宇宙規模の考察

任務を終えた帰り道、急な夕立に遭った。どんどん激しさを増す雨に、わたしと善逸は慌てて走り出す。
「あそこで雨宿りができそう!急ごう、ナマエ!」
善逸が指さす先には、こぢんまりとした地蔵堂があった。

それは、お地蔵さん一体が祭られるにしては大きい地蔵堂ではあったが、2人の人間が入るとなると狭い。わたしたちはお地蔵さんに手を合わせると、肩を寄せ合い地蔵堂の軒下に入った。
「まさか、こんな大雨に降られるとはね…」
わたしが苦笑いすると、「時期に止むと思うけど、まいっちゃうねぇ」と善逸も困ったように笑った。

今日は同期である善逸と2人での任務だった。久しぶりに会った善逸は、以前にも増して剣技に磨きがかかっており、あっという間に鬼の頸を切ってくれた。正直、今回の任務は彼一人でも問題なかっただろう。しかし、善逸は優しい男なので「お前のおかげで鬼の頸を切れたよ、ありがとう!」と言葉をかけてくれるのだった。


わたしは善逸が好きだった。随分と長いあいだ、片想いをしている。しかし、そんな自分の気持ちを彼に伝えるつもりは毛頭ない。なぜなら、善逸にとってわたしは気の置けない”同期仲間”の一人だからだ。
善逸は生粋の女好きだが、わたしが善逸にとっての「異性」になることはない。その証拠に、善逸はわたしを口説くようなことはしない。ほかの女性にするような気遣いもない。わたしは彼の「仲間」であって「異性」ではないのだ。
だからこそ、善逸はいつも気軽に接してくれるし、自分の弱さも強さも、あけっぴろげに見せてくれる。それが嬉しい反面、寂さもある。だからといって、わたしが「仲間」としての自分を拒否し、無理矢理、善逸の「異性」の枠に入ってしまうと、そんな善逸の顔は見れなくなってしまうだろう。それは嫌だ。だから、わたしは今のままでいい。善逸がほかの女性の話をしたり、町娘に目を奪われるようなことがあっても、わたしは笑っていればいいのだ。「善逸って、本当にだらしないね」と笑い飛ばせばいいのだ。

「ナマエ?」
名前を呼ばれ、我に返る。善逸が心配そうにわたしの顔をのぞきこんでいた。いつの間にか考え込んでいたようだ。
「ごめんごめん、ちょっとボーッとしてた。任務で疲れてたのかな」
どうってことないんだよと、できるだけ元気に笑って見せる。本当にどうってことはないのだ。わたしは大丈夫なのだ。
「そう?なんか…」
「なに?」
「ん、なんでもない」
善逸はプイと顔を正面に戻した。

善逸は”耳”がいい。わたしが考え事をしたり、悩んでいたりすると、それを”音”として敏感に聞きとってしまう。だから、わたしは自分の気持ちを隠すことが随分とうまくなった。感情を顔に出さず、笑顔をまとえるようになった。頭の中でも、それらを隠せるようになった。それは悲しいことだろうか?いや、善逸と少しでも長く一緒にいるためには、必要なことだ。だから少しも悲しくない。


「あぁー……やっぱり、なんでもなくない」
相変わらず雨脚の強い曇天空を眺めていたかと思うと、善逸は突然そう口にした。わたしはよくわからず、「えぇ?なにがぁ?」とおどけた調子で返すも、わたしに顔を向けた善逸の表情は真剣だった。薄暗い地蔵堂の中でも明るさを放つ黄色い彼の髪から雫が落ちる。わたしはその雫を目で追い、俯いた。
「俺、怒ってるわけじゃないよ。それだけは本当、わかってね。だけどさ、言わせて。今日こそは言わせて」
善逸はまず前置きをすると、こう言った。
「お前さ、俺になにか隠してるね」
彼の目を見れない。けれど、言わなければ。違うよ、と。なんでもないよ、と。わたしは自分の濡れた足先を見ながら、笑う。
「どういうことよ。隠してることなんて、なにもないって」
「こっち見てよ、ナマエ」
わたしが軽くいなしても、善逸の態度は少しも変わらない。むしろ、その口調は怖いぐらいに真剣だった。わたしは意を決して、顔を上げる。先ほどと変わらず、まっすぐにわたしの目を見る善逸がいた。
「どうしたのさ、急に」
「急じゃないよ、ずっと思ってた。お前からは”嘘”の音がする、ずぅっとなにかを隠している音がする」
「人間は誰しも、秘密の1つや2つ、あるもんでしょう。あんたはそれを暴こうっていうの?」
「違う、そうじゃない!ナマエのこの音は、俺と一緒にいるときにしか聞こえないんだ」
善逸は少し苛立ったように言った。ああ、本気なんだな、本気でわたしの気持ちを見つけようとしているんだなと思った。
「ねぇ、お前はなにを考えてるの。なにを隠してるの」
まるで懇願するような口調だった。そんなに苦しそうな顔をしないでほしい。きっと善逸は、”隠し事”をするほどわたしがなにかに苦しんでいると思っているんだ。だから、それを助けたいのだろう。なんて優しい人。そういう人間だから、好きになったんだけど。でも今は、そういう善逸の優しさが、わたしをさらに苦しめる。

