ある幼馴染の一生

※現パロ



どう考えてもやみそうにない、この雨―――。
本屋に入店したときは、たしかに外は晴れていたのに。目的の参考書を購入し、さぁ帰ろうと自動ドアの前に立ったら、外は数分前とはまったく異なった景色になっていた。ドアが開いた瞬間、強い風と共に細かな水滴がわたしの顔に降りかかる。慌てて踵を返し、店内に逆戻り。すると、空いた自動ドアを見てこりゃ幸いとばかりに、濡れた2人の女子学生が店内に飛び込んできた。見たことのない制服なので、キメツ学園の生徒ではないらしい。
「本屋に傘って売ってるっけ?」
雨水と風で乱された髪を大雑把に整えながら、女子の一人が言った。
「店員さんに聞いてみる?」
笑ながらそう言ったもう一人の女子は、鞄の中から大きめのタオルを取り出す。そんな彼女たち越しに、わたしはぼんやりと自動ドアの外の世界を見つめた。


数分後、雨脚はだいぶ弱まったように思えた。いつの間にかあの女子2人も店を出て行ったようだ。意を決して外に出てみる。外は霧雨のような細かな雨が降り続いていた。
「こういうのが一番濡れるんだよなぁ…」
無意識にぼやきが口を突いて出る。わたしは心ばかりの軒先の下で雨の粒子を目で追った。これ以上店の中で雨宿りをするつもりはなかったし、かといってこの霧雨に身を包まれながら自宅に帰る決心もつかないので、わたしは情けない顔で肩を落としていた。

傘を差した道行く人々をぼうっと眺めていると、透明なビニール傘を差した一人の学生がこちらを見た。その学生は少しだけ歩みを進めた後、なぜか立ち止まる。そして方向転換をし、まっすぐこちらに向かって歩いてくるではないか。
え?なに、変な人?と警戒心を覚えつつその学生をじっと見つめていると、なんだか見覚えのあるような人物に思えてくる。……いや。思えてくる……というか、完全に知り合いだった。

「……なにやってんの、こんなとこで」
不愉快そうに眉をしかめながら、上目遣いでこちらを伺うのは我妻善逸。切っても切れないような腐れ縁の、わたしの幼馴染だ。
「別に。本、買っただけ」
負けじとわたしも睨みをきかせながら、そう答える。
「ふぅん。お前って、本を買ったあとに本屋の前でたそがれるのが趣味なんだ?」
善逸は生意気にもそんな皮肉を吹っかけてくる。あーあ、昔は可愛かったのになぁ…と、その特徴的な金髪や細められたべっこう色の瞳を見ながら、溜息を吐く。
「ええ、そうだけど?別にあんたに関係ないでしょ」
語気を強めながらそう返すと、なぜか善逸も小さく溜息をついた。

いつからこんな憎まれ口を叩くような関係になったんだっけ、なんて考えても思い出せない。昔からこんな関係だったようにも思えるし、高校に上がって以降、こんな風になってしまった気もする。それが寂しくもあり、しかし今さらどうやって仲良くなればいいのかなんて全然分からない。


「………いくよ」
彼はボソリとそう言うと、わたしの方にビニール傘を掲げる。
「……は?」
「早く入ってよ、俺が濡れちゃうでしょ!」
「え?なに、あんた……」
「んもーーーー!!!」
善逸は乱暴にわたしの腕を掴むと、無理矢理傘の中に入れる。そしてその手を離し、何事もなかったかのように雨の中を歩き出した。呆然と立ち尽くしていては、たちまち濡れ鼠になってしまうので、慌てて彼の歩調に合わせてわたしも歩き出す。

肩と肩が何度も触れる。善逸とこんなに至近距離で過ごすのは、いつぶりだろう、と考えてしまう自分がいた。あんなに小さかった善逸は、いつの間にかわたしより大きくなり、心なしか筋肉もついたように思う。そういえば、剣道部員なんだっけ。試合は…一度も見たことないけど。

「あの………」
「なに」
つっけんどんな善逸の返事に若干苛立ちを覚えるも、ここは怒らないであげる。だって、結果的に傘に入れてもらっているわけだし。それに善逸とは家が近いから、彼と一緒に帰るということは、家まで濡れないで済むということでもある。
「ありがと、ね……傘」
わたしがボソボソとお礼を言うと、ギョッとしたように善逸がこちらを見た。そして、わたしたちはお互いの顔がすぐそこにあることに驚き、同時に顔を逸らした。

