舞う歌声

全てが遅かった。
自分の体の異常に気付くのも、それに向き合うのも、病院に行くのも、病院の判断も。全てが遅かった。

「……〜♪……」

何度も何度も歌ったこの曲も全て消えてしまった。
涙はもう枯れ果て、友達が励ましてくれる言葉も、大好きだったあのロック歌手の歌も、愛しい彼の世界で一番好きな声も、消えた。

私にはなにも残っていなかった。

眼下に広がる壮大なこの学園にたくさんの希望を抱いて入学したときからもう10ヵ月経つ。もうすぐ行われる卒業試験に向けてパートナーとひたすら努力してきた。背が小さいことを気にしているらしい彼は、私の作った歌を大きな大きな愛で包んで響かせ最高に輝かせてくれる。優勝出来る。彼なら、彼と私ならそれは夢ではなかった。

けれどそれは夢物語として儚く散った。
緩やかな風に煽られ手元の薄っぺらい紙がくしゃりくしゃりと音をたてる。
何度見ても変わらないその残酷な文字に、もう何も感じなくなっていた。退学通知。そう少し大きく書かれた文字の下に小さな文字がたくさん羅列している。残念、という文字が嫌に目についた。
こうなってしまったことに悲しみはあれど、憤りはびっくりするほど全く感じなかった。だって誰のせいでもないし、自分がいけないのだと悲劇のヒロインぶることはしたくなかった。そんなくだらない感傷ごときで受け入れることなど到底不可能だ。ただ彼を卒業試験で優勝させ、デビューに導くのが私の曲ではないというのが堪らなく悔しい。私はもうここでリタイアだけれど、彼ならすぐに新しいパートナーだって見つかって優勝してしまうんだろう。それでも彼が幸せならそれでいい、なんて思えるほど私は大人ではなく、私以外の子とパートナーなんて組まないでと駄々をこねられるほど子供でもなかった。
わかっている。彼は私の知らない誰かと夢を叶えるんでしょう?もしくは私の知ってる誰かが彼の歌声を日本中に、いや、世界に届けるのだろう。私にはその光景が何の苦労もなく瞼の裏に浮かぶ。笑顔で歌い、踊り、ファンの子たちに幸せと感動を分け与える彼の姿が。
けれどそこに私はいない。
彼の未来ならたくさんたくさん想像出来るのに、対照的に自分の将来は欠片も見えない。考えられない。明日どころか一時間後の自分すら見えない。もう終わりだ。

「─────────」

そう一歩を踏み出そうとしたとき、思いっきり肩を後ろに引かれ唐突に視界いっぱいの彼の泣き顔が映った。

「───────!!、─────」

綺麗な金髪が太陽を浴びてきらきら、きらきらと光る。彼のトレードマークである帽子は今は被っておらずきらきらは屋上に吹き抜ける風に遊ばれていて、その隙間から覗く印象的な空色の瞳は苦痛に歪んでいた。
普段の彼からは想像出来ないほど醜いくらいに顔をくしゃくしゃにして涙も鼻水もぼろぼろ垂れ流し。
翔ちゃんをここまで追い詰めたのは私だね。

「──────……──、─!」

ごめんね、愛しい愛しい大好きな翔ちゃんの声が分からない。翔ちゃんは何かを必死に私に語りかけているけれど私の耳は何も拾わない。

翔ちゃんごめんね、

「───!……───」

私翔ちゃんの歌声が世界で一番好きだった

「!!……────!!!」

私には音楽しかないんだよ、それしかないの。音楽のない世界だなんて苦痛でしかない。

「………………」

翔ちゃんの口が閉じて、大きな瞳をさらにくっと見開いてただただ私を見つめる。それでも彼の瞳から涙が流れ落ちるのは止まらない。

翔ちゃんごめんね、

「───」

いやだ、そう翔ちゃんが言ったのだけは理解出来た。でも、私もいやだ。

翔ちゃん、だいすきだよ

呪いのような言葉を吐き捨てて私は空に駆け出した。
びゅうびゅうと下から受ける風に身を任せ、これから自身に待ち受ける衝撃、痛み、終幕を感じさせないような歌を歌った。

翔ちゃんを思って歌った。


「────────ナマエ!!!!!!!!」


翔ちゃんの引きつったような声が聞こえた気がした。