正しい恋愛





大学に入学して感じたのは、大学は思ったより”人付き合い”の場面があるということ。講義によってはグループワークを行なうこともあるし、研究室に所属すれば教授や先輩との関わり合いも出てくる。当然、サークルや部活に入ればコミュニティはもっと広がるだろう。
もともとわたしは、入学前から取りたい資格と、進みたい進路が決まっていた。だから、大学に入ったからといって華々しい大学生活をエンジョイするつもりは毛頭なく、サークルや部活といった場にも所属することはなかった。わたしの生活は、主に大学と独り暮らしの小さな部屋との往復。それ以外に出向く場所といえば、隣駅にあるアルバイト先くらいだろうか。他人から見ればずいぶん淡白な生活に思えるかもしれないが、わたしは十分満足していたし、むしろ2回生に進学してからは「こういう生活を選んで正解だった」と強く実感することになる。

というのも、2回生になってからわたしに恋人ができたのだ。この恋人が大変嫉妬深い男で、最低限の人間としか接触していない生活だと何度説明しても、彼はいつもわたしの心移りを心配しヤキモキしていた。

…いや、本当のことを言うと「最低限の人間としか接触していない生活」というのは少し言い過ぎかもしれない。2回生に上がってから、わたしはなぜか同じ講義を取る何名かの学生たちに、よく声をかけられるようになった。声をかけてくる彼・彼女らは5〜6名のグループでいつも講義を受けており、どうやらそのコミュニティにわたしを招き入れたいらしい。興味を持たれることに悪い気はしなかったので、連絡先を交換するのに抵抗はなかった。都合が合えば、彼らと昼食を取ることもあったけれど、わたしから彼らに接触を試みたり、食事に誘ったりすることはなかった。だが、彼らが親しみを持ってわたしの生活に入り込んできたのは、まぎれもない事実だった。

そんな彼らに、わたしは恋人の存在を明かしていない。それは、彼らに恋人の有無を聞かれなかったから答えていない、というのもあるけれど、この恋人が少々特殊な人間なので気軽に存在を明かしづらかったのだ。
まず恋人は、呪術師という役割を担う人物である。呪術高専に所属し、日々「呪いを払うこと」を生業としており、その呪いを祓うために、外国へ渡ることもあるのだとか。

あるとき、ひょんなことをきっかけにわたしは彼が呪いを祓う場面に遭遇した。(これが、交際のきっかけにもなった)だから、間違いなく「呪い」が存在していることを知っているけれど、普通の人間には信じがたい事実だろう。「呪いってものがあってね…」変にそんな話をすれば、オカルト系に造詣が深いやつだと思われかねない。

それに、恋人はわたしよりも3つ年下だった。周りの学生たちは同学年、または先輩と交際をする人間がほとんどであるため、年下の高専生と付き合っている…というのは少し言いづらい。存在を明かせば、間違いなく交際のきっかけを聞かれるだろうし、呪いの説明をイチからするのもごめんだった。だから、わたしは自ら恋人の存在を明かすことはなかったのだ。

***

それは、いつも通りの昼休みのことだった。講義を終えたわたしは、そそくさと食堂のテラス席へと向かう。その日は天気が良く、外で昼食を取るのにぴったりだったのだ。
白い丸テーブルがあるテラス席にたどり着いたわたしは、リュックからサンドウィッチやコーヒーを取り出す。今日はあまり混んでいないので、昼食後はこの場所で課題のレポートを進めてもいいかもしれない。そんなことを考えながらサンドウィッチが包まれた薄いフィルムを剥がしていると、弾んだような声で名前を呼ばれた。

「いたいた、ミョウジさん」
小走りでやってきたのは、先ほどまで一緒の講義を受けていた2人の男女学生。例の、最近わたしに声をかけてくれる人たちだ。わたしはいまだに彼らを”友人”と呼んでいいのか分からずにいるけれど、相手はもうずいぶんわたしを気に入ってくれているらしい。
「どうしたの?」
「実は、ちょっと相談したいことがあってさ。あ、ここ座ってもいい?」
「うん、どうぞ」
可愛らしい顔をした女子と、痩身で優男風の男子が、それぞれ空いた席に座る。

「あのさ、ミョウジさんって今日の夜空いてる?」
と、まずは男子。要件を言わずに予定だけ聞かれるときは、大体面倒な用事と相場は決まっている。が、一応今日はバイトもないので「空いてるよ」と答えると、2人は嬉しそうに顔を見合わせた。
「本当?!実は今日ね、先輩主催の飲み会があって…ぜひミョウジさんを誘いたいなって思ったの」
「結構大きい場所を借りてくれてるみたいでさ、誘いたい子いたらドンドン声かけてって言われてたんだ。で、俺らの中で誘いたい人ナンバーワンだったのがミョウジさん!」
「ね、来てくれない?絶対楽しいから!」
2人が期待に満ちた目でわたしを見つめるので一瞬答えに窮するも、「あの、場所はどこで?」とまずは当たり障りのない質問でつなげる。

