超人社会と呼ばれるようになって久しい現代、個性を使った犯罪はあとを絶たない。悲しいかな犯罪率は個性発現前と比べ、飛躍的に上昇している。
ヒーローたちの活躍でほぼ横這いになってはきたものの依然として犯罪の絶えない世の中だ。とはいえ、その個性を使った犯罪現場に立ち会うことになると一般市民の何割が覚悟して生きているだろうか。
「キミなら俺の気持ちわかってくれるよね?ね?」
いつも通り出勤して仕事して、久しぶりに定時に退社できたから少し寄り道して帰ろうかな、なんて思ったのが間違いだった。
夕方のショッピングセンターは買い物客で溢れていた。活気溢れるその場所で、一際目立つそれ。様々な色が混ざり合い何色ともつかない淀んだ煙のようなものが物凄い濃さで立ち昇っていた。
私の個性は"精神の視覚化"。その人がどういう精神状態なのかを色を纏った煙のような形で見ることができる。
その人のそれは、今まで見たことのないほど濃く、深く濁っていたのだ。
そして浅はかな私は迂闊にも話しかけてしまった。
―――大丈夫ですか、具合、悪いですか?
振り向いた男の目に、私はどう映ったんだろう。胡乱な瞳は私を捉えているのに視線が合っているとは思えなかった。
―――俺を気にかけてくれたのはキミが初めてだよ…
男の個性はすぐにわかった。彼が触れた私の手首をみるみるうちに氷が覆っていったからだ。手が凍るなんて考えたこともなかった。痛い、冷たい、怖い。驚きと恐怖で咄嗟に身を引こうとしたが凍らされた手首からはさらに氷が鎖のように連なり男としっかり固定されていて逃げられない。怪しく笑う男の声はやがて高らかなものに変わっていき、周囲の人々にもその異常な光景が認知され始めるとそこからはもうパニック状態だった。
逃げ惑う人々の喧騒と足音を聞きながら、男は上機嫌とでも言いたげに深い笑みを浮かべて私を覗き込む。
乾燥した肌、唇もひび割れ血が滲んでいる。相変わらず私を見ているはずなのに暗く淀んだ瞳に私が映っているとは思えなかった。
彼から立ち上る煙の勢いは増すばかりで、いよいよ彼の表情すらも隠し始めていた。
「キミだけだよ、俺をわかってくれるのは。そうだろう?もうダメなんだ俺は、」
「あ、の」
「ほら、もっとよく顔を見せて。あぁキミはとってもキレイなんだね」
「ちが、違います…私だけなんてそんなこと…もっと周りにも、」
「いないよ。いないいないいないいないいないいない。キミだけなんだ。だってキミは気づいてくれたろ?」
ね?と言って凍った私の手を持ち上げる。
怖い、どうしてこんなことに。あぁ、私が話しかけたからだ。どうして話しかけたりしたの。怪しいってわかってたのに。どうして、どうして。
考えても仕方のないことをぐるぐると考えてしまう。手首はすでに感覚をなくし始めていた。凍傷になっているかもしれない。万が一切断なんてことになったら…と恐怖ばかりが胸を巣食う。
「おい、その女性を離せ!」
「もう逃げられないぞ!」
駆け付けたヒーローたちが男に向かって叫ぶが、男には届いていないようだった。
それでも私にとっては紛れもなく助かるかもしれない希望の光だ。
「助けて、」
「俺にはキミだけなんだってこと、もっと証明してあげる」
え、と声にならない声を漏らした瞬間、男と私の足元からボコボコと氷が出現しあっという間に巨大な氷山を作り上げた。あまりの高さに目眩がしそうなほどで、頼りない足場の上に立たされた私は情けなくも男に支えられていなければ滑り落ちてしまいそうだった。
「どう?絶景だろ?俺とキミだけの世界だよ」
地上ではヒーローや警察たちがどよめいているのが見える。空を飛べる個性を持つヒーローがいないのだろう。
助かるかも、と思った希望が小さく潰れていく。
私を覗く彼の手が私の頰に触れ、触られた部分を辿るようにパキパキと氷がなぞっていく。冷たい、と感じた頃には痛みが走る。私はこのまま死んでしまうんだろうか。
「どこがテメーの世界だよ」
不機嫌さを隠そうともしないその声の主は、思いがけぬ侵入者に慌てた男に向けて思い切り拳を放った。男は現れたヒーローの渾身の一発に吹き飛ぶが、それは男と氷で繋がれた私にしても同じことだった。男が飛ばされるのに引っ張られ私も氷の上に引きずり倒される。ヒーローは私が男に凍らされているとは知らなかったようで、一瞬たじろいだ。
