「(ん? あの子はたしか……)」

 市内をパトロール中のニックの目に留まったのは、先日クロウハウザーから紹介してもらった、花屋に勤める店員だった。ふさふさのしっぽを右に左へと振って、ガラスのショーウィンドウを穴が開きそうなほど、じっと見つめている。
 揺れるしっぽを目で追い、悪い笑みを浮かべたニックはそっと彼女の背後に忍び寄る。そしてわざとらしく「コホン!」と咳払いをして、彼女に声をかけた。

「やあ、お嬢さん」
「サボりじゃありませーんっ!」
「へっ?」

 突然の言い訳と、シュッと真上に立ったふさふさのしっぽをポカンと見つめ、ニックは喉の奥で笑う。

「ごめんごめん。俺だよ、ニック。ほら、こないだ会った」
「ああ、なんだ、ニックさん。私ったら、びっくりしちゃって」

 振り返った彼女は恥ずかしそうにしっぽを体に巻き付け、照れた笑みを浮かべる。そして「あの」周囲を窺い、声を潜めてこう言った。

「ほんとうに、ほんっとうに、サボりじゃないですからね。今日はお仕事、午前中までだったんです」

 以前、彼女は商品の配達中、今のように美味しそうなケーキにうっかり見惚れ、配達に大遅刻をしたという事件を起こしているらしかった。
 しかしそれもまた彼女らしい、とニックは「了解」と目を細める。

「ニックさんは、パトロール中ですか?」
「うーん、まあね」

 この街は多少の事件はあるが、彼女に声をかけるほどには退屈なものである。頭の後ろで腕を組んだニックは不意に、閃いた、そういう顔つきで彼女の手を取った。

「サボっちゃおう」
「え?」
「きみは共犯ってことでさ」
「ええ!?」

 ニックは彼女の返答を待たず強引に手を引き、ケーキ屋のドアを開く。ふわり、と鼻腔をくすぐる甘いかおりと香ばしいかおり、さては果物の甘酸っぱいかおりまで。とろけそうなかおりが二人を包み込む。
 さっきまで彼女が見つめていたショーウィンドウには、果物をふんだんに使った鮮やかなケーキや、見てるだけで甘いチョコレートケーキがこれでもかと並んでいた。それらを思い出し、ニックは近くのテーブル席に彼女を誘導する。

「あ、あの、ニックさん、私」
「大丈夫、俺に任せて。それともきみは俺とケーキを食べたくない?」
「まさか! そんなこと!」
「よし。じゃあ決まりだ」

 ニッ、と笑い、色鮮やかなメニューを彼女の目の前に突き出せば、ふわりとふさふさのしっぽが左右に揺れた。


世界はもうすぐとろけだす/箱庭
しっぽふわふわの長毛種の猫