Nostalgia


バレンタイン


 目を覚ますと、そこは見知らぬ天井。
 ──とまではいかないものの、眠る前に見ていた自分の部屋の天井とは明らかに違うそれに、千寿は戸惑いながら起き上がった。
 見渡せば、何度か入ったことのある五条の寝室であることを確認してますます首を傾げる。
「……昨日、は、お酒も飲んでないはずなんだけどな」
 確かに自室で眠りについたはずの記憶に疑問ばかりが浮かべば、千寿はひとまずとベッドから降りようとして、足下の違和感に眉をひそめた。
 少し重い片足、じゃらりと鳴る金属音。見慣れぬそれが誰の仕業か分かりきってはいたものの、更に疑問は増していく。
「あ、おはよー千寿。早起きだね」
「……悟、さん。あの、これ」
「ん?ああごめんね、今取るから」
 ひょこりと部屋へ入ってきた家主である五条は、何でもない顔で挨拶を交わしながらベッドへと近付いた。
「はい、じゃあちょっと部屋移ろうか」
「え、あ、あの?」
 ガチャガチャと足枷を弄っていたかと思えば、五条は足に巻かれた部分ではなくベッドに繋いでいた部分を外しだす。そうして当然のように千寿を抱え上げれば、リビングへと足を向けた。
「さて、ここで問題です。昨日は何の日だったでしょうか」
「昨日……?」
 すとんと椅子へ下ろしながらそう問いかける五条に、意味が分からないと首を傾げていれば再びかしゃん、と鎖は何処かへ繋がれる。
「はい時間切れ。昨日はバレンタインだよ」
「……怒って、ますか」
「へえ、怒られる事した自覚はあるんだ?じゃあ何で僕にだけチョコくれなかったわけ?」
 にっこりと、貼り付けたような笑みでそう告げる五条に思わず視線を逸らしながら、千寿はしどろもどろに答えていく。
「ええと、その、悟さんカタログに印つけてたの見て……自分で買うなら余計かな、と」
「自分で買うのと千寿から貰うのは別なんだけど?そのくせ皆にはチョコ配って歩いちゃってさあ、僕傷ついてるんだよ」
「き、既製品ですよ?流石にこの歳で手作りを配るなんてしませんし」
「知ってるよ。もし手作りだったらこんなんじゃ済まないから」
「そんなこと言われても」
 困ったようにそう返せば、五条はどさりと机の上にチョコや小麦粉、その他製菓用の材料を並べていく。
「そんなわけだから、はい。今日は僕にチョコ作ってくれるまで外出禁止。仕事もお休みだからね」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
「なに?嫌なの?昔からそうだよね、僕にだけいつも何もくれないんだもん、千寿は」
「だ、だって、そんな……特別上手くもない私の作ったものなんて」
「味とかどうでもいいよ、僕は千寿が作ったものが欲しいの」
 適当に材料を並べ終えれば、何処か呆れたようにそう答えて五条は千寿の目の前ですとんと屈んでみせた。
「別に料理が壊滅的な訳じゃないでしょ?いい加減僕に作ってよ、チョコが無理ならもう別のものでもいいからさ、駄目?」
「……美味しいものなら、他にたくさんあるじゃないですか。こんな強制するみたいな事までして……どうしてですか」
「こっちの台詞なんだけど、なんでそんなに作ってくれないかなあ……僕に不味いって言われると思ってる?」
 サングラス越しの瞳に射貫かれるように見つめられれば、千寿は分が悪そうに俯いていく。
「つまみ食い、昔してた時文句言ってないよね?でもつまみ食いじゃ意味なかったんだよ。千寿が、僕の為に作ってくれたものが欲しいの。このままじゃ一生作ってもらえない気がして」
 しゅんと落ち込んだようにそう告げる五条と、ちらりと机の材料を見比べれば千寿は観念したように小さくため息をついた。
「……とにかく、悟さん今日お仕事ありましたよね、早く出ないと皆困りますよ」
「いいの?僕が出たら千寿は一日そのままだけど。約束してくれるなら外してあげようかなって思ってたのに、そんなに嫌?」
「本当にその気、ありました……?一応、今日は書類を作ろうと思っていたくらいなので明日に回します。作るのだって時間がかかるんですよ、帰ってからじゃ日付越えちゃいます」
「え、それ、って」
「ちゃんとお仕事、してきて下さいね」
 静かにそう告げながら、目を丸くしている五条を見上げれば途端にその顔は花が咲いたように笑みを浮かべていく。
「夕方、いや半日で終わらせてくるから!」
「分かりましたから、早く行ってあげてください」
「うん、行ってくるね!」
 上機嫌に部屋を飛び出した五条を見送れば、千寿はひとつ息を吐いて並べられた材料に手を伸ばしていく。
「こんなに大量に用意して……日持ちするもの作らないとなあ」
 少し重い片足を引きながら、台所へと歩いて行った。



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