朔間零


※幼少期

 近頃、零は夕涼みにふらふら近所の墓地に行きます。
 昔から誘われて彼と遊んでいるので、何も言わずに出かけてしまう彼の行方はすごく気になっていました。零のお母さんに訪ねてみても首を傾げられてばかりだったので、わたしはしびれを切らし、ついに隠れてどこに行くのか付いていきました。そしてようやく、最初に言いましたが近所の墓地に行っているということがわかりました。
 誰かのお参りかな、と最初は思いましたが零の家は周りの家に比べてそれはそれは立派で、隣人との付き合いもない、と零のお母さんは言っていたので違うという結論に至りました。
 結局、どうして零が墓地に行くのかはわかりません。さすがに人のプライベートに首を突っ込むようなことはできませんでした。だから、今日の零に付いていって何もわからなければ、彼がふらふら出掛けていることは綺麗さっぱり忘れます。見た目の割に好奇心旺盛だな、と零にはよく言われていましたが、わたしなりに諦めた結果です。
 夕暮れといっても日差しはきついので麦藁帽はつばの広いものを選びました。体質が変わったのもあるので日差しは天敵ですが、暑さはもとから苦手です。出掛ける前に麦茶を一口飲んで喉を潤しました。そうして、大体の準備は終わりました。
 わたしは季節に見合ったサンダルを爪先に引っ掛け、灼熱地獄に踏み出しました。

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 しかしどうでしょう。昨日に比べて今日はとても暑かったのです。じりじりと無防備な麦藁帽子のみの頭を太陽が焼きました。まだ墓地にも着いていないし、零にすら会っていません。零によく日傘を差すようにと言われていましたが、隠れて付いていくには目立つ上に邪魔だったのです。

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 意識がはっきりしたときに赤い瞳に覗き込まれていたので驚いて跳ね起きました。ごちん、と見事な音が響きました。額を擦っていると、薄っすら涙目になった零に腕を抓られました。それでも腹の虫がおさまらないのか、白い指先がにゅっとわたしの頬に伸びました。

「ほんっと馬鹿だよお前」
「う、ほっぺ引っ張るのはやめて、って、いたた」
「気になるならそう言えば連れてってやったのに」
「零はいつも誘ってくれてるから、何も言われなかったし駄目かなって」
「付いてきてる時点でもう一緒だからな?」

 水飲めよ、と零はペットボトルを差し出してくれました。倒れていたわたしを背負って墓地の日陰に連れて行き、落ち着かせている間に近くのコンビニまで走ったとのことです。

「寂しかった?」
「……うん」

 小さな小さな声で言ったつもりでしたが、零にはしっかり聞こえていたようでした。零は満足気に笑うと、傍らのビニール袋をガサガサと漁り始めました。水以外にも買っていたようです。

「アイス、半分個な」

 包装を開けるとパッケージと同じように、涼しげな青い色の氷菓が顔を覗かせました。零は青いブロックから伸びた二本の棒を持ち、そのまま切り離してしまいました。差し出されたものを見て固まるわたしは、溶けるから早く、と急かされようやくそれを手に取りました。少しいびつな形をしているのでぼんやりと眺めていると、俺が食っちまうぞ、と隣から手が伸びてきました。寸前のところでわたしはアイスを口にしました。口の中に広がる爽快感に、体温が一気に下がったような気がしました。

「俺、これ食ったら用あるから」

 あそこ見てみろよ、と零が指を指す方を見ました。

「……あの人たちに?」
「俺、あいつらの“神様”やってんの」

 お前、俺が何してんのか知りたかったんだろ?
 困ったように笑う零の手元を見ると、かろうじて棒にアイスの欠片がくっついているだけでした。行かないで、と言えばよかったのでしょうか。しかし、わたしは白く不健康そうな整った顔と、ないに等しいアイスを交互に見つめることしか出来ませんでした。

「――そろそろ、行ってくるな」
「れい、」
「……せっかくだし、終わるのここで待ってろよ」

 赤い舌がべろりと棒を舐め上げました。零は棒をビニール袋に放り込み何一つ持たずに、人でごった返す墓地に吸い込まれていきました。
 わたしのアイスは気温やら体温のせいで溶け、手のひらをべたべたにしていました。

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 日が傾き、体は軽くなっていました。食べる気をなくしたアイスは地面に液体となって広がっています。周りには黒い小さな虫が集り始めていました。――それが、視界の端だというのに異様に目を引いた零と彼を囲む集団のように見えて、しょうがないのです。失礼にも程がありますが、他人の墓石の上に胡座をかいて神のように崇められる零の異様さは凄まじいものでした。
 手のひらはべたべたで気持ちが悪いです。しかしそれをどうしようとも思いませんでした。

「おい、どうした? 体調悪いのか?」

 途切れることのない黒い粒の動きを視線だけで辿っていると、突然艶やかな黒い髪が視界を遮りました。心配しているのか形のいい眉が下がっています。鼻先がくっついてしまいそうな程近いところに零の子供とは思えない綺麗な顔がありますが、幼い頃から見慣れていたのでなんとも思いません。

