられ、混乱で今にも頭が爆発してしまいそうだった。煉獄さんは一人で勝手に納得したかのように、うん!と一つ頷くと、その力のこもった眼をこちらに向けた。

「ミョウジ」
「は、はい」
「俺は君が好きだ!先ほどは、君と2人きりで食事をしているという幸せな時間に舞い上がり、先走って想いを口にしてしまったが、あの言葉に嘘偽りはない。なんだったら、ミョウジへの想いを1から10まで並べ立てて伝えてもいいと思っている!」
「えっ?!あ、そ、それは、だ、大丈夫です!」
「そうか!では、単刀直入に言う!」
煉獄さんは机越しに手を伸ばし、わたしの両手を握った。彼の手は温かく、大きな鼓動の一つひとつが手のひらを通して伝わってくるかのようだった。
「ミョウジ、俺の恋人になってくれ!」
少しの迷いもない真っすぐなその声が、わたしにかけられた。

いつの間にか自分の口角が上がっている。とはいえ、気を抜けばすぐに泣きそうになってしまう。煉獄さんの心からの言葉が本当に嬉しかったからだ。わたしの情けない姿を見ても意に介さず、むしろそんな欠点まで丸ごと愛してくれるだなんて―――こんな稀有な男性は、世の中に彼以外いないのではないだろうか。

温かい彼の手の中を抜け出し、今度はわたしの方から彼の両手を包む。いつの間にかわたしの手も、煉獄さんと同じくらい温かくなっていた。
「……わたしでよければ」
煉獄さんは先細っていくわたしの声を最後まで聞き届けてくれると、満面の笑みを浮かべた。
「もちろん、俺は君がいいんだ」
太陽のように温かい言葉がわたしを包む。いつまでも消えない太陽のような人だな、そんな風に思うと、煉獄さんのことがもっともっと愛おしくなってしまった。


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