密室と約束

※現パロ
※「遅刻する愛情」の続編


我妻くんとの交際は順調にはじまった。
前は彼の連絡を無視するなんてザラだったけれど、今じゃ頻繁に連絡を取り合っているし、定期的にデートもしている。わたしの希望により、ご飯は基本割り勘だけど、ちょっとしたもの(カフェでのお茶代など)は我妻くんが奢ってくれた。わたしの好みを把握したプレゼントなんかもよくしてくれる。(けれど、あまりにプレゼント攻撃をされても困るので、頻度は抑えるように頼んである)

また、デートのときの我妻くんはいつもニコニコしていた。というか、いつもニコニコしている。どんな場所にも気持ちよく付き合ってくれるし、わたしに危険や負担がないようにとさり気なくサポートしてくれる、気遣い上手でもあった。至れり尽くせりな感も否めないけれど、こんなに尽くしてくれる人って珍しいと思う。正直、なぜ彼に彼女がいなかったのか不思議なくらいでもあった。まあ強いて言うなら、こんな風に尽くされるのが「重い」と感じる人も少なくないのだろう。わたしはそういった愛情表現を逆に嬉しいと感じるので、そこそこ上手く行っているのかもしれない。

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週末は大体いつもデートだった。だからこの日も、我妻くんと映画を観に行く予定があった。待ち合わせ時間より少し早く現地に着いたわたしは、駅ビルの中に入っているアパレルショップでなんとなしに洋服を眺めていた。すると思いのほか夢中になっていたらしく、気づくと約束の時間がとっくに過ぎている。スマホを見ると我妻くんからの不在着信が2件……。

わたしは慌てて彼に電話をかけ直す。
『ミョウジさん?』
「あ、我妻くん?ごめん!服見てた!!」
『いいよ、ぜんぜん!ちなみに、どこの服屋さん?俺が行くよ』
一瞬迷ったものの、お言葉に甘えてアパレルショップの名前を告げると『了解〜ちょっと待っててね!』と言って彼は電話を切った。

数分後、言葉通り我妻くんがわたしを迎えに来てくれる。ショップにディスプレイされている洋服を興味深そうに眺めた。
「なんか良さそうな服あった?」
「うーん、今日はまあ…特に。今どんなのが流行ってるのかなって、見に来ただけだから」
ここで、ちょっと気になる服があるんだ…なんて言ってしまうと、我妻くんは本気で服選びに付き合ってくれてしまうので、今日は服を買う意思がないことを伝える。ただ、嫌な顔せず買い物に付き合ってくれるのは彼の良いところだ。
「ふぅん、そっか」
我妻くんはこちらに顔を戻すと、やや緊張した面持ちで、そうっとわたしの手を握った。
「じゃ、じゃあ、行こっか?」
相変わらず手を繋ぐときは緊張するらしい。そういうところも、彼らしいのだけど。
「うん、行こう」
彼の手を握り直してそう答えた。

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今日行く映画館は、12階建てのビルの最上階にあった。映画館以外のフロアには、飲食店、アパレルショップ、雑貨屋、輸入食料品店、スポーツジムなど、さまざまなお店が入っている。かなり大きなビルということもあり、映画館のある12階直通のエレベーターも何基か出ていた。

土曜の昼間ということで、ビル内はカップルやファミリーといった人々で溢れている。エレベーター乗り場の前にも、それなりに人がいた。しかし彼らは各フロアに止まるエレベーターに乗って行ったため、結局直通エレベーターを利用するのはわたしと我妻くんの二人だけだった。

エレベーター内はとても広く、外の景色が見れるようにと膝から上あたりはガラス張りになっている。ゆっくりと上昇していく景色に気を取られていると、肩に何かが触れた。我妻くんがピタリと密着するようにそばにいるのだ。こんなに広いエレベーターなのだから、もう少しゆとりを持って立っていたっていいのに、満員電車の中で肩を寄せ合うみたいな距離で彼は立っていた。

しかも彼は、わたしと一緒に景色を見ているようで、見ていなかった。軽く唇を噛み、何かを我慢しているみたいに目を伏せている。頬が少し赤い。わたしは彼の考えていることが、手に取るように分かった。
―――彼は今「キス」がしたいのだ。


わたしたちが付き合いはじめて、もう3ヶ月ほどだろうか。大きな喧嘩もしていないし、とても順調な交際が続いている。ただ、キスをしたのは片手で数えるほど。というのも、わたしたちがキスをするのは決まって”お互いのどちらかの部屋”と決まっているからだ。
別に、そういうルールを作ったわけではない。キスなんて、誰も見ていなければ、駅でも公園でも階段でも……正直どこでもできるのだ。実際、そうやって人気のないところでキスをされそうになったこともある。けれど、そのとき運悪く人がやってきてしまい、わたしは慌てて我妻くんの胸を押して顔を背けた。我妻くんはそのときのことがショックだったみたいで、またわたしはわたしであのときのことをずっと気まずく思っており、それ以来わたしたちは”外でキスをすること”がなくなってしまったのだ。

しかし、付き合って間もない二人だ。特に愛情表現が豊富な我妻くんは、キスがしたくてたまらないだろう。そういう気持ちは日々ひしひしと感じている。そして今、このエレベーターの中、密室で二人きり…というシチュエーションは、我妻くんの「キスしたい欲」を激しく掻き立てているようなのだ。

