あの夜のいくじなし
同じクラスに爆豪勝己と言う男がいる。
入学前からなにかと話題に上がるちょっとした有名人で、個性は強くてとにかく派手。羨ましいくらいのその個性を我が物とし使いこなす様は、ヒーローを目指す者にとっては嫉妬せざるを得ない。
だが、その実彼の性格はひどくキツイものでプライドはエベレストより、いや、宇宙よりもはるかに高く、自尊心も強く短気で横暴、そして冷たく理不尽な暴力大魔王。言動は粗野で粗暴、まるでヒーローとは程遠く、上鳴に「クソを下水で煮込んだような性格」と言わしめる男でもある。彼とのファーストタッチはそんな印象だった。けれど、たしかにそれも彼の一部であることは間違いないが、それだけではないことも確かで。意外と勤勉で真面目だし繊細なところがあるのだとも、最近なんとなくわかってきた。
そんな彼、爆豪勝己はクラスでも1、2を争う程人付き合いが悪い。ちなみに争っているのはもちろん轟である。彼の性格から言えば仕方ないとは思うが、放課後は誰とも関わりたくないと言わんばかりに飛ぶような速さで帰るものだから少し寂しく思うのも仕方がないだろう。今日もクラスの何人かで放課後トレーニングルームを借りて、今日のヒーロー基礎学の反省会をしようと言う話になったのだが爆豪にはにべなもなく断られてしまった。

「切島ー、トレーニングルーム借りれたってよ。行こうぜ」

「おう。あ、やっぱり先に行っててくれ」

「どした?」

「通学路変更しようと思って。定期の申請事務室に出しに行かなきゃなんねぇんだ」

「そっか、わかった。じゃあ先に始めてんぜ」

そう言って手を振る上鳴を送り出し、自らは事務室へと足を向けた。事務室は入学した当初に何度か行ったことはあるが、基本的に関わりのない場所なのでそれ以降一度も行ったことはない。校舎の一階西廊下の一番端っこ。ひっそりと存在するそこは生徒たちの喧騒からは離れた所に位置し穏やかな空気を漂わせている。入り口の扉は常に閉まっておらず、クリーム色のカーテンが一枚風にはためいているだけ。そのカーテンに手をかけようとしたとき、不意に聞き覚えのある声が耳に飛び込んできて思わず手を止めてしまった。

「雪さん」

聞き間違いでなければ、これはきっと爆豪勝己の声であろうと思う。多分。
こんなに自信がないのは、彼の声が聞いたことのないくらい酷く優しく甘く響いたからであって。あいつ、こんな声出せたのか?やっぱり別人?なんでこんなとこに?脳が必死に情報を処理しようと思うが、次から次へと飛び込んでくる情報に追いつかない。

「爆豪くんありがとう。奥の部屋暑くない?この時間西日が差すんだよね」

「いや別に。風通るし」

「ならよかった。えへへ、爆豪くんの淹れてくれた紅茶はいつも美味しいね。役得」

「そんくらい普通だろ、あんたでも淹れられる」

「爆豪くんが淹れてくれたっていうのが余計美味しく感じるんじゃない。あ、これいつも美味しい紅茶淹れてくれるお礼ね」

「…」

「喜んでもらえてよかった、今日は桜のパウンドケーキだよ」

「喜んだなんて言ってねぇだろ」

「そんな顔してるよ」

「うっせ」

くすくすと穏やかに笑う軽やかで高めの音が響いて、そこは静寂に包まれた。後に残るのはカタカタとギーボードを打つような音と風の音、そして立ち尽くす俺。
どう考えてもこの空気の中割って入る勇気は俺にはない。さすがにない。無理。よくわからないが、きっと爆豪の他人に知られたくないところに俺は立ち会ってしまった。あの柔らかい声はきっとこの中から聞こえたもう一人の女の人のためだけのもので、俺が触れていいものではない。そんな風に思わせる程普段の爆豪とは遠く離れたものだった。
ここはきっと何も聞かなかったふりをして音も立てず立ち去るのが正解だ。そうわかってはいるのだが、定期の申請をしたいのも本当で。いや、待て。なんで俺が遠慮してるんだ。俺はただ普通に!定期の申請を!しにきただけなんだ!
若干パニックになりつつも、爆豪に爆破されるのを覚悟で声をかけた。ちなみにカーテンを開ける勇気はなかった。