名もなき感情

※現パロ


「ちょっとぉお……待ってよ、たんじろぉ…いのすけぇ……はぁ、はぁっ…」
情けない声を上げながら、クラスメイトである2人の背中を追いかけるのは、その金色の髪がひときわ目を引く男子―――我妻善逸だ。体幹の弱そうなへなへなとした走り方で、必死に友人の背中を追いかけている。
「はやくしろ、紋逸!さっさと来ねぇと置いてくぞ!」
「ほら、頑張れ善逸ー!」
「あーーーっくそ!!なんでお前らはそんなに余裕なわけ?!信じらんない、信じらんないわもう!!」
善逸はひとしきり文句を言うと、スピードを上げた。なんとか2人のもとまで追いつく。
「それにしても意外だな、善逸が長距離走が苦手だなんて」
「あのねぇ、俺が得意なのは短距離だけなの。だからマラソンなんて苦手中の苦手……って、ああ、待ってよ2人とも!!」
再び距離を離されそうになり、善逸は慌てて口ではなく足を動かした。

+++

今日はキメツ学園恒例のマラソン大会だった。近くに大きな運動公園があるため、その公園を男子は5周、女子は3周すればゴールとなる。記録時間を短縮させるため、男子も女子も同時にスタートが切られており、女子が近くを通るたびに善逸はシャンと姿勢を正していた。

しかしながら、善逸には根性がない。マラソンを完走するモチベーションが著しく低い彼は、地面を蹴るスピードがどんどん落ちていく。そしてついに、友人2人から置いて行かれてしまった。

「はぁ…っ、マジしんどい、死ぬ、このままじゃ、確実に死………」
言いかけたところで、前方に自分と同じようにヨロヨロと走る女子生徒の姿を発見した。あれはたしか……と善逸は彼女の名前を思い浮かべる。
「(そうだ。ミョウジさん、だ)」
彼女の名はミョウジナマエ。クラスで特別目立つ存在ではないが、それは彼女が面倒事をのらりくらりと交わす性格だからだろう。最低限の行事には参加するが、任意で行なうタイプの行事には欠席していることが多い。委員会や部活にも入っておらず、成績に繋がるようなイベント事でなければ容赦なく欠席することもあるほどだ。そんなナマエがマラソン大会に参加している、それは善逸にとって新鮮なことのように思えた。

善逸はなんとなく彼女のやや後方を走った。ナマエくらいのペースが善逸にとっても走りやすかった。ただ、前方のナマエの走り方は少し不自然である。左足があまり上がっていない。もしかしたら怪我をしているのかもしれない。

そう思うと、善逸は居ても立っても居られなくなってしまった。彼は意を決すると、スピードを上げ彼女との距離を縮めた。そして、間もなくナマエの隣まで追いついたものの、勢い余って通り越してしまう。それから不自然にペースを落とし、彼女が追いついてくるのを待った。

案の定、ナマエは怪訝そうな顔で善逸を見ていた。
「なに…っ?」
息を切らしながらナマエが言う。初めてナマエから話しかけられた、と善逸は思った。
「い、いや、あのー…そのー……」
ナマエと並走しながら善逸が口ごもる。
「もしかしてミョウジさん……足、痛めてる…?」
数秒、2人の息遣いだけが空間を満たした。そのあと、ナマエはふふっと空気を揺らすような笑みを漏らす。
「よく気づいたね、実はさっき段差で変な捻り方しちゃってさ」
「それなら先生に言って、棄権したほうが……」
「でも今日完走しないと、補修で別日にまた走らされちゃうの」
ナマエはそう言って善逸に顔を向けた。眉根を寄せて、心底面倒くさそうな顔をつくる。
「それって、めちゃくちゃダルくない?」
彼女の唐突なフランクさに善逸は思わず吹き出してしまう。そして彼も「めっちゃダルいね」と笑った。

「ってことで、わたしのことは気にせず走って、我妻くん」
ナマエはいつもの飄々とした顔に戻ると、善逸にひらひらと手を振った。先に行ってくれ、という意味だろう。しかしこの時点で、善逸は彼女と最後まで走り抜くことを心に決めていた。
「いや、俺もこのまま走るよ」
「え、なんで?わたしはこのペースだよ、我妻くんもビリになっちゃう」
「今さら炭治郎たちに追いつくのは無理だし、もう走り切れればいいよ。それに、正直俺はこれくらいの方が走りやすいしさ」
ナマエは一瞬きょとんとしたあと、また空気を揺らすように笑った。
「え?それってわたしと一緒に最後まで走ってくれるってこと?紳士すぎない?我妻くん」
「え?俺が紳士だって知らなかったの?ミョウジさん」
それから善逸は自分がどれだけ紳士であるかを語り、それをナマエが一つひとつ否定した。今日初めて口を聞いた2人とは思えないほど彼らは打ち解けていた。

そうしてダラダラ走る2人を、ときどき教師がメガホンを通して叱咤した。その直後はスピードを上げて走ってみせるのだが、教師の姿が遠のくと、2人はまたいつものペースに戻った。これじゃあただのジョギングだ。それでもナマエと善逸は、お喋りを楽しみながらマイペースに走り続けた。

+++

やっとゴールが見えてきた。ナマエの言う通り、2人はほとんどビリに近かった。けれど、どうにか授業の時間内には完走できそうだ。
「ねぇ、ミョウジさん」
「なに?」
「ミョウジさんってよく行事とか欠席するでしょ。でもさ、それって意外と内申に響くかもじゃん?だからそういうの、できる限り出席した方がいいと思うの」
えぇ〜…と不満そうに顔をしかめるナマエに、善逸は顔を寄せる。そして耳元でこう言った。
「でもいい案があるよ、当日参加だけして俺とサボるっていう案」
善逸はすぐにナマエから離れた。あまりにベタベタすると、下心があると思われて拒否されるかもしれないと思ったからだ。もっとも、下心がまったくない、と言ったらそれは嘘になるのだが…。

そして、ナマエの反応は善逸が想像した通りのものだった。目を悪戯っぽく細め、彼に笑いかける。
「我妻くん、わたしといれば楽できそうって思ってるんでしょ」
「まさかぁ!俺はミョウジさんと仲良くしたいだけ」
「どうだか」
その返答に、善逸は少しだけ不満を覚える。

まもなくゴール地点に到達する。ナマエの目はゴールを見ていた。
「我妻くん」
「うん?」
「一緒に走ってくれてありがとね。お礼にいいサボり場所、教えてあげる」
善逸とナマエは同時にゴールした。すぐに善逸のもとに、炭治郎と伊之助が駆け寄ってくる。その直前にナマエは意味ありげに善逸に目配せをした。同士に見せるような親し気な視線だった。それを見て善逸は、彼女が自分を受け入れてくれたのだと、たまらなく嬉しくなった。

「炭治郎ぉ〜〜〜!伊之助ぇ〜〜〜!!もう、お前らはやすぎるわ〜〜!」
「ど、どうした善逸?やけに機嫌がいいな」
「そ、そぉ!?普通だと思うけどなぁ!!」
善逸がふと顔を上げると、もうそこにナマエはいなかった。マラソン完走という目的を果たしたため、さっさと学校に戻っているのだろう。けれど、善逸の心は浮き足立っていた。ナマエの”特別”になれた気がして、嬉しくてしょうがなかった。この感情が友情なのか、恋なのか、善逸にはまだわからない。ただ、ナマエのことが好きだと思った。もっともっと好きになりそうな予感がしていた。


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