男はその隙に立ち上るとまた私を引き寄せ、ヒーローとの間に壁として立たせた。
「あぁ、美しいキミに傷をつけるなんて…許せないなアイツ」
こんなにも至近距離で男と対峙しているというのに、私の目にはもう男の顔は見えなかった。彼から立ち昇るあまりにも濃く、暗い煙が彼の首から上を完全に覆い尽くしていたからだ。
「だ、だめです。私なら大丈夫ですから。これ以上は、…!」
「ああ、本当に優しいんだね。こんなにも優しいキミを傷付けたアイツはますます許せない」
そう言うと男は掌からいくつものつららのようなものを作り出し、ヒーロー目掛けて投げ付けた。
矢継ぎ早に繰り出される攻撃に、男が作り出した氷山も次々と破壊され砕かれていく。
その度に視界が塞がれ、ヒーローの姿はまったく見えなくなってしまう。
男は自分の攻撃に手応えを感じたのか高らかに笑い声を上げた。
「アハハハハ!見たかい?オレの氷は何もかも貫くんだ!」
肩を抱き寄せるように絡められた男の腕が私の目の前まで伸び、新たなつららを創り上げた。鋭利なその先端を恐ろしいと思うのと同時にその透明度の高さに思わず息を呑んだ。
向こう側の景色まで透けて見えるほどのそれに映り込んだのは炎のように揺れる赤。
「二番煎じなんだよ、クソナード」
見間違いかと思うほど一瞬の赤い揺らめき。
それが"彼"から立ち昇るモノだと気付いたときには、すでに私たちのすぐ傍まで接近していた。
「なっ、!」
男が反応するよりも早く、目の前が一瞬激しくスパークし、コンマ数秒遅れて耳をつんざくような破裂音が聞こえた。思わず目を瞑ると耳元で風を切る音がして、次に目を開けたときには私を捕えていた男はヒーローによって氷山に打ち付けられるようにして吹き飛ばされていた。
男が自分より離れたところにいる。その事実に気が付いて慌てて手元に目を落とすと、男と繋がれていた氷の鎖が粉々に砕け散っていた。未だ凍らされた手はそのままではあるが、とりあえず男からは解放されたのだ。
「おいモブ女、邪魔だ。下がってろ」
解放された安心感で少しぼうっとしていたらしい。顔を男に向けたまま、面倒臭そうにそう告げるとヒーローは一歩ずつ男に近付いていく。
「この、この…!彼女はオレのものだ!オレの!オレのオレのオレの、オレノモノダ!」
あちこちから流血しているというのに痛みを感じていないのか、立ち上がり両手を翳すと視界を埋め尽くすほどの量のつららを生み出した。自分目掛けて更にスピードを増して襲いかかる数百に及ぶ氷の槍を目の前にしてもヒーローは焦るそぶりすら見せない。
「だァから二番煎じだっつってんだろ。見慣れてんだよ」
彼が空に向けて両手を翳すとそこから次々と先ほどと同じ爆発音が聞こえてきてつららが粉砕されていく。その数の多さと砕け散る氷の粒、そして彼の爆発から生まれる絶え間ない閃光が生み出す景色は、とても戦闘から生まれるものとは思えないほどに美しく非現実的で、私は手首の痛みも捕らわれていた恐怖も忘れて、きらきらと輝くその光景を眺めていた。
どれくらい時間が経ったのだろう。数秒だったような気もするし、数分だったような気もする。
何にせよ私はいつの間にか氷の上に座り込んでいて、ヒーローにぐいっと頭を掴まれるまでぼんやりと宙空を見つめていた。
「降りるぞ」
そう言われて見上げた先には傷ひとつないヒーローが立っていた。あれだけ激しい戦闘だったのにも関わらず。よくよく見れば、最近ニュースで見かける駆け出しのヒーローだとようやく気付いた。
彼は座り込んだまま動かない私が足を怪我していると思ったようで、傍にしゃがみこむとスッと私の腹部に腕を回すと重さなど感じないかのように軽々と肩に担ぎ上げた。
急に視点が高くなり、不安定になったことで咄嗟に目の前の彼の肩と背中しがみついた。
「あの、私歩けますから!降ろして、」
「アァ?氷山から降りれるようには見えねぇけどなァ?」
そうだった。私達がいるのは地面から高く聳え立った氷山のてっぺんだったのだ。
「舌噛むなよ」
