家賃4万、1K、駅から徒歩15分。大学の最寄駅までは20分ほどかかるものの、街中の喧騒からは離れたこの街に住んで早3年。築年数は古いけれど、アパートの手入れは行き届いており、ご近所の商店街は物価も安くて学生の一人暮らしには優しい価格設定だ。

だから私は古くともこのアパートが大変気に入っている。少なくとも学生生活を終えるまでは引っ越そうなんて気は毛頭ない。
しかし、ここ最近頭を悩ませていることがある。
数ヶ月前に引っ越してきたお隣さん。顔を合わせたことはないのだけれど、夜になると少なくとも週に1度は友人が家に来ているようでそれが非常〜〜〜〜〜〜に喧しい。
まぁ夜だし、大体週末近くに集まってるし、お酒も入っているんだろうけれど。これまでの3年間、ありがたいことにずっとおとなりは空室だったから気付かなかったけれど、どうやら隣室を隔てる壁はかなり薄いらしい。

今日も今日とて友人が来ているようで、先ほどからおとなりさんが騒がしい。いつもならイヤフォンをつけたりして誤魔化しているのだけど、今日は来週頭に提出期限のあるレポートに取り組まなくてはならない。いつも通りイヤフォンを装着して内容をまとめていたのだけど、イヤフォン越しでも聞こえてくる笑い声が嫌でも耳についてしまう。
集中するため、あまり大きな音で音楽もかけていないから余計だ。
イライラを必死で散らしながらレポートに取り組んでいたが、急に隣からドン!と大きな音が聞こえたかと思うと一拍置いて今夜一番大きな笑い声が響き渡った。

「……もう無理」

乱雑にイヤフォンをテーブルに叩きつけると玄関にある適当なスニーカーに足を突っ込み、勢いよくドアを開けた。隣室の笑い声は今も響いていて、その中に誰かの怒号のような声も混じっているようだ。
怒りたいのはこっちの方だ。むかついたテンションそのままにおとなりさんのインターフォンを押した。さすがに苦情だと気が付いたのか室内がしんと静まり返った。
しばらくすると鍵が外れる音がして、玄関が開いた。

「…はい」

中から顔だけ出すようにして現れたのは、私の短い人生の中でもTOP3に入るくらいガタイの良い男の人だった。仕事終わりなのだろうか、着ているワイシャツの首元は第3ボタンくらいまで豪快に開かれていて鍛えられた筋肉が惜しげもなく晒されていつ上、その体は傷だらけ。お兄さんの目つきも鋭いしめちゃくちゃ強面だ。

ヤバイ。絶対ヤバイ人じゃんこれ。どう見ても堅気の人じゃないんですけど!怖すぎる!!私もしかしてヤ●ザのお兄さんの家にカチコミかけに来たみたいになってない!?え、死んだ!

玄関の前で固まったまま動かない私を不審に思ったのか、お兄さんの顔はどんどん訝しげになっていく。だからその顔が本当に怖いんですけど。

「…あの、煩かったですよね?スンマセン、もう黙らせますんで」

絶対いちゃもんつけられると身構えていたが、
意外や意外、お兄さんから出てきたのは素直な謝罪の言葉だった。そこでようやく私も金縛りが解け、しどろもどろになりながら言葉を発することが出来た。

「あ、ハイ。あの、レポートやってまして…来週提出なんで集中したいんです…だから、申し訳ないんですけどもう少し、その…」

一番大切な「静かにしてほしい」という言葉はちょっとまだお兄さんが怖くて口に出来なかったが、話の内容から推測してくれたみたいだった。

「わかった。迷惑かけて悪かったな。もう騒がせねェから」

そう言うと、お兄さんは「ちょっと待ってろ」と言って一度お部屋に引っ込んでしまった。バタンと閉まったドアの向こうでは相変わらず友人たちの声が聞こえていたけど、お兄さんのお叱りのおかげか先ほどよりは随分マシだ。
そわそわしながら待っていると、再びドアが開いてお兄さんが出てきた。

「これ、今作ったとこだから。詫びだと思って受け取ってくれ」

そう言いながら差し出してくれたのはタッパに入ったチャーハン。作りたてというだけあってタッパの蓋は白く曇っている。

「お兄さんが作ったんですか…?」
「あぁ」

意外すぎる。こんな強面極道のお兄さんがチャーハン?しかもすっごく美味しそう。そういえば晩ご飯まだ食べてなかった。体というのは正直なもので、食べてないことに気がついた途端、空腹を思い出したようにお腹がグゥと鳴った。

(は、恥ずかしすぎる…!)

初対面のおとなりさんにお腹の音聞かれるなんて…!しかも苦情言いに来たくせに!情けないのと恥ずかしいので顔を上げられなくなっていると、お兄さんが改めてタッパを私に向かって突き出した。

「腹減ってんなら丁度よかった。悪いモンは入ってねーから」

1秒でも早くこの場から逃げ出したくて、ありがとうございます、と消え入りそうな声でタッパを受け取り素早く一礼すると数歩先にある自室のドアに逃げ込んだ。

何やってんの、何やってんの私…!苦情を言いに行ったはずなのに!いくらお腹空いてるからって怪しい人から食べ物もらっちゃいけないってお母さんに言われてたのに!

大股でリビングまで戻り、パソコンを開いたままのダイニングテーブルに突っ伏した。すごく強面のお兄さんだった。そもそもちょっと考えれば、おとなりさんの話し声は常に男の人の声しかしなかったんだから、住人は男性だって気が付けたはずだ。なのに考えなしに突撃かましちゃって…。何かあったらどうするつもりだったの、私。

うじうじと自分の失態を思い悩んでいても、一度思い出してしまった空腹の波は消えてくれるわけでもなく。目の前に鎮座するチャーハンはこの上なく美味しそうで。
強面のお兄さんはもう間違いなく相当な強面だったけど、私が苦情を言えずに固まっていたのに開口一番で騒音について謝ってくれた。私の言いたいことを推し量ってくれたんだと思う。謝罪の気持ちだと言って持たせてくれたこれも、お兄さんが本当に悪い人だったら持たせたりしないと思う。

キッチンからスプーンを取ってきてタッパの蓋を開ける。ほかほかと立ち昇るのは湯気と食欲を掻き立てる良い匂い。

「…いただきます」

一口、口に入れて咀嚼する。…美味しい。めちゃくちゃ美味しい。小さく刻まれたベーコンや人参、食感の楽しいグリーンピース、ふわふわの炒り卵がパラパラのご飯とほどよく味が馴染んでいる。二口、三口と口元へ運ぶスプーンが止まらない。
一人暮らしも3年目、当然自炊はするけれど人が作ったご飯を食べたのは久しぶりのこと。ああ、人が作るご飯てあったかいんだななんてちょっとしんみりしてしまったりして。

お腹も満たされた頃、隣からは相変わらず人の気配がするけれどお兄さんのいう通り声のボリュームは落としてくれている。
これなら集中して課題に取り組めそうだ。

「ごちそうさまでした」

ありがとうの気持ちも含ませて口に乗せた。
借りたタッパを返すときには、ちゃんと言葉にしようと決めて。








「どうしたんだよ不死川ァ〜。顔が緩んでるぜ?」
「緩んでない!お前らが馬鹿騒ぎするから苦情が来たんだろうが!」
「苦情だったのか?それはすまないことだった!」
「それでチャーハン…?」
「ハハ〜ン?好みだったんだな?」
「やかましい。黙って食え」



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