嘘つきと正直者(中編)

善逸が蝶屋敷でナマエの居場所を尋ねると、誰もが「彼女はこの屋敷にいない」と言った。そのきっぱりとした口調はどこか不自然で、中には目を泳がせる者もいる。明らかに”嘘”をついているのだ。

「ねぇ、いい加減教えてくれたっていいでしょ?俺はただ純粋に彼女のお見舞いに来ただけで…」
絶対に口を割ってもらえないというのに、なおも食い下がる善逸に困り果てるのは、この屋敷の看護師・きよ。か細い声で「いません、ナマエはいません」と繰り返していると、薬草を入れたすり鉢やら、粉薬やらが載った盆を手にしたアオイが現れた。
「…あら、あなた」
善逸を見たアオイはぎゅっと眉を中央に寄せる。声には刺々しさがこもっていた。それから彼女はその盆をキヨに渡すと「ナマエさんの部屋へ」と本当に小さな声で囁いた。

しかし、それはアオイの失敗であった。ピクリと片眉を動かした善逸は、きよとアオイの方へ一歩踏み出す。いつもなら可愛らしい女子を前に鼻の下を伸ばす善逸だったが、今はなかなか目的を果たせないことに苛立ちを隠せない。そんなただならぬ善逸の雰囲気にギョッとした女子二人は同時に身を寄せ合った。
「ねぇ、今”ナマエさん”って言ったよね」
「は、はい?そんなこと一言も言っていませんが」
アオイは努めて平静を装ったが、小声とはいえ自分がナマエの名を口にしてしまったことを激しく後悔した。
「俺の耳を舐めないでよ、この距離で俺がアオイちゃんの声を聞き逃すはずがない。だから教えてよ、ここにいるんでしょ?ナマエさんが」
しかし、そうして善逸が凄むよりも彼女たちが逃げ出す方が速かった。まさか逃げるという手段を取られると思っていなかった善逸は呆気に取られ、ついには求める情報を手にすることができなかった。


仕方なく善逸は、蝶屋敷の病室一つひとつ見て回ることにした。面倒な奴に会わなければいいけど…と、ぶつくさ文句を垂れながらまず一つ目の病室の戸を開けると、そこには隠(かくし)の男性と話をしている音柱・宇髄天元がいた。
「げ」
善逸の想いがそのまま口から洩れる。そんな反応をされては宇髄も黙っていない。大股で近寄ってくると、むんずと善逸の肩を掴んだ。
「よぉ。どこにも怪我をしてねぇお前さんがここに何の用だ?それとも頭でも打ったか?」
咄嗟に「何でもない」と言おうとした善逸だったが、直前で心変わりをし「人探しだよ」とぶっきらぼうに言った。
「はぁ?お前が人探し?なんだ、女か?」
「…まあ、そうですけど。ここにいるはずなのに、誰も居場所を教えてくれないんだ」
「ははぁん、どいつのことか、何となく想像がつくな」
宇髄は楽し気に目を細めると、自身の顎をゆっくりと撫でた。
「ミョウジのことだな?ただ、悪いことは言わねぇから、あいつのことは深追いするな」
「はぁ?!あんたまでそんなこと言うの?!」
まさか、宇髄からそんな言葉が出てくると思わなかった善逸は思わず声を荒げる。
「言っておくが俺は、お前のために忠告しているんじゃねぇ。ミョウジに迷惑をかけてやるな、って言ってんだ」
「何それ、意味わかんないんですけど…」
「まあ実際、あいつを深追いしたせいで痛い目に遭った奴はいたけどな」
宇髄は今度は優し気に善逸の肩を叩く。
「諦めろ、お前は絶対にミョウジと仲良くできない」
その瞬間、善逸は宇髄の手を振り払った。彼はナマエが絡むと妙に怒りっぽくなってしまうようで、なおもニヤけ面で見下ろす宇髄を睨みつける。

「だったらその理由を教えろよ!こっちはまともな会話もしてもらえず、一方的に嫌われて参ってんだよ!」
「理由を知ったところで、お前らの関係はどうにもならんと思うけどな」
「それはあんたが決めることじゃないだろ!」
宇髄は思案するような顔で腕を組んだ。からかい半分でかけた言葉に、思いのほか反応を示した善逸が意外に思えたのだ。それから宇髄は先に立って部屋を出る。
「来い、外で話すぞ」
善逸も黙ってそれに従った。

+++

「ミョウジと俺は入隊時期が近い。といってもあいつは俺よりも年下だし、あのときは今よりもっと上背がない小娘だった。当時は女の隊士も少なく、かなり目立っていたが、その心意気だけは他の隊士に負けないものがあったな。真面目で、誠実で、人当たりもいい。あいつは誰にでも可愛がられてたよ」
宇髄は屋敷の庭先にある小石を、器用に足先で操っていた。ぽーん、ぽーんと爪先で石を蹴り上げる。そんな石を見つめながら、善逸は宇髄の話に耳を傾けていた。
「そんな風な人間だから、あいつは見る見るうちに腕を上げていった。腕力はないが、それを補う器用さや素早さがあったからな。あのとき俺も、強い隊士ってのは男も女も関係ねぇって思ったぜ」
そこで言葉を切った宇髄は小石を蹴り上げるのを辞める。その視線は遠くの茂った緑を見ていた。
「ただなぁ、そういう力のある人間……特に女を舐めてかかる輩ってのは一定数いるわけで。昔の鬼殺隊にはそういう奴も少なくなかったんだよ。男の方が上だ、女は一歩後ろを歩け、さもなくば力でねじ伏せるっつー、どうしようもねぇ馬鹿がよぉ」
善逸はハッとして宇髄の顔を見上げる。
「まさか、ナマエさんはその馬鹿たちに…」
「そ、やりあっちゃったってわけ」
宇髄はそう言って長い溜息を吐いた。しかし、善逸はと言うとその先の話が聞きたくてたまらない。