言うが早いか、ヒーローは私を担いだまま勢いよく氷山を滑り降りていく。当たり前だが、氷山がボコボコと出来上がっていくときの不安定さとは比にならない。特にスピードが。運動神経も決して良いとは言えない私がウィンタースポーツに縁なんてあるはずもなく、かろうじて自由になる両腕で必死に彼の背中にしがみ付いていた。正直、怖すぎて目も開けていられない。
しばらくすると、遠かった喧騒が段々と近付いてきて身体が水平になる感覚。どうやら無事に地上に戻ってくれたらしい。そうっと目を開くと、辺りにはパトカー、救急車、マスコミに野次馬とかなり騒がしい状況だった。
「降ろすぞ」
担ぐ時と同様、子供でも扱うかのように軽々と抱えられて地面に降ろされる。氷の上に立っていたのはほんの数十分だったと言うのに、冷たくない、滑らない地面にホッとする。私が降ろされるのと同時に救急隊の人たちが駆け寄ってきて救急車へと誘導してくれる。あちこちに擦り傷はあるものの、やはり一番の重症は両腕。凍傷になりかけているそうで、すぐに治療が必要とのことだった。
搬送される前にせめてヒーローにお礼を、と思ったけれどすでに近くに彼の姿はなく、私自身も救急車に押し込められてしまい、結局にお礼を伝えることは出来なかった。
救急車で搬送されながら、助けてくれたヒーローのことを思い出す。
太陽の光を吸い込んだみたいな綺麗な金髪。強い意志を燃やした瞳、そしてその熱さを物語るように彼から立ち上る真紅の煙。言葉は乱暴だし、お世辞にも愛想がいいとは思えなかったけれど、それでもちゃんと助けてくれた。
(やっぱりお礼、言いたかったな…)
車内のストレッチャーに横になりながら、車の心地よい揺れと緊張から解き放たれた安心感からくる眠気に身を委ね、私は意識を手放した。
▽
目が覚めると、そこには真っ白な天井。
ああ、病院かと気付く。体を起こし、周囲を見渡す。どうやら贅沢なことに個室を充てがわれているようだ。これ、請求どこにいくんだろうなんて恐ろしいことを考えていると病室の扉が開きドクターが入ってきた。
私が体を起こしていることに少々驚いた様子だったが、「目が覚めたならもう安心だね」と人の良い笑みを浮かべ、念のためと問診していく。
寝起きでぼんやりとしていたけれど、ドクターを話しているうちに覚醒してきて、そういえば両腕の痛みがまったくないことにようやく気が付いた。
「治癒専門のヒーローが対応してくれたんだよ。あと少し遅かったら危なかったかもしれない。運が良かったね」
青紫色に変色していたはずの両腕には痕ひとつない。完全に元通りだ。ヴィランと一緒に倒れたときに出来た足の傷もすっかり治っているようだった。ヒーローってすごい。
感心しながらドクターからの説明を受けていると、また扉の開く音がして、ふとそちらに目を向ける。
「あ、」
見紛うことのない鮮烈な赤。先ほど助けてくれたヒーローが病室に入ってきたところだった。驚いて目を瞬かせている私を他所に、ドクターは顔馴染みらしく軽く挨拶をしている。
「それじゃあ苗字さん。今言ったことに気をつけて。お大事にね」
退院手続きの説明を終えたドクターが出ていくと、部屋には私たちの二人きりになってしまった。ドクターの背中を見送ると、彼は先ほどまでドクターが座っていたベッド横のパイプ椅子に腰掛けた。
何を言うでもなく座っているだけなのにものすごくプレッシャーを感じてしまう。正直ちょっと怖気付いたけれど、先ほど気を失う前に思ったことを実行しようと口を開いた。
「あの、ありがとうございました。助けて頂いて…」
「礼なんてらいねーよ。仕事だ」
俯き加減だった彼と、ようやく目が合う。相変わらず意志の強い瞳だ。けれど彼から立ち上る煙はさすがに助けてくれたような猛々しいものではなくなっていた。
私の能力は感情の起伏も煙の形となって現れる。今の彼からは少しの揺らぎと、あとは怒りのような感情が見て取れる。
「助けて頂いたのは事実です。あなたがいなかったら、今頃両腕を失っていたかもしれません」
ちらりと私の両腕を一瞥して、それから今度は明らかに怒気の篭もった視線で私を睨み付ける。
「ヴィランにはテメェから話しかけたんだってなァ?」