「ミョウジさん、」
絞り出すような声で、我妻くんがわたしを呼んだ。
「なに…?」
わたしはチラリとエレベーターの液晶を見上げながら答える。間もなくエレベーターは5階を通過するらしい。外を歩く人の姿もだいぶ小さくなってきた。
「あの……ですね。もし、もしね?よければ、なんですけど……」
「うん」
「その……ぼ、ぼ、僕と………キス、しません…か?」
顔を真っ赤にさせながら律義に質問してくるあたりが、なんとも彼らしい。付き合ってからは、その不器用さがますます好きになってしまった。

このまま上昇していくエレベーターの中で、わたしたちの姿を見ることができるのは、きっと監視カメラくらいだろう。警備員の人たち、ごめんなさい…と思いつつ、わたしは「うん、しようか」と我妻くんに言った。


彼の顔がパッと輝く。そしてわたしの両肩を掴むと、そのまま壁際まで押して追いつめた。その勢いに少しエレベーターが揺れてびっくりする。
「えっ?ちょ、ちょっと、落ち着いて、我妻くん」
「ご、ごごごごめん!!その、ついっ……」
言葉をしぼませた我妻くんは、固まったままわたしの顔を見つめ続けている。
「なっ……なに?」
もしかしてメイクが変だったのだろうか、と若干不安になってくる。
「いや……可愛いな、って」
「え、」
そのあと、急に唇を塞がれた。数秒合わさったあと、少し離れる。それからまた、くっつく。何度も角度を変えながら、お互いの唇の感触を確かめ合った。久しぶりのキスにじわじわと幸福感を覚える。

我妻くんが両手でわたしの顔を包み込んだ。ドキリとする。こうなると、顔を逸らしたり…という自由が利かなくなるので、若干の危険性を感じるのはわたしだけだろうか。すると、案の定というべきか、我妻くんは大胆な行動に出てきた。
「んっ……う?!」
ぬるりとした異物感に、思わず声を上げる。彼が、舌を入れてきたのだ。反射的にエレベーターの液晶を見上げると、8階を示していた。あと4階で目的のフロアに着く……。

我妻くんが、自分の舌をわたしの舌にゆっくり絡める。熱い。熱くてとろけてしまいそうだ。柔らかくて、ぬるりとしたその感覚に肌が粟立つ。
それから彼は、わたしの舌を優しく吸い上げ、軽く歯を当てた。それからまた愛しそうに吸い上げる。自身の舌を使って、わたしの口内を優しく撫でる。歯列も、上顎も、舌下も、全部愛おしそうに舌を使って愛撫するのだ。彼の舌が動くたびに、わたしは全身がぞわぞわとして、情けない声が唇から漏れる。わたしは我妻くんのシャツに掴まり、そのいやらしい感触に耐え続けた。

我妻くんの両手がわたしの顔から離れ、その代わりその手はわたしの腰と背中にまわった。さらに体を密着させようというのだ。
「ふっ、ん……んぅ」
密着してもなお、彼のディープキスは止まらない。貪るように、わたしの唇と舌に夢中になっている。途中、混ざり合った二人の唾液が唇から垂れそうになった。すると、我妻くんが舌を使って舐め上げ、吸い上げてくれた。そのときの彼の表情があまりにも色っぽくて心臓が止まりそうになったのは内緒だ。

今や互いの口内を舌が行き来する粘着質な水音が、抑えられないほどになっている。広いエレベーターの中では、その水音が一層引き立てられ、恥ずかしくてたまらなかった。
我妻くんはもう止まれないようだった。わたしの腰に回していた手をゆっくりと下に移動させ、お尻のあたりを撫でている。
―――このままでは、本当に襲われてしまうんじゃないか。
そんな不安と、ある種の期待を抱いたところで、エレベーター内に無機質な声が響き渡った。

『まもなく、12階です』

驚いて、二人とも同時に体をビクつかせた。それから、恐る恐る唇を離す。しっとりと濡れた我妻くんの唇が、わたしたちがどれほど深いキスを重ねていたのかを物語っていた。
「え、えぇ?!えええぇ?!俺っ、ごめ、ミョウジさん、俺、あの……!!」
口を押さえながら騒ぎ立てる我妻くんを落ち着かせるため、空いているもう片方の手を握る。
「だ、大丈夫だから!嫌じゃなかったし、わたしも……うん」
なぜキスの感想を言わなきゃいけないんだ、と思うものの、この言葉はテンパった我妻くんを落ち着かせる効果があったようだ。彼はわたしの手を握り返すと、小さく息を吸い込み、わたしの方を見る。

「あっ…あの、ミョウジさん、」
「ん?」
「今日さ……映画のあと、さ」
”チンッ”という軽薄な音を立ててエレベーターが止まる。
「良かったら………俺の家に来ない?」
ドアが開く。映画館特有のざわめき、子どもたちのはしゃぐ声、映画予告のナレーションなど、さまざまな音が耳に飛び込んできた。
「……行く」
そんな中、聞こえるか聞こえないかというくらいのボリュームで返事をする。けれど、それはしっかりと我妻くんの耳に届いていたようだ。我妻くんは再びわたしの手を強く握ると、その腕をルンルンと振りながらチケットの係員が立っている映画館入口へと歩いて行く。そんな彼に手を引かれながら、この後のことを考えると集中して映画を観れないかもな……と密かに苦笑いをした。



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