フォールアウト





寝間着のスウェットパンツに手をかける。欠伸をしながらパンツを膝辺りまで下げたところで、ドアが2回ノックされた。それから1秒の間も置かず、「ミョウジ、入るぞ」と言う声と共にドアが開けられた。つまり相手は「入るぞ」と断ってから入室したのではなく、「入るぞ」と宣言しながら入室してきたのである。

わたしはドアに背を向けながら、やや前傾姿勢になって脱衣しているところだった。それは、たったいま無遠慮に入室してきた人間に尻を見せつけるような姿勢を取っていた、ということでもある。わたしはそろりと首をもたげ、肩越しにドアの方を振り返った。わたしの尻を注視したまま微動だにしない東堂が、ドアノブを固く握りしめたまま立っていた。
わたしは体を起こすと、黙ってスウェットパンツを臍下まで引き上げる。東堂にタダで尻を見せてやる義理はないし、この男に制裁を加えるのはこの尻をしまってからだ。そうして再びスウェットパンツに身を包んだ状態で体を反転させ、東堂に向き直ると「いや、なんというかその…オマエ、顔に似合わず大胆な下着をつけるんだな」などとのたまう東堂の頬に、思いきり拳をねじ込んだ。


下着のラインが洋服の上から透けてしまう―――これは世の中の女性が一度は抱いたことのある悩みだと思う。この学校の制服は自由度が高く、好きにカスタマイズできるのだが、そんな中でも「下着のラインが透けてしまう」という悩みはわたしにつきまとった。わたしはファッション性よりも機能性を追求する節がある。だからゆとりのあるスカートやサルエルパンツよりも、ジャストサイズで動きやすいパンツの方がいいし、もちろんそういうパンツスタイルの制服を選択した。しかしわたしは三輪ほど小尻ではないので、ジャストサイズのパンツを履こうものなら薄っすらと下着のラインが浮き上がってしまう。そこで救世主となるのがセクシーランジェリーの代名詞”Tバック”だった。

女性のセクシャル的な魅力を引き立たせるためのアイテムと思われがちのTバックだが、肌と下着の摩擦を抑えたり、肌との接地面を減らしたりといったメリットがあることから、この下着はスポーツをする女性なんかにもよく選ばれている。また、タイトな洋服を着用する際にも、このTバックは役に立った。そう、Tバックを着用すると服は下着のラインを拾わないのである。そうしてわたしは、いくつかのTバックを取り寄せ自分にぴったりの下着を見つけ出した。たしかに最初は心もとないような気がしていたけれど、慣れてしまえばかなり快適で、月経が訪れるとき以外はいつもTバックで過ごした。なお、念のため断っておきたいのは、わたしはこのTバックで異性を誘惑しようなんて気持ちは一ミリもない。ただただ機能性と利便性を重視し取り入れているだけなのである。

そんなわたしの下着姿を、あろうことか同期の東堂にまじまじと見られてしまった。甚だ遺憾。甚だ不愉快。うぶな少年のごとく赤らめたその頬に一発お見舞いしてやったけれど、この怒りがおさまることはない。それに、東堂は勘違いしたかもしれない。わたしのことをド助平女だと、意外と攻めた下着を好む女なんだと思ったかもしれない。だとしたら、本当に最悪。

ただ、わたしに殴られた頬を片手で押さえ目を白黒させている東堂に、「Tバックのメリット」を大真面目に語ってやるつもりはなかった。わたしの大切な尻をこの大男に見られたのはめちゃくちゃ不愉快ではあったけれど、だからといって今後東堂にどう思われるかなんて、深刻な心配はしていなかった。そこまで気にするほど、わたしはこの男に興味を持っていないからだ。
それに、そもそも東堂は見目麗しいアイドルを追っかけるようなタイプである。同じ学校の女の尻を見たからといって、突然わたしに色目を使うようになるほど単純な男ではないだろう。だからその日任務を終え、寮に帰ってくる頃には”朝、東堂に尻を見られたこと”などすっかり忘れてしまった。

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わたしが、東堂という男のことをまったく理解していなかったらしい、と気づいたのはそれから1週間が過ぎた頃のことだった。東堂がわたしの尻を目撃したあの日以来、彼は積極的にわたしと接触を試みるようになった。校内で会えば、一緒に昼飯を食おうだの、自販機でジュースを買ってやるだのと誘われるし、時折わたしの部屋に訪れては長身アイドル高田ちゃんの良さや、東京校の虎杖という親友がいかに素晴らしい人間か、といったことをとうとうと語り帰っていく。任務の合間に「今日の昼めし」「お前はなに食べてる」といったどうでもいいメッセージや写真をスマホに送りつけ、それを無視し続けると突然電話がかかってきた。(そして天気の話とか、心底どうでもよい話をすることになる)オフの日には街へ行こうと誘われるし、実際無理矢理に街へ連れていかれたこともある。人ごみに紛れて手を握ってこようとしたので反射的にその手を引っぱたいてしまったら、随分としょんぼりした顔をしていたっけ。

ああ、なんということだろう。わたしは信じられないくらい東堂に”意識”されている。たった一回女の尻を見ただけで相手を意識してしまう、東堂はそんな単純明快な男だったのだと気づかされ、わたしは大変頭を痛めた。
さらに、東堂がものすごい勢いでわたしににじり寄っている異様なサマは、周りから見ても明らかだった。加茂や三輪のように「大丈夫?」「何かあったの?」と心配の言葉を並べる者たちがほとんどだったが、中には明らかにわたしたちの様子を面白がっている者もいた。(桃とか、真依とかね)