「え、なにお前、お腹でも痛いの?!俺に素直にお礼言うとか、えっ……だ、大丈夫?」
「はぁ?!人がせっかっく感謝してるっていうのに、なんなのその言い方!」
「いや、だって……こんなの当たり前のことでしょ。別に、改まってお礼とかいらないし…」
横断歩道が赤になったので、わたしたちは歩みを止めた。口を閉じると、シトシトという雨音が際立つような気がする。

「当たり前、なの?」
「え?」
「……なんでもない」
青信号になったので、わたしが先に足を踏み出す。すると傘を持った善逸が慌ててわたしの後を追い、肩を並べる。
「当たり前、だよ。ナマエの面倒は、俺が見なくちゃ」
「幼馴染だから?」
「そう」
「……なんか、善逸のくせに生意気。昔はわたしが面倒見てあげてたのに」
「はいはい、そうだね。アリガトね、ナマエチャン」
腹が立ったので、善逸の腕をつねってやる。彼は「痛い、痛い!!」と大げさに騒いだけれど、笑っていた。

+++

閑静な住宅街に入る。あの角を曲がれば、もうわたしの家だ。そして、その数軒隣に善逸の家がある。
「ねぇ」
「ん?」
「善逸は、いつまでわたしの面倒を見てくれるの?」
雨粒が顔にかかった。見上げると頭上に傘がない。振り返ると、善逸が目を丸くして立ち止まっていた。

「ちょっと、ぜんい……」
「…………一生」
「…え?」
「だ、だから、」
善逸はなぜか怒ったような顔でこちらにやってくる。
「い、一生見てやるって言ってんの!お前の面倒を!」
「え、い、一生……?」
「お、俺がいないとさ、お前ってすぐ失敗したりするからさ!ほら、小2の夏休みのときもそうだったでしょ?自由研究でお前が蝉の標本作りたいって言ったからついていったら……」
「……標本?」
「はぁあ?!なんで覚えてないの?!あのとき俺、虫嫌いなのに必死で頑張ったんだから!じゃあ、小4のときはのことは?お前、ドッジボールで怪我したでしょ?それを俺が保健室に……」
「あー……そんなこともあった気が…」
「じゃあ、小6の家庭科のときのは?!包丁で指切ったの、あれはさすがに覚えてるでしょ?!」
「覚えてるけど……」
どれも古すぎない?という言葉はどうにか飲み込んだ。それよりも、そんなことをいちいち覚えている善逸に驚いたからだ。
「いやだからね、俺がいないとね、ダメなのよお前は!ていうか心配なの!心配だし……その、俺……俺超優しいからさ!!うん、俺優しいの、だ、だからこれからもお前の面倒見てあげるって、そう言ってんの!!」
なぜか最後は自棄になったような口調で捲し立てた善逸は、頬を紅潮させ肩で息をしている。


「あ、」
「なに?!」
「雨、やんでるかも」
わたしにつられて、善逸も空を見上げる。切れ切れになった重い雲の隙間から、オレンジ色の夕日がほのかに差し込んでいる。善逸は黙ってビニール傘を閉じた。わたしたちの間には、なぜだか気まずい沈黙が漂っている。

「えっと、じゃあ、その……」
「………」
善逸は拗ねたようにアスファルトを見つめている。そんな彼が可愛いと思った。そうだ。わたしの幼馴染は、馬鹿なほどお人好しで、呆れるほど素直で、可愛い奴なんだ。そう思うと、素直に言葉が紡ぎだせるような気がした。
「一生、よろしくお願いします」
「……へ?」
「え?だって、善逸がそう言ったんじゃん。一生わたしの面倒見るって」
「そ、そうだけど……」
「うん、だからよろしくね」
善逸は目をパチクリさせながら、穴が開きそうなほどじっとわたしを見つめている。そんな目で見られると、「一生よろしく」だなんて言った自分が恥ずかしくなってきてしまった。だから最後に「傘ありがとう」とだけ言うと走って角を曲がり、すぐそこにある自分の家に逃げ込んだ。

+++

その日の夜遅く、久しぶりに善逸からスマホのメッセージが届いた。

『今度、久しぶりにナマエの部屋に行ってもいい?』

メッセージを見た瞬間、わたしはスマホを落としそうになる。だってその一行だけのメッセージは、わたしたちの”一生”の関係のはじまりを意味しているような気がして、ひどくドキドキしてしまったからだ。


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