嘘つきと正直者(前編)

我妻善逸は夕焼け空を横切る鴉の群れを見上げながら、細く長い溜息をついた。先ほどまでは血管がはち切れんばかりの怒りを覚えていたけれど、もうそうやって怒ることにも疲れた。むしろ、今は悲しい。悲しみと虚しさが刻一刻と善逸の胸を満たしていった。
「…やっぱり来なかった」
誰に聞かせるでもなく善逸はそう独り言ちる。それから重い脚を引きずりながら、彼は町を後にした。

貴重な非番の日を棒に振った。そんな虚しさから彼の顔は俯きがちになっていく。結果は初めから分かっていたことだ。いや、誰もがそれを分かっていた。彼女が善逸の誘いになど乗らないことを。彼の指定した待ち合わせ場所に来ることなど、絶対にないことを。それなのに、善逸は一縷の望みにかけて町へやってきてしまったのだ。そうして約5時間の待ちぼうけ。当然彼女が姿を現すことはなかった。

「ミョウジ?あれは辞めておいたほうがいいぞ」
「あいつ人当たりはいいけど、全然信用できねぇから」
「え?我妻ってまさか年上好き…?なら、なおさらやめとけって!いいように振り回され終わりだから」
「だってあいつ……めちゃくちゃ嘘つきだぞ」
彼女の評判を聞くと、男性隊士たちは口々にそう言った。当時は「俺の大事な想い人になんてこと言うんだ!」と怒っていた善逸だったが、今なら分かる。男性隊士たちの言っていたことが、本当だったと。
現に善逸は(ほとんど一方的に取り付けたとはいえ)約束を見事にすっぽかされている。そもそも、今日が非番だという情報さえも彼女の嘘かもしれない。一体俺は何をやっているんだと、膝から崩れ落ちそうになる自分を必死に奮い立たせながら、善逸は帰路をたどった。

「……弄ばれてんのかな」
再び善逸は独り言ちる。それから彼は、ゆるゆると首を振った。なぜなら、そもそも彼は彼女とまともに会話をしたことすらないからだ。弄ばれるほど二人は親しい間柄ではないし、彼女が善逸を弄ぶほど彼に興味があるかと言えば…それは絶対にNOだ。

でも俺は、ミョウジさんが悪い人には見えないんだけどなぁ―――そんな炭治郎の声が、善逸の頭の中によみがえる。それは、そう思う…と彼は一つ頷く。たしかに誰にも心を許していないし、誰にも関心を持っていないけれど、悪い人ではない。それは絶対だ。でも、だからって…それにしたって、
「いたいけな年下男子の恋心無下にするとか、酷すぎでしょ…」
そう言って善逸は突然、立ち止まる。そして、くるりと身をひるがえすともと来た道を全力で戻った。町に戻って、大量の団子を買ってやる、という魂胆だ。もう自棄だった。自棄食いすることぐらいしか、この虚しさを埋めるものがなかったのだ。

+++

翌日、偶然にも善逸と彼女は任務が重なった。しかも”二人きり”だ。こんな偶然滅多にない。善逸は嬉しさで顔がにやけるのを必死で抑えながら、足早に山道を登る彼女を追う。「今日はよろしくね」と微笑みかけてくれた彼女にときめいて、待ちぼうけをくらったことを一瞬忘れてしまった善逸だったが、足元の悪い山道を踏みしめるうちに、昨日のモヤモヤがよみがえってくる。そしてとうとう、その背中に言葉をかけてしまった。
「あ、あのぉ、ナマエさん…?」
「なに?鬼がいた?」
「えっ、あ、いや、鬼は別に…」
「そう、なら急ぎましょう」
彼女はいつも善逸に話す隙を与えない。彼はモヤモヤを腹に抱えたまま、大人しく彼女の後を追った。話すのは鬼を倒してからでもいいからだ。

