燃ゆる





「お、帰ってきたのか」
それは任務から戻って来たばかりのこと。寮に戻り、自室のドアを開けたところで、隣部屋の真希が顔を出した。
「ただいま、真希」
「おう。…つーかオマエすげー顔してんぞ」
「うん、今日の任務はちょっとハードだったから」
「ふぅん。その疲れてるところ悪ぃんだけどよ、さっさと着替えてきてくんね?」
そう言って部屋の外に出てきた真希は、動きやすそうなショートパンツとTシャツ、そして斜め掛けのコンパクトなボディバックを身につけている。
「え、どこか行くの?」
「ああ、パンダと棘も一緒にな」
「あー…そうなんだ。ごめん、わたしは疲れてるからパス…」
「ダメ、オマエも来い。んでさっさと着替えろ」
真希は強引にわたしを部屋に押し込むと、勝手にドアを閉めてしまった。

ああいうときの真希は、何を言っても聞いてくれない。本当はシャワーだけでも浴びていきたかったけれど、彼女がそんな悠長に待ってくれるはずがないので、ボディシートで軽く体を拭いてから外着に着替えた。
真希がかなりの軽装だったということもあり、わたしも比較的カジュアルな服装に着替える。上着を持っていくか迷ったけれど、荷物になるのが嫌だったので結局置いていった。財布など最低限の持ち物だけを携え、サンダルに足をつっかけ部屋を出る。真希の姿はない。周りを見渡すと、窓の外で手を振っている真希が見えた。パンダと棘も一緒にいる。わたしは急いで外に出た。
こうして4人で出かけることになったのだけど、なぜか彼らはわたしに行先を教えてくれない。だからわたしはみんなの後に続き、言われた通りに電車に乗り継ぎ、見知らぬ目的地へ向かうしかなかった。

「ツナ、ツナ…」
耳元で囁かれた声に目を覚ます。肩をちょんちょんと突かれているらしい。隣を見ると、棘がこちらを覗いていた。電車の揺れが心地よく、いつの間にか眠っていたらしい。
「明太子」
そう言って棘が窓の外を指す。次の駅で降りるよ、という意味らしい。
「ありがとう、爆睡してた」
お礼を言うと棘はにこりと笑う。マスクをつけた棘は、日ごろのポーカーフェイスも相まって表情が読み取りづらい。でも、棘は笑うと目じりが下がり優しい顔になるので、彼が笑ってくれるとわたしは嬉しくなった。

駅を出ると、空はすっかりオレンジ色になっていた。夏を迎えてから、美しい夕焼けを目にする機会が増えた気がする。そんな風に空をぼうっと眺めていると、「ほら、行くぞ」と真希に手を引っ張られた。
しばらく歩くと砂利道が現れ、さらにその先には膝丈くらいの雑草が伸び放題の場所に出た。その草をかき分けて進んで行くと、突然開けた場所にたどり着く。そのときのわたしは驚いて声を出すことができなかった。
「間に合ってよかったぜ、良い眺めだろ」
目の前に広がる海を眺めながら真希が言う。輝くような夕焼けを水面がキラキラと反射して美しい。疲れが吹っ飛ぶくらい素敵な画だった。そうして、夕日がゆっくりと海に落ちていく光景を、わたしたちはしばらく黙って眺めていた。


「そんじゃあ、お楽しみタイムと行きますか!」
日がとっぷりと暮れたあと、パンダが手に提げていた大きなビニール袋をわたしたちに掲げる。そういえば、パンダはずっと大きな荷物を持っていたけれど、その正体が何なのかは分からなかった。
「はい。棘はこれで海水汲んできて」
パンダはまず袋からバケツを取り出すと、棘に渡す。「しゃけ」と言って棘は海辺に駆けていった。
「真希はこれな」
続いてパンダは、片手サイズの小さな銀色バケツのようなものと、ライターを真希に渡す。わたしはドキリとして真希の手元を覗く。バケツのようなものは、蝋がたっぷりと詰まったロウソクだった。わたしはいよいよ胸がドキドキしてきた。
「はい。じゃあナマエはこれ開けて、中身ばらしてくれ」
最後にパンダは大きな袋を取り出し、わたしに渡す。それは”手持ち花火200本!”と書かれた、特大サイズの花火セットだった。

「しゃけ〜」
棘がバケツに海水を汲んで戻って来た。真希もロウソクに火をつけようとしている。わたしも任された仕事をしなくては…と、のろのろと花火セットを開封する。200本もの花火が詰まったそれは重量があり、中にはネズミ花火やら置き型の花火なんかもあった。わたしは無意識に唾を飲み込む。