「教えたくない」
はっきりと、善逸の目を見て言った。もう作り笑いはしなかった。一瞬、彼の目が大きく見開かれる。
「でも…」
「わたしは満足してるの、今の状態がいい。だから放っておいて」
「ナマエ、俺は…」
「うるさいな、黙ってよ!善逸にはわからないことなんだよ。気にされる方が、余計に苦しい」
「ナマエ、」
「なに!?本当うるさいな、」
いつの間にか善逸がわたしの手首を掴んでいた。意味がわからず彼の目を見ると、動揺したように瞳が揺れていた。
「…音が、変わったよ」
「は?そんなわけないでしょう、わたしは…」
「なんだろう、これ、初めての音で…。でも、なんかくすぐったい音だ」
わたしはギョッとして、善逸に掴まれている手を払う。感情的になったがために、自分の気持ちを隠しきれていなかったのかもしれない。どんなに怒り散らしても、善逸が好きな気持ちに変わりはないからだ。

「ごめん、先帰るわ」
わたしは言うが否や地蔵堂を飛び出す。しかし、それよりも一瞬早く、善逸がわたしの腰に抱きついていた。
「ダメダメダメ!まだ雨降ってるでしょ!こんな大雨の中帰ったら風邪ひくって!!」
「うるさい!!帰らせて!」
「ダメ!絶っっ対ダメ!!だってまだ話も終わってない!!」
「あんたと話すことなんかない!!」
そんな言い合いをしても、結局善逸の馬鹿力で地蔵堂に引き戻されてしまう。2人ともずぶ濡れだが、そんなことなど気にならないかのように、善逸はわたしに話しかける。
「ナマエ、答えて。もしかしてなんだけど…」
「ちょっと、うるさいんだけど、黙ってくれない?!」
「黙らない!!俺、気づいたんだ、お前のその音、もしかして…」
「黙れ馬鹿!嫌い!善逸なんか大っ嫌い!!どっか行け!!」
しん……と地蔵堂内に静寂が訪れる。善逸はふるふると細かく震えていた。さすがに傷ついたのだろうか、と思うが、暗い地蔵堂の中ではその表情もわからない。
「お前さ…いくらなんでも、天邪鬼すぎでしょ」
「は…はぁ?」
「俺のことが嫌いって言いながら、そんな音出す?」
善逸は大きくため息をついて、両手で顔を覆う。
「俺、くすぐったすぎて倒れちゃいそうだったよ。だってさ、お前の音、もう言ってんじゃん。俺のこと超大好きだって」
わたしは貧血を起こしそうなほど、全身の血が引いてゆくのを感じた。今まで気持ちを隠してきた努力が、すべて水の泡だ。
「……ごめんなさい」
わたしの声はひどく掠れていて、今にも消え入りそうだった。善逸は両手を顔から離す。
「そうだよ、謝って」
「ごめん、なさい」
「なんでもっと早く言ってくれなかったの?なんで隠してたの?その時間無駄じゃない?世界一無駄な時間じゃない?俺だって一生懸命我慢してたんだよ?お前は俺のこと意識してくれないんだろうなって、諦めてたんだよ?諦める必要なかったってことでしょ?おいおいおい!これまでの無駄な時間返してくれない?俺悔しさと嬉しさでもう頭がどうにかなっちゃいそうだよ!!」
善逸は情けないほど、ふやけた表情だった。口調こそ怒っているが、眉と目じりは垂れ、にやけが止まらないといった様子だ。
「もうね、俺は許さない。ナマエのこと、絶っっ対に許さない。俺めちゃくちゃ傷ついたよ、うん。大っ嫌いとか言われて本当に傷ついた。だから、その傷をお前に一生かけて癒やしてもらう権利があると思う」
わたしが呆気にとられているうちに、話がどんどん膨らんでいく。善逸の頭は一体どんな思考回路になっているのだろうか?
「つまり、俺はお前をお嫁さんにしてもいい、そういうことになるよね?」
どういう考察をしたら、そういう結論になるんだ。わたしは呆れて笑ってしまう。
「あ、笑ったな!でもな、俺はもう決めたんだ」
善逸は近づき、わたしのおでこに自分のおでこを当てた。
「俺と結婚してもらうよ、ナマエ。……いいね?」
雨は激しく降り続いているが、善逸の心臓の音が、わたしにも聞こえてくるようだった。
「うん、わかった」
わたしは生まれてはじめて、善逸に自分の本当の言葉を伝えることができた。


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