剣技に関していえば、その実力は善逸の方が上だ。しかし、彼女の方が現場経験がある。鬼に対する立ち回りや、急所を探し当てる能力には長けていた。だから、先に鬼を見つけ出したのは彼女だった。二人は相談をするでもなく左右に分かれ、鬼の攻撃を分散させる。そうして鬼をいなしながら、交互に攻撃を繰り出した。
大きな攻撃をするのは善逸の方、その補佐役にまわるのが彼女だった。戦闘中に考え事をするなんて危険極まりないのだが、善逸はあまりの自分たちの”阿吽の呼吸加減”に感動していた。彼女は前世で自分の伴侶だったのではないか、でなければ、こんな息ピッタリの戦闘は実現できないだろうと、感動を覚えたのだ。そうして最終的に善逸が鬼の頸をはね、大きな被害を出すことなく任務は終了した。


「じゃ、お疲れさま」
いまだ、素晴らしい連携の取れた戦いの余韻に浸っている善逸に、彼女はあっさりと別れを告げる。我に返った善逸は慌てて彼女の腕を掴んだ。
「待って!ちょっと話を…」
「いッ…」
善逸の手を振り払いながら、彼女は思いきり顔をしかめた。それからハッとしたように善逸の顔を見る。
「あっ…ご、ごめん、なに?」
繕ったような笑みに、今度は善逸の方が眉を潜める。
「もしかして、怪我…してます?」
「してないよ、べつに」
善逸は納得いかない、といった顔で再び手を伸ばす。それをするりと避けながら、彼女はまた曖昧な笑みを浮かべた。
「あのー…そういう嘘は辞めた方がいいと…思いますケド」
「嘘っていうか、本当に大したことないから」
「……ふーん?」
その瞬間、善逸はもう一度彼女の腕を取った。腕を取る、といっても、腕を軽く手で包み込むくらいの強さだ。それなのに、彼女は小さく悲鳴を上げそのまま尻餅をついた。
「えーっと……ナマエさんさぁ、」
「………」
「腕、折れてますよね?」
善逸の問いに嘘で返すほど、彼女に体力は残っていなかったようだ。

+++

「大丈夫」
「大丈夫じゃない」
「大丈夫だから」
「いいや、大丈夫じゃないね」
「だから……だい、」
「じょーぶじゃないでしょーが!!!ほら行くよ!!」
そう言って善逸は、半ば無理矢理に彼女の折れていない方の腕を自分の肩にかけた。そして、どさくさに紛れて彼女の腰にも手を回す。腕が折れたままの状態でこの険しい山道を下るのは危険だ。そう思って、彼女を介助してあげるという親切心半分。もう半分はもちろん”下心”だ。どんな状況であれ彼女に触れられるのなら、その機会を逃さない手はない。
「こんなことしなくても、一人で降りれるよ」
「あーはいはい、いいから行くよ」
不服そうな顔をしたままだったが、最終的に彼女は渋々という調子に善逸に従った。

はじめの一歩を踏み出した時点で、彼女は足を滑らせた。思わず抱きしめるように彼女を引き寄せる。おかげで、彼女がそのまま山道を転がっていくのを阻止できた。
「ほ、ほらね?!俺の言うとおりでしょ?この急な山道一人で下ろうとか、本当無茶すぎるから!」
「…ありがとう。で、早く離してくれない?」
いつもにこやかな彼女が冷ややかな視線を送ると、善逸は慌てて体を離し、先ほどのように腰に手を回した。そうして二人はゆっくり、確実に山道を下っていく。