恐らく周囲の人からの聞き込みを警察から聞いたのだろう。彼は自身が現場に到着するまでの事件の流れを把握しているようだった。
「他の奴らは、明らかに様子がおかしいソイツからは距離を取っていた。なのにお前だけがノコノコ近付いていって話しかけたそうだな。何故近付いた?」
「…すみませんでした」
彼の口調には詰問の色が濃く滲んでいて、思わず謝罪の言葉を口にしてしまう。大きな舌打ちと「質問に答えろっつってんだよ」と彼の怒りの色はさらに濃くなる。
これ以上命の恩人の機嫌を損ねることはしたくなくて、あのときのことを思い出しながら呟いた。
「苦しそうだったから」
声を掛ける前、確かに彼を見て“良くない色”だと思った。危ういと。濁って、淀んだ色をしていたけれど、その煙の揺らめきには怯えや不安が見て取れた。
他の人には単純に不審な人物に見えたのだろう。だけど、私には。
「だから何だ」
「あの人は、苦しんでました。少なくとも私にはそう見えた。だから、何か出来ることないかと思って声を掛けました」
「それでまんまと相手刺激して人質になってあの騒ぎか」
あまりの言い様にカッとなって彼を睨みつけた。なぜ私が詰られるような言葉を浴びせられなければいけないのか。私からの視線を受け流すように、彼は再び私の両腕を見やった。
「あいつはあの場所で事件を起こす前に、元恋人の家に押し入って人を傷付けていた」
「え、」
驚くのと同時に、何となく腑に落ちるものがあった。あの男は私が話しかけたときからずっと、私越しに“誰か”を見ていた。それはきっと傷付けてしまった元恋人だったのだ。
「自分を捨てた女を傷付けて、ヤケクソになってあそこにいた。最初っから溜まった鬱憤を晴らすつもりだったんだよ」
「…そうですか」
「これに懲りたら、怪しいヤツにホイホイ近付くんじゃねェ」
いらん仕事増やすな、と舌打ち混じりに呟きながら席を立つ。話は終わったとばかりに部屋を出ていこうとするので、慌てて引き止めた。
「あの、でもあの人が苦しんでいたのは本当です。暴れるきっかけを与えてしまったのは私かもしれないし、彼がしたことは許されません。だけど、私には見えてしまったんです。そうしたらもう、見ないふりは出来ませんでした」
背を向けて進み始めていた歩みが止まり、ゆっくりと振り返る。赤い瞳がゆっくりと私のことを上から下まで観察していた。
「個性か」
首肯すれば、眉間に寄せられた谷がさらに深くなる。
「自衛も出来ないモブ女がでしゃばったことすんじゃねェよ。お前のやったことは単なる自己満足だ。」
自己満足。厳しい言葉だ。確かにあの時、彼のことが心配だったし、話しかけたのも彼の“色”が見える私なら、助けになれるかもしれないと言う思いがどこかにあったからだ。
「どういう個性か知らねェが、他人の感情が読み取れるなら、まず自分を守ることに使え。自分の能力を過信すんな」
俯いていた視界にスッと黒いグローブが映り込む。その指先が指し示すのはシーツの上に投げ出されている両腕。五体満足で戻ってこられたのは間違いなく、彼を含むヒーローたちのおかげだ。
「二度と馬鹿な真似すんじゃねェ」
そう言った彼の声が、先ほどまでよりも幾分険が取れたような気がして。彼の腕を辿るように視線を持ち上げる。彼を取り巻く煙のようなそれからは少しの苛立ちの他にもかすかに読み取れるものがあって…
どうして気が付かなかったんだろう。そもそも彼のようなヒーローの仕事は現場での救出や戦闘だろう。助け出したあとのことは彼の専門分野ではないことは目撃した彼の能力から見ても明らかだった。
それなら何故彼は今ここにいるのか。そんなこと、考えずとも理由はひとつのような気がした。
既に再び私に背を向け歩き出した彼の背中に、私ももう一度声をかけた。
「…、ありがとうございました!」
「だから、礼はいらねーっつってだろうが。何度も同じこと言わすんじゃねェよ!」
振り返りざまにそう吐き捨てた彼とマスク越しに目が合う。釣り上がった目元はおよそヒーローとは程遠いような気もするが、彼の本質にちょっとだけ触れた私には、もうその言葉に萎縮することはない。
「いえ、“助けてくれて”じゃなくて、“お見舞いに来てくれて”です」
「…っるせーよ!調子に乗るな!小市民が!!」