わたしの質問に感じよく答えてくれる彼らだったが、本当のところ、そんな大人数で開催される飲み会にはいきたくなかった。しかし、わたしは案外押しに弱いのである。そして何より親しみを抱いてくれている相手からの誘いは、断りにくかった。今回はあっさり予定がないことを明かしてしまったけれど、次に何か誘いがあったときは、まずはどんな内容か聞こう、だから今回ばかりは参加しようと無理矢理に自分を納得させ、わたしは飲み会への参加を決意した。


――本日最後の講義が終わったころ、恋人から連絡が入る。彼はわたしの授業やバイトのスケジュールを正確に把握しており(彼が望んだから、シフトなどを教えてあげただけだけど…)、迷惑にならないタイミングでの連絡を心掛けているらしい。
メッセージは「講義お疲れ様!今日はまっすぐ帰るの?」といった内容。まっすぐ帰るかどうかと言えば、帰らない、が正しい。しかし、急な誘いとはいえ”飲み会に参加する”と彼に伝えるのは少々はばかられた。

なぜなら、この嫉妬深く心配性な恋人には、その飲み会がどんな場所で開かれれる、どんな目的の、どんな人物がやってくる催しなのか、正確に伝えなければならないからだ。正しい情報を渡さないと、彼は心配のあまりわたしを探すため街を彷徨うような真似さえする。もしくは、わたしの家に押しかけて自分が満足するまで愛情をぶつけつづける。要は、少々不安定な男なのだ。そんな恋人の性格が面倒くさいと思うこともあるけれど、基本的にはわたしも彼が好きなので、心配をかけないよう可能な限り正しい情報を伝えるようにしていた。

そういうこともあって、当日急に誘われるイベントの類は苦手だった。特に、こういった微妙な間柄の人間との飲み会なんかは、恋人がもっとも嫌がるイベントであるはずだ。だからわたしは、申し訳なさを感じながらも恋人にウソをついた。「うん、今日はまっすぐ帰るよ」と。

***

連れていかれたのは、お洒落な装飾の施された居酒屋。大所帯での飲み会と聞いていたから、チェーン店居酒屋にでも連れて行かれると思ったので、少々意外だった。とはいえ、大人数であるのに変わりはない。座敷全体を貸し切ったその飲み会に参加しているのは、30〜40名近い男女。わたしはなぜか座敷の一番奥へと連れていかれ、早速顔も名前も知らない先輩方に絡まれることになる。

よくよく話を聞くと、この飲み会は他大学の学生も招いた合同コンパらしい。そりゃ、とにかく人員を集めたいわけだ、と自分が誘いを受けた理由にも納得する。結局のところ、彼らはみな”出会いの場”を求めて参加したのだ。急速に「帰りたい」の気持ちが強くなるも、それが顔に出てしまわぬよう、そばにあったハイボールを口に流し込んだ。


――特段酒が弱いわけではないはずなのに、その日のわたしは酔いが早かった。たしかに、作られるお酒はみんなアルコールが濃いような気がしていた。周りを見渡すと、ほとんどの学生がたいそう酔っぱらっている。どうやらわたしの酒だけが濃い、というわけではないらしい。
チェイサーの水を頼もうと思うも、この座敷の奥からでは店員さんを呼べないので、場所を移動しようとした。畳に手をつき、腰を上げようとすると、バランスを崩す。誰かがわたしの腹に手を回し、立ち上がるのを妨害したのだ。ギョッとして振り向くと、だらしない笑顔を浮かべた見知らぬ男性の先輩がおり、わたしは生理的嫌悪感を覚える。
「どこいくの」
「えっと、店員さんを呼びに…」
「どうしてぇ?お酒、まだまだあるよ」
彼は強い力でわたしを抱き寄せ、髪に頬ずりをする。全身に鳥肌が立ち、助けを求めて周りを見渡すも、多くの男子と女子がわたしたちのようなありさまだった。

もしかしてわたしは、飲みサーの飲み会に来てしまったのではないか…?

嫌な汗が背中を伝う。まともな思考回路が働くだけでもまだ救いがあったが、酔いが回った体では、先輩を振り切ることができない。異様に熱い他人の体温を背中に感じるのは最高に気持ち悪く、気分は最悪だった。


地獄のような時間を経てやっと飲み会が終わる頃、もっとも危惧していたことが起こった。飲み会の主催者がヘロヘロの一本締めのようなことをして、じゃあ店の前でそれぞれ解散…となった時、汗ばんだ手がわたしの手を握ったのだ。相手は、無断でわたしをハグしてきたあの男だった。目じりの垂れた嫌な目でわたしを見ている。
「…このあと、一緒に休もうよ」
内緒話をするみたいに、わたしの耳元でそう囁いた。ほとんど吐きそうになる。どこで休むか…相手の答えはひとつだ。こんな男にこんな舐められた真似をされて、情けなくてたまらない。