どうにかして花火をばらし、ビニール袋の上にそれらを並べた。わたし以外の人間は、みんなワクワクとした顔でそれらを眺めている。そうして一人ずつ、思い思いの花火を手に取った。
「よっしゃ、はじめるか!」
その真希の声を合図に”手持ち花火大会”がはじまった。

+++

―――結論から言うと、わたしは「火」が苦手なのである。
さかのぼること小学校時代、理科の授業で火を使う実験をしたことがあった。そのとき、お調子者のクラスメイトが、あろうことか火のついたアルコールランプを倒したのである。そしてランプの火は、あっという間にわたしの教科書やノートに引火した。

目の前で火が燃え盛る光景、そして火がわたしの指先を炙る熱さに、たちまちパニックになった。幸い、教師がすぐに火を消し止めてくれたので、それ以上被害が拡大することはなかったし、保健医の適切な処置のおかげで、わたしは手に軽いやけどを負う程度で済んだ。しかし、それがわたしに耐えがたいトラウマを植え付けたのには間違いない。以来わたしは「火」全般が苦手になってしまったのだ。


つまり、今開催されている楽しい花火大会は、わたしにとって”拷問”でしかないのだ。しかし、仲間たちの楽しい時間に水を差すことだけはしたくない。わたしは一度手に取った花火をさり気なくもとに戻すと、一歩引いた場所で仲間たちの花火を見守った。
「おーい、何やってんだナマエ。オマエもやれよ」
パンダが両手に持った花火をぶんぶんと振りながらわたしを誘う。その火花がパチパチと周りに飛ぶ光景を見てじっとりと冷や汗をかいた。
「あ、うん。わたし、花火をするより見てる方が好き…かも」
苦しい言い訳だと分かっていたけれど、やんわりとその誘いを断る。しかし、真希はそれが気に食わなかったらしい。火の消えた花火をバケツに突っ込むと、新しい花火を数本手に取りズンズンとこちらにやって来た。
「ほら、遠慮すんなって。200本もあんだからさ」
そう言ってわたしの肩に手を回し、手に花火を握らせる。そうして小さな火が揺らめくロウソクのもとまで誘った。

踏ん張ろうとしても、砂浜がズルズルとわたしの足を動かしてしまう。とうとうわたしはロウソクの前まで来てしまった。
「ほら」
真希がわたしの肩を叩きながら言う。急激に喉が渇いた。それだけ緊張しているということだ。
「い、一本、だけなら……」
へへ、と情けない笑いを浮かべながらわたしは花火を指でつまむ。それもギリギリの端っこを。なるべく火花から遠ざかりたいからだ。

”火が苦手なんだ”…そう言ってしまおうか。いや、ダメだ。そんなことを言ったら、彼らは絶対わたしに気を遣う。今日はもうお開きにしようと、きっと花火を片付けてしまうだろう。なんだかんだ、優しい仲間たちなのだ。わたし一人のために、この楽しい時間を台無しにしたくない。だからわたしは、ゆっくり、慎重に、花火の先端を火に近づけた。

真希はわたしから離れ、自分用の花火を見繕っている。パンダは両手に二本ずつの花火を持って楽しんでいる。今のうち、誰も見ていないうちに、さっさと火をつけて……そうすれば、数秒我慢して終わりだ。そう、ちょっとだけ我慢すれば、花火なんてすぐに終わってしまう。どうってことない。なんにも、怖くない。…そう言い聞かせているのに、わたしの手は小刻みに震えていて、この震えをどうやったら止められるのかまったく分からなかった。


突然、何かが顔をくすぐった。驚いて顔を上げると、まずアッシュがかった髪が目に入った。すぐそばに棘の顔がある。なんでこんな近くに、と思っていると手にぬくもりを感じた。見ると、棘がわたしの手を包むようにして手を握っている。
「……高菜」
彼はそう言って、わたしの手を包んだままの状態でそうっと花火に火を灯す。棘のおかげでわたしの震える手は安定していたし、何よりこうやって一緒に火をつけてくれるのには安心感があった。
火がついた。
花火の先端から火花が噴き出す。そうしてキラキラと宝石みたいに輝きながら、一心不乱に火花を吐き出し続けた。美しいと思ったけれど、やはり恐怖はある。そんな緊張が伝わったのか、棘は空いているほうの手でわたしの背中を優しく撫でてくれた。
「お?なんだ、オマエら仲良しか?」
わたしたちに気づいたパンダが茶々を入れる。意図は分からないけど、棘は「こんぶ」とだけ答えた。

花火の火が、消えた。やっと終わった。棘がそっと火の消えた花火を回収してくれる。わたしは安堵してその場にへたり込みそうになるも、まずは棘にお礼を言おうと思った。海水の入ったバケツに花火を放り込んだ棘は、わたしを見ると”ストップ”と言うように片手を前に突き出す。そして、自分の来ていたジップアップパーカーを脱ぐとそれをわたしに渡した。
「え?」
「しゃけ、いくら」
そう言って棘は、パーカーを着るような仕草をする。これをわたしに着るように言っているのだろうか。戸惑いながらもパーカーの袖に手を通す。さっきまで棘が着用していたこともあり、微かに温もりが残っていた。

