暗殺者の最期
怖い。いや、苦しいのだ。きっと、いつかその日が来てしまうのが怖くて苦しくて仕方がないのだ。
彼が傷付いた姿なんて、10年以上一緒にいるがほとんど見たことはない。いつもふんぞり返って部下に暴力をふるう短気な暴君。暗殺部隊のボスに相応しすぎる彼は、ザンザスは強い。そんなものは誰よりも私が分かってる。部下として、恋人としてずっと側にいたのだ。ずっと彼の恐ろしさを間近で見てきた。ザンザスの強さは憧れられる様なものではない。これは最早畏怖に近い。その圧倒的な力に追いつけるとは思わないし、追いつこうとも思わない。どこぞの作戦隊長ならそのくらい考えていそうだが、生憎私は、ヴァリアー内では珍しいほど「強さ」と言うものに執着していない。だって力が必要なものだとは思わないから。ただ、此処にいるために人を殺せる程度のものがあればいいと思うだけで。世界で一番強くなろうだとか、誰にも負けない力だとか、そんなものはいらない。
「……おい」
この人を守りたいと思ったこともない。彼を守るだなんて烏滸がましいにも程がある。逆に守られたいなんて事を考えたこともない。彼が死ぬのも、私自身が死ぬのも、こんな死と隣り合わせな仕事をしていながら想像すらできない。
「なに」
ザンザスは背が高い。私と比べると大人と子供くらいの差はあるんじゃないだろうか。いつも見上げてばかりいたけれどこの距離感が好きだった。私が背伸びをして、ザンザスが屈んでする甘ったるいキスが私のお気に入り。ザンザスが私のために何かをしてくれるというのが唯一キスをするときだけだったのだから。
だけど今はいつも以上に差があるから彼の顔が見えない。
「…ねえ、座ってよ」
私から少し離れて立ち尽くしていた彼がゆったりと私の横に膝をつく。ああ、座ってとは言ったけど膝をついてしまったら綺麗な隊服が汚れてしまう。血なんか一滴もかかっていない綺麗な隊服。綺麗な。
「…………なんで、」
「死ぬのか」
「…は?」
「お前は死ぬのか」
「…まあ、ここまで派手にやられて生きれるとは思ってないけど」
「………」
「……ねえ、」
「………」
「隊服。…汚れちゃうよ」
「………」
彼はこんな人だっただろうか。軽々と私を抱き上げたザンザスの隊服に私の鮮やかな血がにじむ。こんなにも至近距離でまじまじと彼の表情を見れるチャンスなのに視界がぼやけてよく見えない。
ふと、こうやって抱きしめられたのは初めてではないだろうかと頭の片隅で思った。抱きしめてくるとは言っても恋人同士のような甘いそれではない。親が子供を寝かしつけるようなそれに少し戸惑う。逡巡の後彼の首に抱きつこうと思った。普段なら殴られそうだがこれだけ瀕死の状態なのだからある程度のことは許されるだろう。彼が愛しくて愛しくて仕方ないのだ。綺麗な思い出なんてものは皆無だし普通の恋愛をすることも出来なかったけれど、それでもザンザスが愛しい。私にとってはこの人が全てだったのだ。不純かもしれないが、私がここまで戦ってきたのはボンゴレのためなんかじゃない、ザンザスのためだ。彼のために戦い、彼のために命を懸けた。だからこれは私にとって素晴らしい最期なのだ。
首に抱きつくために手を伸ばそうとするけれども、もう私の腕はぴくりとも動かなかった。もう抱きしめることすら出来なくなっていたらしい。ふわふわと揺れる視界に影が落ちる。騒がしい声が聞こえる。大切な仲間、だなんて口が裂けても言えないけれど共に戦ってきた戦友。スクアーロにもベルにもフランにもルッスーリアにもレヴィにも言いたいことはある。けれど、それよりもザンザスにどうしても伝えたいことがあるのだ。
ああ、口を開くのも一苦労だ。
ごぼりと喉の奥が嫌な音をたて開いた口端から血がこぼれ落ちる。
「……ザ ンザス、」
「………」
「…あい…し…てる」
言いたかった言葉は伝えられた。悔いはない。もうまぶたを閉じよう。最高の最後だ。ばいばいザンザス。
そう思ったのにこいつは。
「…誰が死んでいいと言った」
「………」
「………ナマエ、死ぬな」
ザンザスの言葉に落ち掛けていたまぶたをくっと見開く。
「……ざ………」
最後の最後でこいつは私の心全てを持っていきやがった。もしかしたら私が考えていた以上にザンザスは私のことを。
死にたくない。
そんな私の願望が叶えられることはない。視界はそのままブラックアウト。
ちくしょう。