「いえ、わたし、もう帰りますので」
こんな言葉で相手が引くわけがないのに、一応断りをいれる。
「いやいや、だって君、結構フラフラじゃん。こんな状態で帰す男なんていないよ、俺といようよ、ね」
酒臭い息が顔にかかり、涙が出そうになる。このままなし崩しにこの男に抱かれるなんて絶対に嫌だ。でも、相手の言うようにわたしも相当酔っぱらっている。勧められた酒を断れず、ダラダラと飲んでしまったからだ。
「ほら、いくよ」
男がわたしの手を引く。その場を離れるわたしたちを、誰も気にかけてはくれない。その場に留まるような踏ん張る力はもうなく、わたしは泣きそうになりながら男に手を引かれた。


「ナマエさん」


この場にいないはずの、恋人の声が聞こえた。最初は幻聴かと思った。しかし、酔っ払いで溢れる人波の中から現れたその見慣れた姿に、わたしは一瞬呼吸が止まる。
わたしの恋人・憂太はすっと背筋を伸ばし、柔和で品のいい笑顔を浮かべ男の前に立つ。
「彼女の手、放してください。嫌がっています」
いつものオドオドした調子はなく、はっきり、ゆっくりと彼はそう言った。
「はあ?あんた、なに」
男は憂太を睨んだあと、わたしに向かっていやらしい笑顔を向けた。
「変なやつに絡まれちゃったね、ほら、行こうか」
そう言って再びわたしの手を引こうとするも、それはかなわなくなる。なぜなら、わたしは突然彼の汗ばんだ手から解放されたからだ。

憂太は男の手首を掴んでいた。彼の手の甲には血管が浮き出ており、男は痛みのあまり声にならない叫び声をあげていた。
「僕の大切な恋人に触らないでくれますか」
「さっきから、なに言ってん……痛ててて!」
「しつこいんですね。…これ以上粘られたら僕、あなたの手折っちゃうかも」
先ほどまでの柔和な表情は消え、憂太は恐ろしく冷たい顔で男を見下ろしていた。

男が何事かを喚き、憂太はパッと手をはなす。それから男は情けなく膝から崩れ落ち、わたしと憂太とを見比べたあと、転げるように逃げて行った。その瞬間、憂太はいつもの困ったような笑顔を浮かべた表情に戻る。いつもの憂太、だ。
「もう、ナマエさん!大丈夫ですか?なんの連絡もないから、心配しましたよ」
彼は駆け寄ってくると、周りの目など一切気にせずわたしを抱きしめた。あまりの大胆な行為に、さすがにギョッとする。いつの間にかわたしたちの周りはちょっとした人だかりにのようになっていたし、わたしを飲み会に誘ったあの2人も驚いた目でこちらを見ていた。

「た、助けてくれてありがとう。でも、なんでここが…」
「ふふ、どうしてでしょうね。それって、あなたは知らないままのほうがいいかも。それより、」
憂太はわたしの髪をかき上げ、耳をあらわにさせると、そこに口を寄せる。
「今日、どうして僕にウソをついたんですか?……その理由、帰ってからたっぷり聞かせてもらいますよ」
そう言って、軽くわたしの耳たぶを噛んだ。わたしはいろんな意味で頭が真っ白になる。一番ウソをついてはいけない男にウソをつき、このあとその報復が待っている。酒のせいで鈍った頭を抱えながら、わたしはそんな自分の愚かさを呪った。

憂太はわたしが逃げ出すのを恐れるみたいに、指を絡ませ、強く手を繋ぐと雑踏を歩き出す。時折わたしの顔を覗いては、満足げに、愛しそうに微笑んでくれる。そんな素敵な笑顔だけを見ていれば、彼がとんでもなく嫉妬深く心配性な男だなんて、誰も想像がつかないだろう。
突然、彼がわたしの頬に唇を押し当てた。驚いて見上げると、彼は拗ねたような顔をしている。
「いま、僕の悪口考えてたでしょう」
「ま、まさか」
「そういうの分かるんですよ」
しかし、わたしを驚かせることができて満足したのか、憂太は再び気分よく歩き出した。そんな彼に、わたしも大人しく手を引かれる。

わたしたちの関係を多くの人は「異常」だと捉えるかもしれない。憂太の愛情はひどく重く、熱い。その心は繊細で、少しのズレも許さない。そんな彼の気持ちに応えるわたしもまた、異常な人間だと呆れられるだろう。
でも、わたしは恋愛の「正解」なんて知らない。過去の恋愛と正しさを比べるほど経験豊富な人間でもない。いや、本当のことを言えば、わたしも最初は「異常」だと感じる側の人間だった。それが、憂太のとめどない愛情により、この関係に違和感を覚えないほどすっかり上手に取り込まれてしまったのだ。

正しさなんて分からない、正しくしようだなんて思わない。だってこれが、わたしたちの「正しい恋愛」だからだ。
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