日が落ちて少し冷えて来たので、パーカーは温度調整にちょうどよかった。そして何より心強さがある。さっきまでは、剥き出しの腕に火花が飛んで来たら…と気が気でなかったけれど、パーカーですっぽり肌が覆われていれば火傷の心配なんてないからだ。わたしがパーカーを着用したのを見て、棘はにっこりと笑う。代わりに彼をTシャツ姿にしてしまったのは申し訳ないけれど、このパーカーがあれば少しは花火を楽しめるかもしれないと思った。

わたしが恐る恐る花火をつまむと、すかさず棘がわたしの隣に来てくれる。近すぎるのではないか、と思うほどぴったりとわたしに寄り添い、わたしにだけ聞こえる声で「……高菜?」と言った。きっと心配してくれているのだろう。わたしは「大丈夫」と答えると、ゆっくりとロウソクに花火を近づけた。


先ほどのものとは違う輝き方をする花火だった。四方八方にチカチカと火花が飛び散る光景は可愛らしく、思わず見とれてしまう。棘はそんなわたしの様子をじいっと見つめたあと、自分も花火に火をつけた。棘の花火は色が変化するもので、こちらも見ていて楽しくなるものだ。
「へぇ〜棘のやつ見せつけてくれんじゃん」
気づけば、ニヤニヤ笑いの真希とパンダがこちらを見ている。
「いいね、いいねぇ。俺らもくっついて花火しちゃう?」
ふざけてすり寄ろうとするとパンダを、「オマエは暑苦しいから却下」と真希がバッサリ断るのがおかしくて笑ってしまった。

パンダと真希にからかわれた棘は、やはり少し恥ずかしかったのが、これまでのように”ぴったり”とわたしに寄り添うことはやめた。それでも、ずっとわたしのそばで花火をしてくれていたし、ときどきわたしの様子を伺っては優しく微笑んでくれた。

+++

パチパチと音を立てながら線香花火が細かい火花を出している。とても静かで美しい、”花火大会の締め”を飾るのに相応しい花火だ。わたしたちは円を描くようにしてしゃがみこみ、線香花火を手に持ち、黙ってこの美しい火花を眺めていた。
「あ」
真希が声を上げると同時に、線香花火の先端の”火の玉”が落ちる。
「残念だったな、真希。お前の恋は叶わん」
パンダがしたり顔でそんなことを言う。
「恋が叶わない?なんだよ、それ」
「知らないのか?線香花火のこの火の玉を落とさずに、最後まで燃えつきさせることができたら、恋が叶うってジンクスがあるんだぞ。あっ」
パンダが説明を終えると同時に、彼の線香花火から火の玉がポトリと落ちる。それを見て、棘がクスリと笑う。
「そんなガキくせぇ迷信、誰が信じるんだよ。そもそも、パンダや私に好きなやつなんていないだろ」
「まあ、それはそうだけどよぉ…そういうのがあった方が盛り上がるだろ?」
そんな雑談をしているうちに、わたしと棘の線香花火はチリチリと細かな火花を出しはじめた。いよいよクライマックスだ。わたしも棘も真剣に火の玉を見守る。

火花の勢いは段々と落ち、間隔もまばらになり……そして、小さくなった火の玉が静かに消えた。隣を見ると、棘の線香花火の火の玉も消えるところだった。わたしと棘は無言で見つめ合い、同時に噴き出した。
「よかったな棘、ナマエ。オマエたちの恋、叶うぞ」
「もしかして、私とパンダはお邪魔か?二人っきりにしてやってもいいぜ」
そんなパンダたちの茶々を否定するのかと思いきや、棘は黙ってわたしの花火を回収して立ち上がる。そしてひとこと、「ツナマヨ」とだけ言った。わたしはというと、あんなに火が苦手だった自分が花火を楽しめたことに、このうえない充足感を覚えていた。


駅に向かう帰り道、棘がこっそりわたしの手を握った。ほんの一瞬の出来事だったけど、その手はとても熱く、そこに棘の気持ちのすべてが詰まっているようだった。それからわたしたちは、一言も口を聞かずに寮に帰った。
ベッドに横になり、胸に手を当てる。わたしの心の中の何かに火がともり、ゆらゆらと揺れている、そんなイメージが頭に浮かんだ。部屋の照明に手を透かすように片手を突き出すと、棘に借りたパーカーの袖が目に入る。それが恥ずかしくて、慌てて手を引っ込めた。なんだか、棘が触れた指先がジンジンと熱かった。
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