「…ナマエさん」
10分ほど黙々と山道を下ったのち、突然善逸が口を開いた。
「なんで昨日、来てくれなかったの」
しっかりと前を見据えたまま、善逸がそう尋ねる。極力感情を出さないようにと気をつけたつもりだが、どうも恨めし気な調子がこもってしまう。そんな善逸に倣うように、彼女も前を向いたまま答えた。
「昨日?なにか約束、してたっけ」
その瞬間、善逸はキッと隣の彼女を睨みつける。
「約束したでしょ!非番だって言うから、だから一緒に出かけようって、待ち合わせ場所まで決めて!いいよって言ってくれたから、俺、ずっと楽しみにしてたのに……!!」
彼の剣幕に一瞬驚いた彼女だったが、すまし顔を決め込む。
「5時間!!俺、5時間も待ったんだよ?!ナマエさんのこと、一人で……俺…、マジで馬鹿みたい……」
彼女は平たい声で「へぇ、5時間……すごいね」と返す。そんな彼女の様子に、善逸はいよいよ頭に血が昇った。

「あのさぁ、悪いとか思わないわけ?!人のことそうやって、傷つけて…あんたには罪悪感ってもんがないの?!」
「あるわけないでしょ、じゃなきゃ君に嘘をつかない」
「はぁあ?!嘘つきの自覚があるってことですか?!あぁそう、あんた大層なお人だな!人のことおちょくるのが趣味ってことか!」
「どう感じるかは勝手だけど、わたしは誰に対しても平等なつもり。平等に嘘をついているだけ」
飄々と言ってのける彼女に、善逸は閉口する。それから「嘘だ」と呟いた。
「俺は知ってる。あんたが男にしか嘘をつかないってこと。だって、女子たちからあんたの悪い評判聞いたことないもの」
今度は彼女が黙る番だった。サクサクと落ち葉を踏みしめ、砂利が転がる音だけが二人を包む。山道はだいぶ緩やかになり、もう彼女が足を滑らせる危険もほとんどなかった。

「ねぇ、何でそんなことすんの?」
眼前に道が拓け、ようやく山道の終わりが見えてきたとき、善逸がそう尋ねた。同時に彼は、こうやって体を密着させられるのもこれで終わりか、とやや残念な思いを胸に抱く。
――その瞬間、彼女は思いきり善逸を突き飛ばした。

「イッッてぇーー!!」
入り組んだ木の根に思いきり頭をぶつけ、地面に転がった善逸が大声を上げる。その声に驚いた野鳥たちが、バサバサと羽音を立てて逃げていった。そんな彼を見下ろしながら、「介助ご苦労様」と彼女は言った。張り付けたような笑顔で。
「暴力反対!あと、その変な笑顔もナシ!!」
善逸の言葉に、彼女の顔から笑顔が消えた。わずかに首を傾け、目を細める。そんな剣呑な空気をまとった彼女は、普段仲間たちと歓談にふける姿からは程遠かった。
「君にとやかく言われる筋合いはない」
感情のこもっていないその声に善逸は背筋がゾクリとしたが、嫌悪感は一切なかった。むしろ、やっと本当の顔を見せてくれたと喜びすら感じたくらいだ。

「お、俺は、それでいいと…思うけど」
「はぁ?」
「だから、そういう風にしてればいいじゃん!無理に愛想よくして、変な嘘ついて、そんな風にして周りと距離を取らなくても……」
「うるさい!」
そう一言吐き捨てると、彼女は善逸を置いて山道を駆けて行ってしまった。その後ろ姿はまだどことなく危なっかしい。急いで後を追ってもよかったが、また冷たい言葉を浴びせられるだろうからと善逸は諦めた。

それにしても、と善逸は考える。小馬鹿にするような言葉をかけられ、突き飛ばされても、自分は彼女を嫌いになれない。むしろ、ますます彼女のことが気になってしまう。表情をなくした瞳の奥はどこかおどおどとしており、もしかしたら彼女はひどく不器用な人間なんじゃないかと思ってしまう。
しかし、考えているだけでは始まらない。善逸は体を起こすと、隊服についた落ち葉や土を払う。彼女はきっと骨折の治療を受けに蝶屋敷に向かったはずだ。無傷の彼には用のない場所だが、とりあえず善逸は彼女の後を追うことにした。



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