今だ。廊下に誰もいないことを確認すると、渋谷有利は身を低くし音を立てず、しかしなるべく素早い動きで執務室から脱出した。いかにも高そうな花瓶の陰に隠れ、第一関門クリア、と小さくガッツポーズ。
 周囲を再び確認し、同じ要領で廊下から中庭へ移動するのは、思いのほか簡単だった。もしかしてスパイの素質あり!? と調子に乗ってしまうほどに。

「……陛下?」

 油断大敵、きっとこの四字熟語は次のテストに出るだろう。背後からの声に、有利は数センチ飛び上がった。そしてぎこちない動きで回れ右をし、なんだ、と安堵の息を漏らす。

「……なまえさんか」
「あら。私では不満でしたか? ではギュンター様でも……」
「あああああ! なまえさんで大満足です! というかなまえさんで安心しましたっ!」
「そうですか」

 にこり、なまえは笑みを浮かべる。安堵から一気に冷や汗をかいた有利は引きつった笑みのあと、小声で「仕事中?」と分かりきった質問を彼女に投げかけた。
 樹木と花壇の茂みが丁度いい具合に、目隠しになるポイント。そこはたまたま庭を散策中に見つけた場所であり、たまたまそこでサボり中のなまえを発見した場所でもある。彼女曰く「灯台下暗し」だそうだ。

「陛下こそ、お勉強は捗ってますか?」
「あー、痛いとこ突くね」
「ギュンター様が毎日楽しそうです」
「あははー。こっちは楽しくないけど……」

 しかしそれも全ては有利自身のためである。ちくりと胸が痛むのを感じ「ごめん」と有利はなまえに首を垂れた。
 ギュンターが有利の教師役を務めている間、ギュンターの仕事を一手に引き受けているのはなまえだ。手に負えない仕事はグウェンダルにも手伝ってもらっているようだが、それでも彼女の負担はそう軽くならない。少しでも早くこの世界について学ぶべきだと頭で解っていても、やはり勉強は苦手である、体が拒否反応を示してしまう。
「平気です」なまえは努めて明るく、しゅんと項垂れる有利の肩を叩き笑う。

「ギュンター様のサポートには、もう慣れっこなので。そのうち、私が王佐になってるかもですね」
「……それ、本気で言ってる?」
「半分本気です」
「なまえさんなら本当になってそう」

 どちらからともなく肩を震わせ笑い合い、落ち着いたころに有利は真面目な表情で「おれ、がんばるよ」と掌をぎゅっと握り、宣言する。

「まだ時間はかかるだろうけどさ」
「陛下ならきっと大丈夫です」
「ありがとう」

 彼女にはどう伝わっただろうか。勉強か、それとも良き王か。


5gの寵愛
title 約30の嘘