いよいよ困ったわたしは、東堂に引導を渡すことを決意する。東堂が現在抱いている感情はまやかし、もとい大きな勘違いである…と。もう少し噛み砕けば、性的興奮が引き起こした一時的な恋愛感情であると、はっきりと言ってやらなければ。

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「ミョウジよ、残念ながらオマエは俺のことをまったく分かっていない」
わたしの話をひとしきり聞き終えたあと、東堂はその太い腕を組んでそう言った。分かっていない。まあ、分かっていないといえば、たしかにそうかもしれないが、東堂が大変単純で愚かな人間だということは分かっている。だから「はぁ」と肯定とも否定ともいえない音を口から漏らした。
「たしかにきっかけはオマエの尻だった。まさかあんな刺激的な下着をつける女だとは……それにオマエは顔に似合わず、なかなか立派な…」
「殺すぞ」
「……すまん、ついあの日のことを思い出してしまった」
東堂は咳ばらいをし、ぐっと顎を上げると、わたしを見下ろすような高圧的な態度で話を続ける。
「しかし!そこで俺は知ってしまったんだ。高田ちゃん以外の女性を追いかけるという、新たな選択肢があることを」
「はぁ?」
「いや、これは語弊があるな。俺は生涯高田ちゃんを支え続ける使命を放棄するつもりはない。ただその一方で、男子高校生らしく恋愛を楽しんでもいいんじゃないかと、そう思った。そして、」
東堂は片目をつぶると、親指と人差し指をピンと立て、銃を突きつけるような仕草でわたしを指さす。
「オマエが現れた」
「現れたんじゃない、あんたが勝手にわたしの部屋に入ってきたんだ。デリカシーの欠片もない変態ゴリラめ」
「いや、それこそ俺たちが運命の赤い糸で結ばれていたということだ。神がしかけた悪戯…とも言えるな」
「話にならないわ」
引導を渡すこともままならない。むしろ東堂はますます自分のペースで調子づき、頑なにわたしへの恋情を強調した。こりゃ駄目だ、話をするだけ時間の無駄。諦めろと言ったってこいつは諦めるつもりなど毛頭ないだろう。そんな話が通じない相手だとはいえ、わたしの気持ちだけはしっかりと主張する必要があると思った。

「それじゃあ最後にこれだけ聞いて」
「なんだ、最後って。俺はもっとオマエと話したい」
「ごめんなさいね、わたしこのあと任務なので」
しつこくわたしを引き止めそうな東堂から一歩離れてから、口を開く。
「一方的にわたしに好意を持ってくれているところ申し訳ないけど、わたしとあんたがどうこうなるってことは100%ないわ。だから、可能なら諦めてくれると助かる」
ピー…チチチ…と鳥の鳴き声が聞こえた。すぐに言い返してくると思いきや、東堂が目を見張ってだんまりを決め込んでしまうから、その静寂に気の抜けた野鳥の声が滑り落ちる。そういえばうちは割と緑に囲まれた学校だから、朝夕と鳥の声を耳にすることが多いんだよなぁと一瞬関係のないことを考えた。

「ええと、じゃあ、特に何もなければわたしはこれで」
東堂は相変わらず口を開こうとしないので、わたしはわずかな気まずさを感じながらも彼に背を向けた。しかし、気づくとわたしは東堂の顔を仰ぎ見ていた。一瞬のこと過ぎて理解に時間がかかったが、わたしが背を向けた瞬間彼はわたしの腕を掴み、そばの自販機に追いつめたらしい。自販機が飲み物を冷やし続けるモーター音と振動を背中に感じた。
「俺はミョウジを諦めるつもりはないし、オマエに俺を好きになって欲しいとも思っている」
「……そりゃあ無理難題だ」
「ああ、だろうな。でも男は困難が立ちはだかれば立ちはだかるほど、相手のハートを手に入れたくて燃えるもんなんだぜ」
何言ってんだ、頭沸いてんのか、と暴言の一つでも投げてやろうかと思った矢先、わたしは東堂の取った行動に驚いて喉が干上がってしまう。あろうことか、このゴリラはとても優しくわたしを抱きしめたのだ。しかも、
「任務、無事で帰って来いよ」
などと優しい言葉まで付け足して。ぶわりと体中に鳥肌が立ち、頭が混乱し、自分が何をすべきかまったく分からなくなった。なんだ、なんなんだ、この男は。

東堂は、すっかり固まってしまったわたしを不思議そうに見下ろしたあと、ごく自然な調子でこちらの手を取り歩き出す。そのまま学校の外へと足を向けるので慌てて手を振り払った。「なんだ、送ってやろうと思ったのに」とむくれた表情を見せるのはいつもの東堂。しかしこの東堂が、先ほどの男前がするみたいな優しいハグをしたのだと思うと、もう居ても立っても居られなかった。


逃げるように学校を出て任務先へと向かう。しかし頭の中は東堂のことばかりで、イライラに任せて呪いを祓った。お望み通り体に傷ひとつ付けず任務を終えることができたけれど、なんだか真っすぐ帰る気にはなれない。だから続けざまに頼まれた任務を引き受け、そうして気づいたらとっぷりと日が落ちていた。スマホを見ると東堂から数通のメッセージが。「どこいるんだ」「まだ任務か?」「迎えに行ってやろうか」と短いメッセージが並んでいるのを見て溜息が出る。なんと図々しい男。
「…彼氏面してんじゃねえ」
思わずそう呟いたあと、我に返る。なぜなら自分の声色が思ったより楽し気であったからだ。その事実から目を逸らそうとしたわたしは、東堂に返信することなく慌ててスマホの画面を切った。
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