「――神さまって、信じる?」

 ルビーのような輝きを持った瞳を、わたしは見つめました。日が落ちたので身を焼かれるような感覚はありません。立ち上がるとしゃがんだ零がわたしを見上げる不思議な構図になりました。いつもとは真逆の雰囲気に驚いているのかぱちぱちと瞬きを繰り返しています。静かで生暖かい空気が流れます。
 ――わたしは人間であり、零と同じように吸血鬼です。しかし、彼ほど純粋な血が流れている訳ではありません。元は人間であり、後天性の吸血鬼なのです。人間の血がベースであるが故に、十字架やニンニク、日差しなどの弱点の効力は半減しています。だから零たちの一族からすれば扱いが面倒なものでしょう。しかし、零やその家族は全くそんな素振りを見せません。わたしが吸血鬼になったのは零のせいだからです。

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 ――じくじくとしつこい痛みを放つナイフがお腹に刺さり、わたしは冷たいフローリングに寝転がっていました。痛い痛いと思いつつも声は出ず、ただ熱い涙が、熱い血が溢れるだけでした。死ぬまでにもっと遊んでおけばよかったと思いました。意識が遠のき、死を覚悟しました。しかし、その時玄関の開く音とバタバタと廊下を駆ける音が聞こえました。重くなってきた瞼を必死で持ち上げ、リビングの入口に向かって手を伸ばします。れい、と呟きました。お父さんもお母さんも同じように寝転んだまま動きません。絶望以外の何物でもありませんでした。扉が開き、零が飛び込んできました。そこから先は覚えていません。
 そして目を覚ますと体の傷は綺麗さっぱりなくなっていました。目を充血させ、それを隠すように俯いた零が、ベットの傍らに置かれたパイプ椅子に座っていました。心配かけてごめん、と言っても零は何も言いませんでした。

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「……いる」

 零はたっぷり考えた後、確かにそう言いました。しかし、どこか歯切れ悪いのこたえかたでした。――自分はそうあるべきだと、彼のことなので思い込んでいるのでしょうか。

「人間は神さまになんてなることはできないよ。おかしいね、零」

 赤い瞳が、くらり。水面のように揺れました。やめろ、言わないでくれ、と言われているような気分でした。でも、やめません。

「零、なんであんなことしてるの?――零が手を貸したところで根本的な解決になってないのに」

 零は優しいのです。どんな悪党にも手を貸すだろうし、悪行を働いても叱るでしょう。それは全て、愛が彼を動かしているのです。朔間零という人間、いいえ、吸血鬼は人を愛しているのです。人からは忌み嫌われているのに、彼は愛しているのです。致命傷の傷を負ったわたしが彼の手によって生かされているのが何よりの証拠でしょう。幼馴染だからという理由でもあるのでしょうが。してはいけないことであったのに零は自分の尊い血をわたしに与えたのです。

「なんで?」

 わたしは零の瞳を見つめました。彼は本当に優しいです。世界の人間を平等に愛しているのです。だから助けてと言われたならば、見知らぬ人にも手を差し伸べる。

「俺は、藁だ」
「“藁にもすがる思い”の?」
「そう、それだ。だから、やってる」

 わたしは零と同じ目線になるようにしゃがみました。彼が放つオーラを間近に感じ、背筋が少し冷えました。わたしはおかしくて堪りません。

「よくわからないな、零」
「っ、」

 首に垂れる黒髪を退け、わたしは白くて骨の浮いた首筋に牙を突き立てました。突然飛び付いたので零は尻餅をつき、後ろの木に頭をぶつけたようでした。少し力を入れると肌を牙が貫いたのでしょう。口内に少しずつ血の味が広がっていきました。一定量が口内を満たすと、ごくりと嚥下しました。それを繰り返します。零は時折声を漏らすだけで何も言いませんでした。ただわたしの背に腕を回し、優しく撫でていただけでした。

 少し体が火照ります。わたしのような半端者には彼の純粋な血は毒なのでしょうか。生き続けるためには定期的に彼らの種族の血を得なければならないのですが、やはりそれも慣れません。最近になってようやく噛む力の調節ができるようになったくらいです。
 唇を離すと、零は目尻に薄く涙を溜めていました。はっ、と熱い吐息が彼の口から吐き出されました。

「ほんと、急になんだよ」
「零にわかってほしい。……零は神になれない」

 白い首筋にふたつ、小さな穴が空いています。ぷくりと赤い点ができかけています。零はわたしに恨めしげな視線を送っていますが、咎めるような意味は薄いようです。わたしがこうなったのは零のせいですから。首を伝って落ちてしまいそうになった赤い玉を人指し指で、一突き。肌に広がった赤はいつ見ても痛々しいものです。

「わたしをこんなにしたのは、零。――そんな人が、神さまになんてなれないよ」

 わたしをこんな風にしておいて、放っておこうなんて許しません。神さまになりたくても、わたしがいる限り、零が禁忌を犯したという事実が消えない限り、そんなことは叶いません。
 ひとりで行ってしまうなんて、駄目だからね。