「やりあった、って…どういうことだよ。ナマエさんは、痛めつけられたのか。それとも、その…」
「ん、あぁ……まあ、たしかに、当時は女を食いもんにしようとする奴らもいたよ。だが、ミョウジが入隊してからはそういう奴らが一掃された」
「っだから、俺が聞きたいのはそういうことじゃなくて…!」
「…ミョウジが乱暴をされかけたってのは聞いたことがある。ただ、ミョウジを襲った隊士は返り討ちにされて逃げ出したそうだ」
「未遂…ってことか」
「ミョウジが今みたいになったのは、その時のことが原因らしい。あれからミョウジは自分をさらに追い込み、強くなった。そしてその強さを使って鬼殺隊の女たちを守り、男共を見下すようになった…って、まあそういうことだ」
「…………」
言葉を紡げずにいる善逸を見て、宇髄は小さく笑う。
「どうだ?あいつは恐ろしい女だろ。でも俺は、あいつを責めようとは思わねぇ。悪いのは俺たち男だったからなぁ」
「…でもそれって、結果的に自分の首を絞め続けるってことでしょ」
「だとしたら?それでも俺たちがあいつにできることはねーだろ」
苛立ちを隠さない善逸を見て、宇髄は今度は困ったように笑う。しかしそれが善逸をますます苛立たせた。
「なんだよ…それ。じゃあなに、ナマエさんはそうやって一生自分を縛って、苦しみ続けなきゃいけないし、ナマエさんに惚れた男は一生想いが報われないわけ?それ、おかしいよ。なんで誰も救ってあげないんだよ」
「じゃあお前は救えるのかよ」
宇髄の目は冷静で、その声色はとても落ち着いていた。そんな彼を睨みつける善逸の頬は上気し、その目は怒りと悲しさでたぎっている。そうして彼は大きな声でこう言った。
「当たり前だろ!!」

+++

コンコン、と遠慮がちに戸が叩かれる。寝台の上でぼんやりと外を眺めていたナマエは「はい」と答えた。その声には眠気が含まれており、どうやらそれは先ほど飲み下した痛み止め薬の副作用らしい。戸に向けられた眠たげな目は、入室してきた者を捉えるや否や大きく見開かれる。しかし、瞬時に”いつもの目”に戻った。にこやかで、表情の読めない、いつもの目に。
「いらっしゃい」
ナマエからかけられた言葉に反応せず、善逸は真っすぐに寝台のもとまでやって来た。それからそばにあった丸椅子にどっかりと座り、恨めし気な目でナマエを睨む。
「俺がここにたどり着くまでに、どれだけ苦労したか知らないでしょ」
「そうね、想像もつかない」
「…俺に居場所を漏らすなって周りに頼んだくせに」
あまりの不貞腐れ具合に、ナマエは笑いそうになるが、表情を変えないようにと目元に力を入れる。そんな彼女の表情の変化を敏感に察知した善逸は、おずおずと口を開いた。

「あの、さ。こんなこと言うと、何様?って思われるかもしれないけど…」
善逸は膝の上で作った拳をもう一度強く握り直す。
「俺の前では、無理にその顔しなくていいから」
このとき、善逸は初めてナマエの素の表情を見た。
ポカンとした顔の彼女に繕った表情はなく、わずかに幼さが浮かんでいるように思える。しかし、マジマジと自分の顔を見ている善逸に気づいた彼女は慌てて顔を逸らし、不機嫌そうに顔をしかめた。それから意地悪な笑みを浮かべて、鼻で笑う。
「なにそれ、まさかわたしを口説いているつもり?」
善逸は一瞬にして顔が真っ赤になる。言われてみればそうだ。なぜ自分はあんなくさい台詞を言ってのけたんだろう。だが、羞恥心はあっても後悔はなかった。だから、善逸は真っ赤な顔で胸を張ると、
「そうですけど?!」
と言う。堂々と言ったつもりだったが、「ど」の部分が情けなく裏返ってしまった。ところが、予想に反して効果はてきめん。からかい文句を堂々と認める善逸に、ナマエは大いに面食らった。

ナマエの表情は再び”素”に近いものに戻る。その目は、あの山道で見せたときのようなおどおどとしたものだ。男である俺に、不安を感じているんだ――と善逸は思った。
「あ、あの、俺、俺ね?!こう見えてけっこう硬派だし、その、同意なしに迫ったりとかしないし、それに…ほんとに、ノリで口説いてるってわけじゃなくて…ええと、だから」
彼女を安心させるため、自分が誠実な人間であると主張したいのに、口から出てくるのは容量を得ない言葉ばかり。しかしながら、それがまったく伝わっていないというわけではないようで、ナマエの目はいまだに不安げではあったものの、彼女は小さく深呼吸をしてくれたのだった。

「もう疲れたから、今日は帰って」
やがて善逸にかけられたのは、そんな素っ気ない言葉だった。その言葉に従い腰を上げた彼だったが、
「今日は、ってことは、また来ても良いってこと?」
と要らぬ一言を挟んでしまう。彼女はこれ以上ないほど面倒くさそうな顔をしている。それも善逸が初めて見る表情だ。新しい彼女の一面を垣間見れたことに、彼の胸は喜びで膨らんでいく。しかし、その喜びを一瞬で打ち消すような言葉がひとつ。
「揚げ足取る奴って嫌い」
善逸は即座に背筋を正すと、やって来たときと同じようにまっすぐに出口へ向かった。部屋を出るとき、「お大事に」と彼は声をかける。返事はなく、彼女が布団にもぐり込む布擦れの音だけが聞こえた。


拍手